第一幕 抜忍
太陽が山の西の方角へ沈む夕暮れ時。
囲炉裏に鍋をかけ、夕飯の準備をしていた千歌は、小窓から外を見て、声を上げた。
「あっ!父ちゃんが帰ってきた!」
千歌は、バタバタと戸口の方へ走ると、勢いよく、木の扉を開けた。
「父ちゃん!おかえりー!!」
「おーっ!千歌!ただいま!」
野太い声で、そう言ったのは、千歌の父親である太吉(たきち)である。
肩に大きな斧を抱えた太吉は、戸口に立つ、千歌の頭を優しく撫でる。
「父ちゃん、お客さんだよ。」
「客?」
眉を寄せ、太吉は、中へ入ると、囲炉裏の側に座っている影龍を少し、きつい眼差しで見つめた。
「影龍って言うの。山で出会ってね。あたしが用を足しているところを覗かれたのー。」
「な…にぃー!?」
ギロリと睨む太吉に、影龍は、慌てた感じに手を振った。
「いやいや、覗いてはおりませぬ!俺は……!」
焦る影龍に、太吉と千歌は、顔を見合せ、プッと吹き出した。
「分かってるさ。兄さんは、そんな奴じゃねぇ。目を見れば分かる。」
あっはははと豪快に笑いながら、そう言った太吉に、影龍は、苦笑する。
「ごめんなさいね。二人共、人をからかうのが好きなの。でも、悪気はないのよ。許してあげてね。」
「あっ…はい。」
鍋の中を木の玉じゃくしで混ぜながら、陸は、優しく微笑む。
その微笑みに、影龍は、自分の母親の面影を重ねていた。
夕飯を食べながら、影龍の話を聞いていた太吉は、湯呑みに入れた酒をグイッと、一気に飲み干す。
「そうか……一人で旅をしているのか。兄さん、若く見えるが、いくつだ?」
「十五になります。」
それを聞き、千歌は、驚いたように、声を上げた。
「十五?!あたしより、年下だったんだー。」
目をパチクリとさせている千歌に、太吉は、湯呑みに酒を注ぎながら、こう言った。
「お前が幼過ぎるんだ。十八といえば、みな、嫁に行き、子供もいる年だ。」
太吉の言葉に、陸も頷く。
「そうですよ、お千歌。もう少し、おしとやかにしないと。」
太吉は、影龍の方に視線を向けると、優しく微笑む。
「年上で、じゃじゃ馬だが、器量はいいと思うぞ。どうだ?嫁にもらってくれんか?」
その言葉に、影龍は、軽く笑って見せる。
「俺は……嫁は、いりませぬ。」
「んっー?何故だ?」
「……一人の方が楽です。」
小さく、そう答えた影龍に、太吉は、それ以上、何も言わなかった。
忍びとして生きてきた影龍には、嫁をもらうなどの考えはなかった。
しかも、今は、抜忍として、命を狙われている身の上。
嫁をもらったところで、幸せには出来ぬ事も、明日をも知れぬ命で、寂しい思いをさせるのも、影龍は、十分に分かっていた。
忍びとして生きていく事も、抜忍として生きていく事も、どちらにせよ、己の命など無いに等しいのだ。
ならば、人知れず死に、人知れず朽ちていこう。
影龍は、そう決めていた。
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