第13話 プレミアムの夜

 三上は、できるだけ自分で覚えることにした。


 経営に必要なことは、思っていたより多かった。


 家賃と人件費、広告費。

 毎月のキャッシュフロー。

 今月あと何人来なければ赤字になるか。


 予約の入り口。

 電話とWEBの比率。

 施術の回転率。

 無理に詰め込まないためのブレーキ。


 不動産会社との連絡。

 管理会社とのやり取り。

 内装業者、機器業者、広告代理店。


 税理士。

 社労士。


 無茶な客をどう切るか。

 値引き要求をどう断るか。

 SNSで何か起きたときの一次対応。


 一つ一つは難しくない。

 だが、同時に来る。


 元オーナーとコンサルに手取り足取り教えてもらいながら、三上は必死で覚えた。

 夜、家に帰ると、頭が熱を持っていた。


 数字は嫌いじゃない。

 だが、人の感情が絡むと話が変わる。


 それでも、三か月が過ぎた頃、ようやく全体像が見えてきた。


 施術台は六台ある。

 だが、常に全部が埋まっているわけではない。


 一台は、稼働率が低い。

 無理に回すより、使い方を変えた方がいい。


 三上はそう判断した。


 内装工事を入れ、密閉度の高い個室を作る。

 防音。

 換気。

 余計な装飾はしない。


 工事中も、店は通常営業を続けた。

 誰も文句は言わなかった。


 工事が終わり、プレミアムコースを設定する。


 価格は高め。

 回転率は落とす。

 その分、静かで、時間をかける。


 研修としてのプレミアムコースは、営業終了後に行われた。


 照明を落とし、音楽も切る。

 昼間とは別の、静かな店内だった。


 最初に施術を受けた従業員が、鏡を見て言葉を失った。


 「……あ」


 声にならない音だった。

 驚きよりも、確認に近い。


 指先で頬をなぞり、もう一度、鏡を見る。

 何度も角度を変えて、確かめる。


 「すごいですね、これ……」


 営業用の「すごい」ではなかった。

 同業者として、長年、自分の肌と向き合ってきた人間の反応だった。


 順番を待つ間、他の従業員たちも、どこか落ち着かなかった。

 楽しみというより、期待を抑えきれない様子だ。


 施術が終わるたび、店の空気が少しずつ明るくなる。


 誰かが笑う。

 誰かが、いつもより声を出す。


 「化粧、薄くて済みますね」

 「朝、楽になりそう」


 そんな言葉が、自然に出ていた。


 三上は、その様子を少し離れたところから見ていた。


 数字でも、理屈でもない。

 ただ、人が素直に喜んでいる。


 それが、この店では久しぶりの光景だったことを、三上は察した。


 研修が一段落し、道具を片づけながら、誰かが言った。


 「……これ、しばらく予約、埋まりそうですね」


 独り言のような声だった。

 期待よりも、先に段取りを考えてしまう言い方だ。


 「うん」

 「忙しくなりそう」


 否定する人はいなかった。


 喜びをそのまま口にするというより、

 仕事として先を見ている感じだった。


 「詰めすぎないようにしないと」

 「間、ちゃんと取らないとですね」


 そんな言葉が続く。


 理由を説明する人はいない。

 だが、全員が同じ感覚を共有していることは、空気で分かった。


 三上は、そこでチケットを配った。


 説明は簡潔だった。

 効果は語らないこと。

 期待させないこと。


 経験の長い従業員たちは、すぐに理解した。


 「分かります」

 「それが一番、きれいですよね」


 言葉の意味は、肌の話だけではなかった。


 研修が終わり、皆が帰り支度をする中、三上は一人、店内を見回した。


 施術台。

 照明。

 まだ新しい個室。


 ここで行われているのは、単なる作業ではない。


 人が、自分の仕事に手応えを感じている。

 役に立っていると、実感している。


 三上は、その感覚に覚えがあった。


 異世界で、食料を渡したとき。

 ありがとうと言われたとき。


 同じだ、と気づく。


 これは、金の話じゃない。

 効率の話でもない。


 意味のある仕事は、楽しい。


 その単純な事実を、三上は胸の奥にしまった。


 まだ、先のことは考えない。


 今はただ、客が増えるのを待つ。


 数字がどう動くか。

 人がどう変わるか。


 だが一つだけ、確かなことがあった。


 この場所で働く人たちの表情は、

 もう、買収前とは違っていた。

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