ネ・ロの配剤

小石原淳

第1話 最後の関門

「――深海ふかみ君か」

「はい。お約束の通り、一人で来ました」

「結構。最初に、マスク姿であることを詫びさせてもらうよ。どうも一昨日辺りから熱っぽくてね。鼻づまりも始まって」

「お大事にしてください。何なら今日のことは延期でも構いませんが」

「いやいや。こういうことは予定通りに進めなくてはいけない。それじゃ、改めて宣言しよう。今日は君が妹・留美るみに本当に相応しい男かどうか、最後のテストをさせてもらう」

「やはり、始めるんですか……。お義兄さん、いえ、克己かつみさん。お言葉ですが、これ以上何を試そうと言うのですか? 学歴や職を皮切りに、体力、腕力を含む健康面、家族をはじめとする血縁、友人関係に性格テスト、果ては遺伝子検査まで受けてクリアしてきた僕に、他に何を求めるんでしょう?」

「困難を乗り越える力だ。運や機知と言い換えてもいいかな」

「困難を乗り越える力とは、具体的には何をすればいいのでしょうか」

「なに、シンプルなことだよ。二つの箱を用意させた。見えるかな」

「――確かに、ありますね。大きさはボックスティッシュぐらいですか。中が見えませんが、口が開いているところを見ると……くじ引きのような」

「察しがいい。その通り、深海君には箱の中から一枚ずつ札を引いて、漢字の組み合わせを作ってもらう」

「漢字、ですか」

「意外そうな顔をしているね」

「いえ、意外というか、意味がまだ飲み込めていなくて。二文字からなる熟語ということではないんですか」

「はは、そうか、これは私の言い方が曖昧だった。君のいる位置から向かって左――便宜上、箱1と呼ぼうか――、箱1に入っている札には、漢字の向かって左、いわゆる“へん”に該当する部分が書かれている。一方、右の箱、箱2には、漢字の向かって右の部分、いわゆる“つくり”が書かれた札が入っている。それぞれ一枚ずつ引き、組み合わせることで漢字ができる。十回行って、私の指定する漢字一文字ができなかったら合格だ」

「できたらではなく、できなかったら……」

「成功する確率が高いと思ったかね? 詳しい説明を聞いたら、そうじゃないことが分かるよ。何しろ、それぞれの箱には二枚しか入っていない。箱1には偏が二種類、箱2には旁がに種類という訳だ」

「つまり、作られ得る文字は二掛ける二で四種類だけ。その内の一つが完成されたとき、僕は不合格になる」

「そういうことだ。十回やって特定の一文字が一回もできない確率の計算は、四分の三の十乗になるのかな。とにかく、微々たる確率になるはずだ」

「……正直言って、厳しいですね……。どなたが判定をするのでしょうか」

「もちろん私だ、と言いたいところだが、うちの執事、渡辺わたなべが受け持つよ」

「始める前に、箱の中を確認させてもらえますか」

「当然の権利だ。私が指定する漢字しかできないように細工されていたら、たまらないよな。どうぞ自由に見なさい」

「では……。あれ? 思ったよりメカニカルなんだ。電気が入っているのか、ほんのりと温かい」

「ふふふ。ちゃんと意味があるんだ。とりあえず、続けて調べてみることだよ」

「箱1には“ネ”と“口”が書かれた札が入っていますね。片仮名のネではなく、示偏ということですか」

「そうだよ。言うまでもないが、“口”の方は口偏であり、片仮名のロじゃない。ははは」

「札と聞いたので紙か木でできているのかと想像していましたが、これはタイルですか」

「ああ。紙製や木製だと、印を付けやすいだろ。それを防がせてもらった」

「……そうか、箱の中が温められるのは、一回目に引いたタイルを握り締めることで温め、二回目以降の選択を好きなようにできるという細工を防ぐため、か」

「そういうことだ。尤も、一回目で私の指定する文字が完成してしまうケースもあり得るがね」

「……箱2には、“兄”と“斤”が一枚ずつ」

「その通り。これらの偏と旁を組み合わせてできる漢字は?」

「……“祝”“呪”“祈”と……口偏に斤で何と読むのか、恥ずかしながら知りません」

「難しく考えることはない。“きん”だ。意味は、『わらう』とか『きく』とか、だったかな。はは、実を言えば、私だって知らなかったんだ、听という漢字なんて。最終テストのために調べて、見付けたんだよ」

「はあ。それで、克己さんが指定する文字とは」

「言わなくても察しが付くかもしれないが、“呪”を指定する。“呪”ができてしまったら、君は不合格だ」

「――あの、テストを始める前に一つだけ、お願いがあります」

「何かな」

「NG漢字を“呪”ではなく、“祝”に変えてもらえないでしょうか。確率は同じです」

「ほう。何故だい? 理由があるのなら聞かせてほしい」

「僕の心理的な好みと言いますか、“呪”が完成したら、留美さんとの関係がおしまいだなんて、あまりにも後味が悪すぎます。こんなこと言いたくありませんが、あなたや留美さんを恨んでしまうかもしれません。せめて、“祝”なら、“祝”を完成させてしまった固めに負けるのであれば、まだ救われる気がするんです」

「なるほど。要は験を担ぎたいと」

「そのようなものです」

「ふむ、分かった。その変更、受け入れるとしよう。それでは始める前に、最終チェックを私の方でやりたい。札四枚を、この手に渡してくれるかね」

「分かりました。――どうぞ」

「ありがとう。ふふ、手の感触で差違がないかどうか、改めて調べておきたくなったんだよ。何の用意もしてこなかったとは思うが、いざとなったら汚い話だが、手垢や鼻くそを付けて目印にできるかもしれないからね」

「そんなことは」

「してないと信じてるよ。でも、念のためだ。うん、やはり細工はされてなかった。箱に戻すのは、渡辺にやらせよう。おーい」


「それでは一回目の選択から始めようか。渡辺は下がっていてくれ。あとでまた呼ぶ」

「かしこまりました」

「え?」

「どうかしたのかい、深海君」

「え、あの、いえ、渡辺さんはずっと立ち会うものだとばかり」

「いや、その必要はないだろう。君が引き終わったあと、渡辺を呼び、できた漢字を見て判定する。これでいいじゃないか」

「えっと。しかし」

「渡辺の不在は、君にとって不利には働くまい?」

「それはそうですが」

「だったら、早く始めよう。引きたまえ。まずは箱1から」

「……できません」

「どうして」

「それは……僕はどうしても留美さんと結ばれたいから。だから、追い込まれると、不正をしてしまうかもしれません。それほど彼女と一緒になりたいんです」

「私が定めたルールを破らない限り、不正にはならないんだよ。好きにやればいい」

「だめです。仮にルール違反ではなくても、絶対にできません」

「ふん……深海君の馬鹿正直さには呆れたものだ。堂々とやればいいのだよ、私はのだ。ばれることはない」


 続く

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