第25話 新卒カード
この世には新卒カードというものがあるらしい。強力で、期限付きで、一度きりのカードだと、後から知った。だが、私のそれは使う前に蒸発していた。いつ失ったのかははっきりしない。気づいたときには、手元に何も残っていなかった。
就活が始まる少し前、母親から仕送りが届いた。茶色い封筒で、角が少し潰れていた。中には、ヨレヨレの一万円札が五枚と、短い手紙が入っていた。
「就活頑張ってね。これでスーツを買いなさい。余ったら美味しいものでも食べて元気をつけてね」
と書いてあった。文字は丁寧だったが、内容は一方的だった。
それを読んだ私は、反射的に苛立った。また指図かと思った。
「金を渡しながら、行動まで決めてくる。毒親め」
と心の中で罵った。だが、封筒は机の上に置いたままにした。突き返す理由も、別の選択肢もなかった。
結局、私はその金を持って青山に行った。スーツ売り場の照明は明るく、床はよく磨かれていた。店員に声をかけられ、採寸をされながら、私は母親の文句を一通り話した。頼んでもいないのに金を送ってくること、指図してくること、期待と管理が一緒になっていること。店員は相槌を打ちながら、無難な色のスーツを勧めてきた。私はそれを選んだ。
そうして就活には行った。スーツを着て、説明会に出て、面接も受けた。ただ、履歴書と面接で、私は思いっきり保守思想をアピールした。自分を偽るのが嫌だったというより、それ以外に押し出せるものがなかった。思想だけが、唯一の輪郭だった。
保守思想を好む企業や人は、いることはいると思っていた。だから私は、少ない保守層に向けて、一直線に投げたつもりだった。だが、現実は違った。保守的な企業ほど、Fランを相手にしなかった。門の前に立つことすら許されていなかった。
三菱も、電力会社も、インフラ系も、全部同じだった。エントリーの段階で弾かれるか、説明会にすら進めなかった。思想の以前に、学歴で話が終わっていた。私はその事実を、なかなか飲み込めなかった。飲み込めないまま、時間だけが進んでいった。
就活がうまくいかずにいると、母親が言った。
「地元に知り合いのいい企業があるから、そこにしたら」
その言葉を聞いた瞬間、私は反射的に拒否した。
「俺は歴史に名を残すのだから、地元になんか戻ったら終わるだろうが」
声は強かったが、根拠はなかった。
子供の望みも理解できない毒親っぷりに、私はうんざりしていた。倫理観がない、徳倫理がわかっていない、道徳の理解が浅い、そういう言葉が頭の中に並んだ。相手に伝えるつもりはなかった。伝わらない前提で、内側だけで整理していた。
私は両親の誕生日に、論語を送った。せめてもの親孝行のつもりだった。大学のゴミ捨て場に置かれていた、岩波書店の論語の文庫だった。表紙は少し擦れていたが、中身は読めた。
「ざまあみろ! ゼロ円で親孝行したぞ! 俺はやったぞ!」
そのときは、それで何かを返した気になっていた。
そうこうしているうちに、大学を卒業していた。卒業式の記憶は曖昧で、写真も残っていない。何かを達成した感覚はなかった。ただ、期限切れのカードを持ったまま、次の場所に移動しただけだった。
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