仮面令嬢の隠れた英雄譚
泳ぐ人
プロローグ 月は見ていた
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――レイクラウン王国の興り 記・建国記 第二項
千年前。この地は魔法を操る者たちによって統治されていた。しかしそれは、統治とは名ばかりの暴政であり、そこに住まう民を魔法の実験道具としてしか見ていなかった。
魔法使いたちの一声で、そこに住む民が魔物へと変容し、村は世界から消え失せる。そんな暗黒の時代だった。
悪逆を尽くす魔法使いの中においても、生まれ持った善性を失わずにいた者がいた。しかし、そんな暗い時代において彼に賛同する者はおらず、他の者に隠れてとある魔法を開発する日々を過ごしていたという。その人物の名をミラヴィス・エーリアスといった。
無限に続くかとも思えた暗黒の時代。そんな地獄を終わらせる一人の異邦の者が、偶然にもこの地を訪れた。智勇に優れ、ミラヴィスのよき友となったその人物の名はワンス・レイクラウン。
彼こそが『ミラヴィスの
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――月だけが見ていた。
誰の目にも留まらない静かな狩りを。
「Grrr……ハッ……ハッ……!!」
喉を鳴らすような音と荒い呼気が周囲に響く。
大きく発達した筋肉は分厚い毛皮に覆われ、舌を突き出した大きな口には鋭い牙がずらりと並んでいる。
ただの野生生物とは比べ物にならない凶暴性と人に害をなす習性から、彼らは『魔物』と呼ばれていた。
鋭い牙をたたえた狼のような魔物は、夜闇の中を四つ足で一目散に疾駆している。
――何かから逃げ出すように。
夜の世界を照らすのは青白い月明りのみ。どこかの貴族のものらしい庭園には、人々の営みの光は届かない。
整然とした生垣の壁を突き破り、魔物は走り抜ける。しかし、ある音を耳ざとく聞き分けた途端に目的地を変えた。
聞こえたのは、心臓の鼓動。夜闇に怯えるようにやや早いテンポで動くその音は、まだ年若い人間の女のものだ。
――餌がここにいる。
獣の本能が獲物を狙うものへ切り替わる。直前まで自分がなぜ全力疾走していたかなど、獲物の前では重要ではなくなった。
方向転換。生垣をなぎ倒し、一直線に心臓の鼓動めがけて駆ける。
少女の姿を視認する。そこで初めて、心音以外の音が耳に飛び込んできた。
『
毅然とした少女の声。まばゆい輝きが魔物の視界を一瞬遮った。
魔力の波が怪物を撫でる。その瞬間、全身の毛皮が総毛立ち、獣の思考が警鐘を鳴らした。
その魔力はまさに、彼が戦うことではなく逃げることを選択した相手のものだった。
全力で後ろへ飛びのく。鼻先を冷たい感覚が掠める。
目の前にいるのは若い女などではなかった。
月明りを受けてまぶしく輝く白銀の鎧を身にまとった長身の偉丈夫が、剣を振り切った姿で立っている。
顔面をすっぽりと覆う兜のせいでその表情はうかがい知れない。ただ、目の前の魔物を処理するという怜悧な意志だけがその姿からは感じられる。
――逃げる? 不可能。そもそも倒せばいい話だ。
獣の思考は単純ゆえに短かった。自分は捕食者だ。獲物を引き裂く鋭い爪牙も金属すらも捻じ曲げる力も負けるはずがない。そもそも自身が逃げていたことなど、とうに忘れて哀れな獣は反撃に移る。
脚部のバネを最大限に活かし、常人であれば目にも止まらぬ速度で鎧姿に跳びかかる。
断頭台の刃のように振り下ろされた長く鋭い爪は、鎧を貫くことはなかった。それどころか、腕を掴まれて勢いを完全に殺されてしまっている。
鎧姿が無造作に上げた左腕で、魔物の攻撃は受け止められていた。
片腕だけとは思えないほどの膂力で魔物の体は持ちあがる。そしてそのまま無様に投げ飛ばされ、地面に背骨から叩きつけられた。
「ギャン!!」
その悲鳴が魔物の最後の断末魔だった。
悲鳴を上げると同時に喉笛へ向けて振り下ろされた長剣が、彼の命を容易く奪い去ったのだ。
「……やはり、変身を解いたら襲ってきましたね」
低くくぐもった声が兜から響くと同時に、辺りを一瞬光が包み、鎧姿が消える。
代わりにその場所には、深緑色のブレザーに身を包み、目元を覆う仮面をつけた少女が立っていた。
エメラルド色の瞳が、仮面の奥できらりと輝く。
「今日は月が眩しいですね」
ふと、少女は誰かに見られているような視線を感じて振り向く。
そこには、魔物のせいで崩れた生垣が散乱しているのみだった。
「気のせいでしょうか?」
――月は見ていた。
立ち去る少女と、その姿を目に焼き付ける不可視の少年を。
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