出会いと事件
初めの事件
入学式に遅刻して
(まずいです……遅刻しました!)
リアナ・アイアンハートは学園の寮から教室への道を、ひたすらに全力疾走していた。入学式当日だけあって道すがらに生徒の姿はない。
完全に寝坊だった。入学後の学園生活をベッドの中で夜遅くまで妄想していたのがまずかった。目が覚めた時には朝食の時間も過ぎており、寮内には寮母さんしか残っていなかったのだ。
それにしても本当に人がいない。在校生は全員講堂にいるのだろう。そして、教師陣も同様だ。私みたいな不良生徒を取り締まる見回りすらもいなかった。
それもそのはず。この学園は王国中の貴族が入学するレイクラウン王国の最高学府だ。
名前もそのままレイクラウン学園。王族であるレイクラウン家が主導しているため、この学園の卒業はそのまま軍や内政の重役に直結する超エリート校。そんな学校に入学する生徒は監視などせずともよいというわけだ。少なくとも表面上は。
「今から講堂に向かいましょうか……いいえ、そろそろ閉式の時間ですね。いっそ教室に向かうほうが……しかし、今日は仮面も忘れていますし……」
自身の身の振り方を考えながら講堂へひた走るリアナは、なにか不穏な空気が頬を撫でたような気がして、なんの気なしに横の中庭に視線を投げる。
視線の交錯。禍々しい魔力をたたえた獣人型の魔物がこちらを睨みながら、こん棒のような粗末な武器を構えていた。
(学園内に魔物……!?)
この学園は王国のほぼど真ん中。王都にも近い位置にある国の要所だ。当然警備も厳重なはず。そんなところに魔物がいるなんて。
一触即発の空気。さらに間が悪いことに、廊下の奥から雑踏が聞こえだした。今まさに入学式が終わって生徒が講堂から出てきているのだ。入学初日から魔物との初遭遇など、パニックが起こって二次被害につながりかねない。
この後のことを考える間もなく、体は動いていた。
「土よ!」
魔力光が中庭と廊下を切り取るように地面をなぞる。
なぞられたところが隆起して建物一階分の壁が出来上がり、即席の目隠しとなった。
魔力を足に集めて、一足飛びに壁を乗り越える。この程度の高さなら飛び越えるのも造作ない。壁の上に立つと、眼下では魔物がこちらを見上げ睨んでいた。
私の判断は至極単純。パニックが起こる前に始末してしまえばいい。
「雷光よ!」
魔力光を先導として稲光が獣人を撃つ。威力も速度も十分な雷の魔術だが、分厚い毛皮が鎧となって表面を焦がしたのみだった。
「やはり、ただの魔術ではびくともしませんね」
ですが、そんなことは織り込み済み。
土壁を降りて、魔物と相対する。
「アイアンハート家は軍人の家系です。末席である私も、人々を守るためこの力を振るいましょう!」
左手の中指に光が集まる。正確には、中指にはまった指輪に。
魔力が放つ光であるが、これより彼女が行使するのは誰もが扱えるように体系化された魔術などではない。
世界の法則すら書き換える絶対的な大魔術。文字通り“唯一無二”の彼女のみが扱える『魔法』。
『
魔力光が彼女を包む。刹那よりも短い時間で彼女の変身は完了し、まとった魔力を払いのける。
傷も汚れも一切ない鏡のような白銀の
素肌を一切さらさない鎧の表面を魔力光がなぞり、模様のようになっている。
両側面に翼のような意匠が組み込まれた兜は頭部を完全に覆っており、表情はうかがうことができない。その代わりに、彼女の瞳と同じエメラルド色の魔力光が目元をバイザーのようにして覆っていた。
元の姿でも同じ年頃の女性と比較しても高めの身長の彼女だったが、今の鎧姿は大人の男性と並んでも頭一つ分は高い。細身ではあっても長身の全身鎧の姿には、否応なく威圧感が生まれていた。
彼女が身に纏う
一般的な魔導鎧は、その性質や加工難易度から数が少なく大型化しやすい。その姿は、城砦が戦場を駆けるに等しい。しかし、彼女のものは違う。身長こそ大男のようだが、シルエットはむしろ女性のようにしなやか。見た目だけで言うならば、一般的な鎧との差異はほとんどない。
――しかし、その力は並の魔導鎧すら凌駕する。
「行きます!」
兜を通して聞こえてくるのは、男女を判別しづらい低くくぐもった声。
右手に握るのは両刃の長剣。地面をえぐるような低い踏み出しで魔物へ向かって突撃する。
魔物もただやられるだけではない。手に持った粗末なこん棒を振り下ろし、迎撃を試みている。
(無駄です!)
下段から振り抜かれた長剣は、ケーキにナイフを入れるかのような容易さでこん棒を両断した。
間髪入れず、悪あがきに振るわれた魔物の左拳を剣の柄頭で迎撃する。カウンターを受けた獣人の腕はあらぬ方向にねじ曲がり、あっという間に使い物にならなくなった。
リアナの魔法は、彼女に超人的な力を授ける。
鎧に手をかけようと伸びてきた右腕を肩口から切り落とす。
敗北を悟り、ずる賢く逃げ出そうとする魔物の胴を真っ二つに切り離し、それでもなお醜くもがく胴体の喉笛を切り裂いたところで、ようやく魔物は息絶えた。
戦いはほんのわずかな時間で決着した。土壁の奥から人々の声が聞こえるが、突然現れた土壁に困惑するものが大半だ。パニックは未然に防げたといっていい。
「さて……」
今回のこの騒動。皆さんにはどう報告いたしましょうか……。
*****
「リアナ・アイアンハートさん」
背筋を伸ばしたきれいな姿勢で椅子に座っている女性の前で、直立するリアナは肩を落として項垂れていた。
眼鏡を光らせて彼女を正視しているのは、この学園の教師であり彼女の担任でもあるマクリー先生だった。
「入学式に遅刻したのはなぜですか?」
もちろん、聞かれているのは今朝の件。あの魔物を倒したあと、教室に先回りしていたが、誤魔化せるはずもなく放課後にばっちりと呼び出されてしまった。
「あの……えっと、ね、寝坊しま、した」
言葉を上手く紡げない。つっかえながら、なんとか今朝の弁明をする。
リアナはこの学園に入学するまで、とある理由から世俗と離れた生活をしていた。
同年代どころか、一部の身内と使用人しか周りにいない生活を長く過ごしたことでコミュニケーション能力が著しく低下してしまっているのだ。特に、マクリー先生のようにしっかりとこちらを見て話をしようとする相手には大いに萎縮してしまう。
(あぁ……今日は仮面も忘れてしまいました。寝坊なんてするものではないですね……)
「正直に言ってもらえて良かったわ。ここで取り繕おうとしたなら、実家にお帰り願おうと思っていたもの」
「ヒュッ……」
思わず口から情けない音が漏れる。もしそうなったら本当に誰にも顔向けできなくなってしまう。
「ご両親からあなたのことは聞いているの。極度のあがり症で、外出のときは仮面を着けているって。今日はどうしたの?」
「わ、わす、忘れまし、た」
目の周りに軽く疲労を感じるくらいに、せわしなく眼球が動いているのがわかる。
「やっぱり。幸い、入学前の試験の成績は悪くありません。それさえ克服できれば素敵な学園生活が待っているわ。きっとね」
そう言って先生が手渡してきたのは、顔の下半分を隠すマスク型の仮面。片隅にはアイアンハート家の家紋が付いている。
「あ、ありがとうご、ございます!」
受け取ってすぐに装着する。目元が隠れている方がベストだが、マスクでも十分効果はある。
「重ね重ね、ご迷惑をおかけしました。これは、母からでしょうか」
やはり、この感覚は落ち着きます。
突然、流暢に話しだす私にマクリー先生が多少面食らったような表情をしているが、慣れてもらうしかない。
「え、ええ。もしもの時は渡してくださいと少しだけ譲っていただいたものです」
そんなやりとりがあったとは。両親にも先生にも申し訳ない気持ちが湧いてくる。
このあがり症を学園生活でどうにかして克服しなければならない。私の目標のためにも。
「とりあえず、今朝の事情は把握しました。今日の失敗は今後の評価や人間関係に影響を及ぼすものです。罰則などは設けませんが、そのことを肝に銘じて学園生活を過ごすように。いいですね?」
ただでさえ風評と信頼が重要な貴族社会において、最初の一歩で躓いてしまったようなもの。これからの生活にも実質的な足かせが付いたようなものだ。
先生もそれが分かっていて罰を与えない。
「はい。これからは心を入れ替えて精進したいと思います」
マクリー先生の眉尻が下がる。張りつめていた空気が緩んだ。今回の要件はこれで終わりということらしい。
「よろしい。それはそうと、中庭に魔物が出没した件についてなにか知らないかしら」
一瞬、言葉に詰まる。口元がぴくぴくと動いているのが感覚として分かるが、マスクのおかげで悟られることはなかった。
当然ながら私が離れてからそれほど時間が経たないうちにあの魔物の死体は学園の人々に見つかった。今後の予定などをマクリー先生が話している最中に、魔物侵入の注意喚起が全校生徒に回ってきたのだ。
私は黙秘を選択した。様々な事情があるが、今は変に悪目立ちしては困るからだ。
「……いえ、そんな非常事態なら見落とすはずないと思います」
「そう……この件は学園でも調査を進めるから、あなたたちは過度に心配しなくてもいいからね。それとリアナさん。せっかくの機会なので最後に聞きますが、この学園生活でやりたいことは何?」
これだけは即答できる。私のため、家のためにできるたった一つの事。
「婚約者を見つけることです!」
――先生の眼鏡がずれ落ちた気がした。
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