中
キリアが選んだ場所は、ことごとくシグストに却下された。
「柔らかな砂地です」
「これは川床だ。上流で雨が降ればここは鉄砲水の通り道だ。寝ている間に流される」
「じゃあ、ここ」
「高所は吹き曝しになる。低地は湿気でずぶ濡れになる」
枝を張り出した樹の下を指すと、ようやくシグストの許可が出た。
「あの樹ならばいいだろう。もし老木なら駄目だ。風が吹くだけで倒れてくることがあるからな」
地表に拡がる根と根の間の小石を出来るだけ取り除いて一晩の宿を整地した。筒状の丈夫な防水布の中に羊毛を詰めたものが寝床だった。
「何ですかそれ」
「温石」
シグストは寝袋に温めた石を綿でくるんだものを入れて、さらに温かくしてくれた。並んで眠る野宿の寝床から仰ぐ夜空は蒼の濃淡に覆われて、眩しいほどに星がぎっしりと光っていた。
「意外な理由」
鞍の上で、キリアは噴き出した。古びた街道が細く長く、何処までも延びていた。
「近衛兵を辞してお城から出てきた理由は失恋なんだ、シグストさん」
「相手は王女だ」
むっつりとシグストは応えた。
「最初から叶うものではなかった」
「王女さまの嫁ぎ先に附いて行けばよかったのに」
「そんなことが出来るか」
シグストは口をひん曲げた。王女の輿入れから五年も経つというのに、まだ未練がありそうだった。
食事はその時々で調達方法が違った。町があればそこで。川があれば魚を、森があれば獣を狩った。シグストは弓の名手で小獣を簡単に仕留めてきたが、釣りは心得がないと云い、魚まで矢で射て獲った。
「生まれ育った邑も、カイも、『手』に奪われた。わたしが生きる目的はもうそれしかないの」
「へえ」
焚火を熾しながらきき流していたシグストは、ぼそりとキリアに云った。
「他に何かを見つけるのが、一番いい」
「あなたは」
「俺のことはいい」
「あれは何なの。『手』は」
「さあね。怪物だ。海原にも巨大な生物がいるそうだ。それは蛸に似て、船を薙ぎ払う」
怪物はたまに地上に降りてきて人間を喰らう。
「五本の触手があることから『手』と呼ばれているが、もしかしたら、あれは鳥かもしれない」
「どうやったらあれに勝てるの」
「無理だな。相手が巨大すぎる」
「それなのにシグストさんは、わたしと一緒に『手』を探してくれるの」
「『手』の巣と呼ばれている雪山を知っているからだ。そこまで案内することは出来る。それに、謝礼がよかった」
キリアがまだ起きているとは知らず、武具の手入れをしながらシグストが鼻唄をうたっていた。忘れないで、わたしの眸を忘れないで。
寝床の中でキリアは紐で首から下げている小袋に手をおいた。研磨すると美しく光る石。隣国に嫁いだ王女の王冠にもきっとこの貴石が星座のように飾られていたことだろう。
途上、『手』の討伐隊と合流することになった。北方へ向かう街道脇に停まっていた馬車から声がかかったのだ。それは王女の嫁いだ国の兵士たちだった。
「シグスト。赤鎧のシグスト殿ではないのか」
どうやら『手』と闘ったシグストは有名人のようで、賑やかに取り囲まれた。
「行先が同じならば是非」
「シグスト殿がいれば我らも心強い」
「あの国の王が、貴殿らを派遣したというのか」
シグストは形の良い眉を寄せた。
「無謀を命じられるような王ではない筈だが」
「それがな、シグスト殿」
討伐隊の隊長は声を低めてシグストに囁いた。
「お后がお産みになった王子が重篤なのだ」
「后はご無事か」シグストの顔つきが変わった。キリアはその場から離れた。王家の話に無遠慮に立ち入らない方がいい。
キリアは兵士に小突かれた。
「おい、そこの子ども」
「旅費をやるからお前は此処から退き返せ。遊びじゃないんだぞ」
追い払われそうになったキリアを、「待て」とシグストが止めた。
「『手』と闘う理由は誰よりもその子が持っている。その娘の生きる目的はそれしかない。俺が責任をもって山に連れて行く」
最初は難色を示した討伐隊の兵士たちも、キリアの身の上をきくと同情して親切にしてくれた。
「幼馴染か」
「邑も全滅したんじゃしょうがないな。けどな、足手まといになるのは俺らも困るんだよな」
「弓なら出来ます」キリアは見栄をはった。
「腕を磨いてきました。きっとお役に立ちます」
その間、シグストは横を向いていた。旅の間にシグストの前で披露したキリアの弓は、お世辞にも遣い手として褒められたものではなかったからだ。
「的が動く」
「動くものを射るのでなければ弓矢など何のためにある」
怖い顔で詰められてしまい、キリアはシグストに矢束を譲り渡していた。
しかしキリアは他にも武器を持っていた。
キリアは隠し持っているそれのことを想った。『手』に喰われ、畠ごとえぐり取られて何もかも消え失せた邑の跡地を歩いている時に見つけたのだ。剣も弓も使えないが、これならば。
討伐隊と同行をゆるされたキリアは彼らと同じ武装を望んだ。シグストは既にエデンズイの花で染め上げた赤鎧を上から下まで身に着けていた。
「シグストさん、かっこいい」
「そうだろ」
「わたしも」
「お前にはない」
そう云われたが、気の利いた兵士が布を重ねた分厚い手甲を譲ってくれた。その手甲を道端で摘んだエデンズイでキリアは赤く染めた。子ども騙しのようなものではあったが、仲間になれたようでキリアは嬉しかった。
「嫁いだ王女の産んだ第一王子が重いご病気だそうだ」
シグストの方から隊長の話をキリアに教えてくれた。
「『手』の牙を砕いて粉にしたものが、古くから妙薬として伝わっているそうだ。それがあれば王子は助かる」
それでは、『手』を斃した者がいるということではないか。
「斃したわけではない。牙を奪っただけだ」
「どうやって」
討伐隊の兵士が割って入ってきた。
「元から眉唾の伝説さ。だから王も無理をせずに必ず生還せよと仰せ下さった」
「この討伐隊は独身ばかりで構成されているのさ。死んでも後顧の憂いがないようにな。しかし俺たちには心強いことにシグスト殿がいる。シグスト殿は、『手』の指を切断した剛の者だ」
そういえば、キリアからカイを奪った『手』は、五本の指のうち一本だけが極端に短かった。
「並んだ小麦袋を斬るような手応えだった」
「斬った後、その指はどうなったの」キリアは訊いた。
「『手』が喰った」
というのがその返事だった。落ちた指は、そのまま『手』が貪り喰ったという。
「俺もその時に指を一本、失った」
それでシグストは片手に常に革手袋をはめているのだ。
「死ぬなら闘ってから死のうと決めていた。その場では死ねなかった」
「死んだら、嫁いだ方が哀しむのでは」
「どうかな。隣国の王は善政を敷くいい男だ」
シグストの返事は歯切れが悪かった。
討伐隊は鉄の槍を馬車に積んでいた。
「化け物に勝とうとは元より考えていない。牙を一本奪えばいいのだ」
「あの山だ」
日没後の遠い地平線に、山嶺が薄青い影絵となって浮き上がっていた。
カイちゃん。
よせよキリア。そんな呼び方はもう似合わないよ。
じゃあ、カイ。
同じ年に同じ邑で生まれて一緒に育った。そう呼べと云われて、そのとおりに呼んだのに、カイは照れ臭そうにして、長い間、キリアに返事をしなかった。
山の麓に到着した一行は、想像よりも険しい山を前にして途方に暮れていた。これ以上登るには、工兵と大掛かりな仕掛けが要る。
「あの狭隘を使って罠を仕掛けたらいかがでしょう」
そう云う者がいて、『手』をそこまでおびき出すことになった。
馬車から降ろした鉄槍を雪原に斜めに埋めて、蹄鉄の形を作り上げる。
「うまくいくとは想えない」
シグストは隊長に苦言を述べたが、隊長も迷った末の苦渋の決断のようだった。
キリアが焚火の前で膝を抱えていると、シグストがやって来た。
「今もまだ、生きる目的が『手』への復讐なのか」
頷くキリアに、シグストは何かを云いかけた。そこへ兵士の叫び声が上がった。
「『手』だ」
風が一段と冷たくなりそこに雪が混じった。あっという間に辺りは吹雪と変わり、キリアにはシグストの姿が見えなくなった。
》後
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