第4話

『GAAAAAAAAAA!!』


 鼓膜を破らんばかりの咆哮が、狭い洞窟内に反響する。

 初心者用ダンジョンに現れた『イレギュラー』、ジェネラル・オーガ。

 その巨体が動くたびに、地面が揺れ、天井からパラパラと岩屑が落ちてくる。


「ひっ、ひぃいいいい!?」

「う、嘘だろ……なんで魔法が効かないんだよ!?」


 D級パーティは、完全にパニックに陥っていた。

 無理もない。魔法使いが放った火の玉は、オーガの赤黒い皮膚に当たって花火のように弾け飛び、前衛の戦士が振るったロングソードは、その腕の一振りで飴細工のようにへし折られたのだから。


 格が違う。

 D級ハンター数人でどうにかなる相手ではない。B級――いや、A級に近い戦闘力を持つ怪物だ。


「逃げろ! 全滅するぞ!!」


 誰かが叫んだ。

 その声を合図に、我先にと出口へ向かって走り出す男たち。

 連携も、殿(しんがり)もクソもない。ただの蜘蛛の子を散らすような敗走だ。


「待って、置いてかないでくれぇ!」


 リーダーのゴウダが、情けない悲鳴を上げて走る。

 だが、不運にも彼が一番オーガに近い位置にいた。

 オーガがニヤリと嗤い、丸太のような腕を振り上げる。


『GRUAAA!!』


「あ、あ、ああああ……!」


 ゴウダの足がもつれる。

 背後には、死の影。

 このままでは確実に追いつかれ、ひき肉にされる。


 その時。

 ゴウダの視界に、彼らの荷物を持って淡々と走っていた俺、レンの姿が入ったらしい。


 ゴウダの顔が、恐怖から卑劣なものへと歪んだ。


「――お前が死ね!!」


「えっ」


 俺の演技をする間もなく、襟首を強く掴まれた。

 そして、全力を込めて後方へ――オーガの目の前へと突き飛ばされた。


「F級ごときが、最後に役に立てぇえええ!!」


 罵声と共に、俺の体は宙を舞う。

 ゴウダはその反動を利用して加速し、仲間たちの背中を追って闇の向こうへ消えていった。


 俺はスローモーションのような景色の中で、冷静に考えていた。


(……まあ、やると思ったよ)


 人間の本性は、極限状態でこそ露わになる。

 ゴウダのような手合いは、他人の命をチップにしてでも生き残ろうとするものだ。

 予想通りすぎて、怒りすら湧いてこない。


 ドサッ、と俺は地面に着地した。

 目の前には、巨大な暴力の塊。

 オーガは獲物が入れ替わったことを気にも留めず、邪魔な俺を踏み潰そうと足を振り上げた。


『GURU……』


 天井まで届きそうな巨体。

 踏まれれば、人間などトマトのように弾けるだろう。


 ――ただし、普通の人間ならば。


「……ちょうどいい」


 俺はパンパンと服の埃を払った。

 ゴウダたちはもう見えない。足音も遠ざかった。

 つまり、今のこの空間は『密室』だ。


 俺は振り下ろされるオーガの足を見上げ、小さく呟いた。


「『影縛り(シャドウ・バインド)』」


 ピタリ。


 映像を一時停止したかのように、オーガの動きが止まった。

 振り上げられた足は空中で固定され、痙攣している。

 地面に落ちたオーガ自身の影が、無数の触手となって巨体を雁字搦めにしているのだ。


『ガ……? GA、A……?』


 オーガが困惑の声を漏らす。

 何が起きたのか理解できていないようだ。

 俺はポケットに手を突っ込んだまま、一歩近づいた。


「悪いな。あんたが暴れると、俺の静かな生活(スローライフ)が脅かされるんだ」


 俺は右足で、トン、と地面の影を踏んだ。

 それが処刑の合図。


「『影の槍(シャドウ・ランス)』」


 ズチュンッ!!


 湿った音が一つ。

 オーガの足元の影から、鋭利な漆黒の棘が一本、凄まじい速度で突き上げられた。

 それは鋼鉄の皮膚をバターのように貫通し、心臓を穿ち、そのまま脳天へと突き抜けた。


『――――』


 断末魔すら上げられなかった。

 オーガの瞳から光が消える。

 巨体は糸が切れた人形のように崩れ落ち――霧となって消滅した。


 後に残ったのは、拳大の紫色の魔石だけ。


「……ふぅ」


 戦闘時間、わずか三秒。

 俺は転がった魔石を拾い上げ、ポケットに放り込んだ。

 上質な魔石だ。換金すれば一ヶ月は遊んで暮らせるだろう。これは俺の『特別手当』として頂いておく。


(さて、ここからが本番だな)


 俺は自分の髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、服に泥を塗りつけた。

 そして、オーガが消滅した場所の近くで、わざとらしく座り込む。


 数分後。

 洞窟の入り口の方から、恐る恐る戻ってくる足音が聞こえた。


「お、おい……音が止んだぞ?」

「あいつ、食われたか……?」


 ゴウダたちだ。

 仲間を見捨てて逃げたくせに、状況確認に戻ってくるとは、浅ましいというか何というか。


 俺は彼らの姿が見えた瞬間、体を小刻みに震わせた。


「あ、あ、あぁ……」


「――ッ!? おい見ろ、F級だ!」

「生きてる!? オーガは!?」


 ゴウダが剣を構えながら近づいてくる。

 俺の周りにオーガがいないことを確認すると、彼は目を剥いて怒鳴った。


「おいテメェ! オーガはどうしたんだよ!」


「し、死にました……!」


 俺は青ざめた顔(演技)で答えた。


「死んだ? あいつが勝手に死ぬわけねえだろ!」

「ほ、本当なんです! ゴウダさんに突き飛ばされて、もうダメだと思って目を瞑ってたら……急にオーガが苦しみだして、ドカンって倒れて、消えちゃったんです!」


「はぁ? 苦しみだした?」


 ゴウダたちは顔を見合わせる。

 わけがわからない、という顔だ。

 そこで、俺はあえて彼らに助け舟を出してやることにした。


「もしかして……ゴウダさんが逃げる前に放った『あの一撃』が、後から効いてきたんじゃないですか? ほら、遅効性の魔法剣とか……」


「あ……?」


 ゴウダがポカンと口を開ける。

 そんな高度な技、彼が使えるわけがない。

 だが、彼のチンケなプライドは、真実(F級が倒した)よりも、都合のいい嘘(自分が倒した)を選びたがっていた。


 ゴウダの表情が、徐々にニヤけ顔に変わっていく。


「そ、そうか……! やっぱりか!」

「えっ、ゴウダさん?」

「へっ、俺様の必殺技『遅延斬り』が発動したってわけよ! いやー、わざと時間差で効くようにしといたんだが、ヒヤヒヤさせやがって!」


 ……チョロい。チョロすぎる。

 取り巻きたちも「すげぇ! さすがゴウダさん!」「オーガを一撃っすか!」と掌を返して持ち上げ始める。


「おいF級! 俺のおかげで命拾いしたな。感謝しろよ?」

「は、はいっ! ありがとうございます! 一生ついていきます!」


 俺は地面に頭を擦り付けながら、影の中でほくそ笑んだ。


 これでいい。

 手柄は全部くれてやる。

 その代わり、俺は「運良く生き残った無能な荷物持ち」として、平穏な日常に戻れるわけだ。


 ――そう、思っていたのだが。


 俺たちは気づいていなかった。

 この洞窟の奥に、今の戦闘の魔力痕跡を感知する『配信ドローン』が一機、迷い込んでいたことを。

 そして、一瞬だけ映り込んだ『黒い影の槍』が、ネットの片隅で小さな波紋を呼び始めていることを。

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