第3話 言葉

 管理施設を出たところで、シアンは呼び止められた。


「今日の任務、問題なかった?」


 振り返ると、そこに立っていたのは師匠だった。


 淡い灰色を基調とした衣装。

 装飾は控えめで、魔法少女らしさを強調する意匠も少ない。

 それでも、佇まいだけで分かる。


 この人は、完成されている。


「はい」


 シアンは即答した。


「対象は抵抗しましたが、規定通り拘束、回収を完了しています」

「そう」


 師匠は頷き、視線を管理施設へ向けた。

 棚の奥まで見通すような目だった。


「……本、見た?」

「はい。管理工程も確認しました」


 師匠は、ほんの一瞬だけ、微笑んだ。

 だがそれは、感情というより、癖のような表情だった。


「触らなかったでしょう」

「はい」

「読もうともしなかった」

「はい」


 師匠は満足そうに息をつく。


「それでいい」


 彼女は歩き出し、シアンに並ぶ。


「シアン。本はね、扱い方を間違えると、すぐに人を止める」


 言葉は柔らかい。

 だが、どこか距離があった。


「考え始めるでしょう? 意味を探して、理由を欲しがって、答えに辿り着く前に立ち止まる」


 それは、どこか実感を伴った言い方だった。


「この街では、立ち止まる時間は無駄なの」

「……でも、廃棄はされていません」


 シアンは、気づけばそう口にしていた。


 師匠は歩みを止める。


「捨てる必要はないわ」


 即答だった。


「読むことが問題なだけ。本そのものは、ただの――」


 一瞬、言葉を選ぶ沈黙。


「――過去よ」


 過去。


 その言い方が、妙に静かだった。


「街が、かつて許していたもの。今はもう、必要ないけれど」


 師匠は、シアンを見た。


 その視線には、問いも、試す色もない。

 ただ、確信だけがあった。


「あなたは、魔法少女でいなさい」

「……はい」

「理解しなくていい。理解しないほうが、あなたは強い」


 それは忠告だった。

 同時に、命令でもあった。


 師匠は背を向け、出口へ向かう。


「次の任務まで、待機。今日のところは、よくやったわ」


 その背中を見送りながら、シアンは透明ケースの列を、もう一度だけ振り返った。


 本は、何も語らない。


 語らないからこそ、誰かが代わりに語っている。


 ――そのことに、まだ気づくには、

 シアンは少しだけ、若すぎた。


◆◆◆


 夜。


 楽園では、夜も昼と大きく変わらない。

 照明は一定で、作業音は途切れず、人々は決められた時間に休む。


 シアンの部屋も、例外ではなかった。


 無駄のない空間。

 簡易ベッド、端末、制服の予備。

 壁には、魔法陣の簡略図が投影されている。


 シアンはベッドに腰掛け、小さな端末を起動した。

 呪文管理用のデータベース。


 点検は定期業務だ。

 そう、自分に言い聞かせる。


 画面に、呪文一覧が並ぶ。


 ――警告文第一式

 ――拘束術簡易型

 ――制圧用宣言文


 どれも、彼女が何度も唱えてきた言葉だ。


 シアンは一つを選び、再生をタップする。


「警告。読書行為は禁止されています。

 直ちに読書を中止し、本を地面に置きなさい」


 合成音声が、淡々と読み上げる。


 それを、彼女は無音でなぞる。

 口の中で、形だけをなぞるように。


 意味は考えない。

 考える必要はない。


 ――はずだった。


 シアンは、再生を止めた。


 画面の下部に、小さな注記があるのに気づいた。


 ※引用元:旧市街資料群/分類不明


 引用元。


 今まで、気に留めたこともなかった単語。


 指が止まる。


 確認するだけだ。

 そう思って、詳細を開く。


 表示されたのは、削除済みの項目だった。

 本文は伏せられ、出典名も不明。


 ただし一行だけ、記載が残っていた。


《秩序は、人に疑問を与えない》


 それを見て、胸の奥が、わずかにざわついた。


 これは、呪文ではない。

 命令文でも、警告でもない。


 誰かの、言葉だ。


 シアンは画面を閉じた。

 すぐに。


 理解してはいけない。

 師匠の言葉が、頭をよぎる。


 ――理解しないほうが、あなたは強い。


 シアンは立ち上がり、灯りを落とした。


 ベッドに横になっても、先ほどの一文が、頭から消えなかった。


《秩序は、人に疑問を与えない》


 その言葉が正しいなら、自分が今、こうして確認していること自体が、秩序から、わずかに外れている。


 だが、魔法はまだ使える。明日も、きっと問題ない。

 そう思いながら、シアンは目を閉じた。

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