第20話 初炎上

 予兆は、確かにあった。

 それを無視したのは、他でもない――俺自身だった。


 三連投の三日目。ブルペンで肩を回した瞬間、指の感覚が昨日までと明らかに違っていることに気づいた。力は入る。だが、ボールが離れない。握力だけは誰にも負けない。その長所が、この日ははっきりと裏目に出ていた。


 ナックルにとって、最悪の状態だ。


 それでも、名前は呼ばれる。


 「霧島」


 七回、一点リード。ベンチに迷いはなかった。昨日も一昨日も投げている。それでも使われる。それが、一軍で「信用される」ということだと、頭では分かっていた。


 マウンドに立つと、歓声が昨日より大きい。期待の音だった。拍手よりも、ずっと重い。


 一人目の打者。

 初球、ナックル。沈まない。高め。見逃しストライク。


 ――まだいける。


 二球目。同じ軌道を意識したが、わずかに横へズレた。ファウル。打者は、完全に合っている。


 三球目。握りは同じ。だが、指が離れない。回転が中途半端にかかり、球は素直すぎる軌道を描いた。乾いた打球音。センター前ヒット。


 嫌な音だった。


 二人目。バントの構え。

 初球はワンバウンド。捕手が止める。

 二球目、低めを狙った――はずだった。だが球は浮き、三塁線へ転がされる。内野安打。ノーアウト一、二塁。


 捕手がマウンドに来た。

 「……指、終わってるな」


 否定できなかった。それでも交代の気配はない。ここで降ろされないのは、信頼なのか、ただの消耗なのか。分からないまま、三人目を迎える。


 クリーンアップ。


 初球、甘いナックル。見逃しストライク。

 二球目、同じ高さ。打者の目が、完全に合っている。


 三球目。意図的に力を抜いた。抜きすぎた。


 球は高めに浮き、打者のスイングは迷いなく振り抜かれた。打球は左中間へ一直線。フェンス直撃。二人が還る。逆転。


 スタンドが一気に沸いた。スコアボードの数字が、冷たく点灯する。


 四人目。

 初球、ナックルが抜ける。ボール。

 二球目、低めを意識するが、また浮く。


 打球はレフト線へ。適時打。点差が、はっきりと開いた。


 ここで、ようやくコーチが動いた。ブルペンに合図が出る。交代。


 マウンドを降りると、足元が少し揺れた。ベンチに戻っても、誰も声をかけてこない。責められもしない。慰められもしない。それが、一軍の失敗だった。


 ロッカーでユニフォームを脱ぐ。指が、わずかに震えている。力はまだ残っている。それでも、制御ができない。未完の魔球は、疲労をごまかさない。


 翌日。首脳陣ミーティング。

 俺は呼ばれ、椅子に座った。


 投手コーチが、静かに言う。


 「二択だ」


 ナックルを封印するか。

 それとも、未完のまま使い続けるか。


 炎上は、失敗じゃない。

 選択を迫られる場所だ。


 俺は、顔を上げた。


 ――答えは、もう決まっている。


 未完のまま、投げる。

 完成させないからこそ、ここにいる。


 それが、

 俺が一軍に残る、唯一の理由だった。

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