第20話 暇になった男は、国外を見た

 会社は、法人になった。


 書類が増え、印鑑が増え、名前の後ろに肩書きが付いた。それだけのことなのに、生活は目に見えて変わった。


 小麦粉、パン、豆乳。


 調達は輸送部門がまとめて行う。倉庫に保管し、在庫は数字で管理される。三上がやるのは、定期的に確認することと、異世界に卸すタイミングを指示することだけだった。


 アイテムボックスを開く。


 出す。


 閉じる。


 それだけで回る。


 エステ店も同じだった。


 経理を雇い、金の流れは帳簿に落ちた。現場は、長く働いてきたベテランを店長に据えた。


 予約も、施術も、スタッフの指示も、もう三上の出る幕はない。


 気づけば、仕事は劇的に減っていた。


 朝、起きて。


 やることがない。


 それが、最初は落ち着かなかった。


 何か忘れている気がして、無意味にメールを確認し、倉庫のカメラ映像を開いたりした。


 だが、数日もすると慣れた。


 暇になると、次は何をやろうか考えるのが楽しい。


 これは、怠けている感覚とは違った。


 考えること自体が、仕事になっている。


 三上は机に座り、ノートを開いた。


 ポーション。


 美容ポーション以外にも、いくつか頭に浮かぶものがある。


 異世界では当たり前に使われているもの。


 それを、地球で使えないか。


 思索は、いつも同じ壁にぶつかる。


 今使っている美容ポーションですら、綱渡りだ。


 断定しない。


 説明しない。


 効くと言わない。


 それでも、結果だけは隠しきれない。


 いつダメになるか分からない。


 正規の薬にする、という選択肢も考えた。


 だが調べれば調べるほど、現実味がなくなっていく。


 説明できないものは、通らない。


 時間も、金も、手続きも、どれもが重すぎた。


 三上は椅子にもたれ、天井を見上げた。


 国内でやれることには、限界がある。


 なら——外国。


 外科の治療まで行うなら、外国に行くのがいい。


 そう考えるのは、自然だった。


 各国の実態を調べ始める。


 規制。


 運用。


 現場の空気。


 資料と体験談を読み比べ、画面を切り替えていく。


 候補はいくつか出たが、最後に残ったのは一つだった。


 タイ。


 観光客を受け入れる資源がある。


 医療や美容を目的に訪れる人も多い。


 そして、規制の緩さ。


 正確には、余地がある。


 白か黒かで切られない部分が残っている。


 三上は画面を閉じ、しばらく黙った。


 進出すれば、またやることは増える。


 面倒も増える。


 それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。


 暇でいられるようにしたのは、自分だ。


 その時間を、何に使うかも、自分で決めていい。


 三上は、ノートの余白に小さく書いた。


 「タイ」


 それだけで、気持ちは固まった。


 ページを閉じて、しばらく考える。

 次にやるべきことを、頭の中で並べ替える。


 ――一人で行く必要はない。


 ふと思い出して、スマートフォンを手に取った。


 後輩は、退職して羽根を伸ばしているはずだ。


 「……ちょうどいいな」


 三上は小さく呟いた。


 女性専用エステのオペレーション。

 現場の動線、スタッフの配置、客の流れ。

 日本とは違う前提で、どこまで回っているのか。


 後輩に見せておく価値はある。


 メッセージを送ると、返事はすぐに来た。


 《海外ですか》

 《業務なら行きます》


 余計なやり取りは要らない。


 三上はノートを開き、次の行に短く書き足した。


 「後輩同行」


 次に何が起きるかは、まだ分からない。


 だが、考えることは尽きない。

 そのことだけは、確かだった。

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