第15話 通常の確認

 午後の施術が一段落したころだった。


 インターホンが鳴り、受付がこちらを見る。


 「……保健所の方です」


 想定外ではなかった。

 噂が出始めている。むしろ、来ない方が不自然だ。


 三上は頷き、奥から出た。


 名乗った職員は二人。男女一人ずつ。

 書類を出すでもなく、まずは店内を一周させてほしいと言った。


 「通常の確認です」


 その言い方が、いちばん信用できた。


 施術室。

 個室の換気口。

 リネンの保管棚。

 使用済みと未使用の区分。


 三上は、聞かれたことだけを淡々と説明した。


 「施術に使っている機器は、すべて業務用既製品です」

 「消耗品はロット管理しています。開封日も記録しています」

 「化粧品登録が必要なものは扱っていません」


 女の職員が、メモを取りながら頷く。


 「お客さまの肌に直接触れるものは?」


 「基本的には市販の業務用化粧品のみです」

 「それ以外は、空間演出としての雑貨扱いです」


 言葉を選んだ。


 嘘は言っていない。

 だが、説明しすぎてもいない。


 男の職員が、壁の注意書きを指さした。


 「こちら、“効果には個人差があります”とありますが」


 「はい。従業員にも、効能を断定する言い方はしないよう指導しています」

 「SNS上の表現についても、こちらからお願いは出していません」


 「口コミの管理は?」


 「削除要請が来たもの、明らかに虚偽のものには対応します」

 「ただ、すべてを把握・制御することはできません」


 それは、事実だった。


 職員は一度、視線を交わした。


 記録を見る。

 器具を見る。

 従業員の動きを、遠目で確認する。


 施術室の中では、いつも通りの手順で作業が進んでいた。

 余計な会話はない。

 誇張もない。


 三上は、少しだけ間を置いてから聞いた。


 「改善すべき点は、ありますか」


 即答はなかった。


 だが、探すための沈黙ではないことは分かった。


 「……今のところは、大丈夫です」


 それだけだった。


 職員は名刺を置かず、挨拶をして帰っていった。

 ドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。


 しばらく、誰も動かなかった。


 やがて、施術室から従業員が一人、顔を出す。


 「……行きました?」


 「うん」


 それだけで、空気が少し緩んだ。


 誰かが、小さく息を吐く。


 「正直、心臓に悪いですね」


 笑いではない。

 だが、冗談でもあった。


 三上は、店内を見回した。


 いつもと同じ。

 同じ設備。

 同じ手順。


 何も変わっていない。


 それなのに――


 「……来ましたね」


 受付の声が、静かに言った。


 三上は否定しなかった。


 噂が形になった。

 形になったものは、次を呼ぶ。


 問題は、今は何も起きていないことだった。


 何も言われない。

 何も止められない。


 それが一番、先に進んでいる証拠だった。


 三上は、予約表を見た。


 来週。

 再来週。

 その先。


 空白は、ほとんど残っていない。


 「……準備、しておきましょう」


 誰に向けた言葉でもなかった。


 だが、従業員たちは、自然に頷いた。


 忙しくなる。

 確実に。


 そして次は――

 “通常の確認”では済まなくなる。


 三上は、そのことだけを胸の奥にしまい、

 次の予約の時間を告げた。


 仕事は、もう始まっていた。

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