第16話 支援が終わり、父ちゃんと呼ばれなかった日

 三上は、いつものように商業ギルドへ商品を卸した。


 帳場の奥で手続きを終え、外に出ようとして、ふと足を止める。


 一年前と比べて、城下町の空気が違っていた。


 通りを歩く人の数が増えている。杖に体重を預けていた男が、今は荷を担いでいる。以前は配給の列に並んでいた顔が、露店の裏で手を動かしていた。


 子供の声も多い。

 叫ぶでもなく、泣くでもなく、ただ走り回る音だ。


 配給所の前を通りかかると、掲げられている札の文言が変わっていることに気づいた。


 「支援」ではなく、「調整」。


 配る量を決め、余剰を抑え、足りない分を補う。

 善意ではなく、業務の言葉だった。


 ギルドに戻ると、職員に呼び止められた。


 最近、美容ポーションの動きが慌ただしいという。

 治療用ほどではないが、確実に需要が伸びている。


 「働けるようになった人が増えましたから」


 雇用先として、薬草採取を回している。

 森に入り、刈り取り、運ぶ。単純だが、人手は要る。


 ただ——


 「近隣の森が、そろそろ限界です」


 職員は淡々と言った。責める調子ではない。事実の報告だった。


 買う量を減らすか。

 調達を手伝ってもらうか。

 何か対策はないか。


 三上は、すぐには答えなかった。


 薬草について尋ねると、条件は以前と変わっていないという。

 魔力の強い森で育ったものしか、ポーションには使えない。


 畑に移して育てることもできない。

 森を切り開けば、土から魔力が抜ける。一度抜けたものは、戻らない。


 「広げるほど、薄くなります」


 職員の言い方は簡潔だった。


 三上は、農家ギルドの名を思い出した。

 去年、いくつか肥料を渡している。


 帳場を借りて、記録を見せてもらった。


 同じ薬草。

 同じ森。

 施肥の有無。


 収穫量の差は、はっきりしていた。

 成長も早い。刈り取りまでの間隔が短い。


 一番効果が出ていて、なおかつ安いのは——化成肥料だった。


 三上は頷いた。


 追加で卸すことを約束する。

 ただし、肥料の負担と、収穫した薬草の利益配分は、ギルド側で調整してもらう。


 誰か一人が得をしすぎる形は、長く続かない。


 話は、それでまとまった。


 ギルドを出たあと、三上は久しぶりに母子寮へ向かった。


 中庭に入ると、子供が先に気づいた。


 「あ」


 声を上げて、こちらへ駆けてくる。


 以前と違い、迷いがない。

 そのまま来て、当たり前のように立ち止まる。


 「パンのおじさんだ」


 訂正する気にはならなかった。


 三上は、手に持っていた袋から白いパンを一つ渡す。


 「噛んで食べろ」


 それだけ言う。


 子供は頷き、パンを抱えたまま戻っていった。


 その背中を見送ってから、三上は豆乳の箱を寮の隅に置いた。


 「これも飲ませてください」


 世話役の女性が、軽く会釈する。


 帰ろうとして、ふと視線を感じた。


 「おじさん」


 呼ばれて、三上は手を止めた。


 「これ、ありがとう」


 子供は袋を持ち上げて見せた。

 誇らしげでもなく、ただ事実として受け取った礼だった。


 「どういたしまして」


 それだけ返すと、会話は終わるはずだった。


 子供は一度、母親の方を振り返った。

 それから、何か思いついたように、こちらを見上げる。


 「なあ」


 少し間があって、子供は言った。


 「おじさんが父ちゃんだったらな」


 言葉は軽かった。

 願いというより、空に投げた石みたいなものだった。


 三上は、何も言えなかった。


 冗談だと笑うことも、否定することもできず、ただその場に立ち尽くしていた。

 子供は返事を待っていない。そういう言い方だった。


 「じゃあね」


 子供はそう言って、母親のもとへ駆けていく。

 小さな背中が、人の流れに紛れていく。


 三上は、その背中から目を離せなかった。


 胸の奥に、何かが触れた気がした。

 痛みなのか、後悔なのか、それとも名前のつかない感覚なのか、自分でも分からない。


 誰にも聞こえないくらいの声で、三上はつぶやいた。


 「……違うんだ」


 何が違うのかは、言葉にならなかった。

 ただ、違うという事実だけが、そこに残った。


 子供の姿はもう見えない。

 配給所には、いつもの午後の風だけが吹いていた。

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