黒田節の向こう

祐里

うさぎになら

 私は、四歳から十八歳まで藤間ふじま流の日本舞踊を習っていた。「ピアノを習いたい」と伝えたはずの母が私を連れていったのが、その教室だったのだ。仕方ない、親は呉服屋を営んでいたのだから。子供を通わせるなら、日舞教室の方が売上に繋がるに決まっている。

 ピアノという希望は無視されたけれど、私は週一回のお稽古に休まず通った。当時の教室には子供が他にいなくて、大人たちに可愛がられたからだ。お菓子をもらえた。着付けをしてもらえた。何をしても「可愛いわねぇ」と褒めてもらえた。


 とはいえ私は子供の頃から身長が高く、痩せていて貧相で、顔が可愛いわけでもなかった。妹はふっくらしていて、顔もとても可愛らしかった。しかも姉の失敗を見て学びを得るため、要領が良い。

 そのことで私は悲しんだりしていなかったのに、妹も通い始めるようになってからは、大人たちにしょっちゅう「下の子の方が要領がいいからねぇ」と同情された。おそらく私は何か損を被っていたのだろう。その『損』についてはちっともわからなかったけれど、確かに妹の方が可愛がられていたというのは思い出せる。


 そんな大人たちの中に一人、気風きっぷの良い女性がいた。年齢はおそらく還暦くらい。その年頃の女性にしては大柄で、優しくて厳しい人だった。彼女の名前を仮に『石橋いしばしさん』としておく。

 石橋さんは「自分でできるようになろうね」と言って、私に着付けや着物の畳み方を教えてくれた。そして、素人の子供の目から見ても、とても舞踊が上手な人だった。女踊りは指先やつま先までしっとり優しい雰囲気なのに、男踊りになると迫力満点だったのだ。

 お稽古に行って、石橋さんがいると何だか安心した。私は彼女の上手な舞踊はもちろん、私と妹を平等に扱い、片方をむやみに可愛がったりしない姿勢も好きだった。


 日舞教室の新年会では、皆が舞踊を披露することになっていた。おめでたい演目ばかりで、その筆頭は『黒田節』。石橋さんは毎年、男踊りの黒田節を完璧に演じていた。だけどある日、私は先生に言われた。「黒田節やってみない?」と。確か小学校五年生だったと思う。私の身長は既に百五十センチに届きそうだった。

 私がそれまで習っていたのは女踊りばかりだった。でも、やりたかった。石橋さんのようにどちらも上手に踊れるようになりたくて、私は「はい」と答えた。


 黒田節は特に祝いの席で多く使われる、古くから愛されている福岡県の民謡だ。黒田くろだ長政ながまさ福島正則ふくしままさのりに「これくらいの酒も飲めないのか。この盃の酒を飲み干せば何でも褒美を取らせるぞ」と馬鹿にされ、巨大な盃の酒を飲み干して、豊臣秀吉から下賜された日本号という槍をもらうことができたという逸話が元になっている。

 以下は、『黒田節』の歌詞だ。


 酒は呑め呑め呑むならば

 本一もといちのこの槍を

 呑みとるほどに呑むならば

 これぞまことの黒田武士


『酒』などと言われても、小学校五年生にはわからない。とにかく格好良く演じたくて、ダイナミックな動きなど色々やってみた。しかしあまり上手にはなれなかった。結局、痩せていた私の舞踊は『子供ががんばって演じている』という健気さしか生み出せなかったのだ。

 先生や母や他のお弟子さんは、それでいいと思っていたはずだ。でも私は嫌だった。石橋さんに対して申し訳ない気持ちがどんどん湧いてきて、テーブルの仕出し料理は少ししか食べられなかった。


 石橋さんはその後、市民会館の大きな舞台で連獅子れんじしを演じることになった。

 連獅子は男踊りで、親子獅子の息の合った毛振りが有名だ。二人の演者が並んで観客の方を向き、長い毛を豪快に何度も何度も振り回す。頭をぐるぐると回す必要があり、難易度は高い。

「もう年だから大変よ」と石橋さんは笑っていたが、私は舞台上の素晴らしい舞踊に釘付けになってしまった。

 ちなみに私の演目は女踊りの『屋敷娘』。『黒田節』以降、男踊りはやらせてもらえなかった。


 私が十八歳で日舞教室をやめたあと、既に名取りを成功させていた石橋さんは、自分で教室を開くことになった。私は、彼女が先生ならとても素敵な教室になるだろうと思っていた。しかし、教室を開いてたった数年で、石橋さんは痴呆症になってしまった。

 母は、呉服屋の営業先として使えなくなった石橋さんに興味を持たなくなった。母の言いなりの妹も同様で、私のところに入ってくる彼女についての情報は少なかった。石橋さんと仲が良く、一緒に連獅子を演じた女性はネズミ講にはまってしまい、母もできるだけ会わないようにしていたため、石橋さんがどうしているのかなど、誰も口にしなくなった。


 きっと今はもう寿命を迎えていると思う。実家にいる頃、せめてお線香でも上げに行きたいと思っていたが、母にそういう話をしたら嫌がられるだろうと考えてしまい、とうとう言うことができなかった。


 今でも私は、ふとした時に思い出す。彼女の素敵な舞踊と、子供への接し方を。ただ可愛い可愛いだけでなく、着物の着付けや畳み方などを教えてくれたことは、今でも感謝している。母は「自分がした方が早い」と何でも自分でやってしまっていたので、本当にありがたかった。


 時々、考えるのだ。福岡県の民謡である『黒田節』について調べて知識を得れば、もしかしたら舞踊に深みが出て、あの頃より上手に演じられるのではないか。家で動画を見ながら練習できるなんて、いい時代になったのだから、石橋さんに次に会えたら披露してもいいのではないか。


 洋服で練習しないといけないからちょっと夫には見せたくない姿だけれど、飼っている老うさぎになら見られてもいいかな、と思っている。

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黒田節の向こう 祐里 @yukie_miumiu

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