第12話 Discordを立ち上げる
Discordを立ち上げたのは、思いつきだった。配信だけでは足りない気がしたし、議論の受け皿が必要だとも思った。名前は無難にした。説明文も丁寧に書いた。ルールも作った。荒れないように、最初から線を引いた。
人は、ほとんど来なかった。通知は静かで、参加者一覧はすぐに覚えられる人数だった。私は歓迎のメッセージを書いた。誰も返さなかった。しばらくして、自分で補足を書いた。それにも反応はなかった。
書き込むのは、だいたい私だった。話題を投げ、補足を入れ、前提を整理する。整理すればするほど、場は静かになった。沈黙は荒らしより扱いにくい。
数日後、見覚えのある名前が入ってきた。リアリスト寄りの人だ。配信でも何度かやり取りしたことがある。その人は丁寧に挨拶をして、様子を見るように短いコメントを残した。すぐに、その仲間らしい人も来た。
彼らは気を遣っていた。露骨な否定はしない。だが、前提の置き方や言葉の選び方に、遠回しな批判が滲んでいた。
「その整理だと、現実の変数が落ちますね」
「前提を共有できていない気がします」
私は一つずつ返した。丁寧に、誠実に。だが、返すほどに苛立ちが増えた。彼らは壊そうとしていない。ただ、ズレを指摘しているだけだ。そのことが、余計に腹に残った。
彼女には、これを見せられないと思った。人数の少なさも、空気の重さも。自分が書き込み続けている事実も。見せれば、説明が必要になる。説明は、だいたい悪くなる。
それでも、通話の流れで言ってしまった。
「Discord、始めたんだよ」
言った瞬間、失敗だと分かった。
「……は? 今?」
彼女の声が一段低くなる。
「なんで、今? 人来てるの?」
私は正直に答えた。
「少しだけ」
「少しって何? また自分だけで喋ってる感じ?」
私は否定しなかった。否定できなかった。
「ほんとさ」
彼女の声が荒れる。
「なんで、そうやって居場所ばっか作ろうとするの?」
居場所、という言葉が引っかかった。私は議論の場を作ったつもりだった。だが、彼女から見れば同じことらしい。
「人がいない場所にさ」
彼女は続けた。
「自分でルール作って、正しさ並べて」
私は反論しなかった。ここで反論すると、正論になる。正論は、今いらない。
「私さ」
彼女は少し間を置いた。
「仕事、減ってる」
その言い方は、弱かった。怒りの下にある声だった。
「前みたいに来ない。修正だけで終わる案件ばっか」
私は何も言わなかった。何か言えば、慰めか正当化になる。どちらも、今は違う。
沈黙が続いた。舐め合いの気配が、そこにあった。お互いに不安で、数字が減っていて、将来が見えない。ここで「分かる」と言えば、楽になる。彼女も、少しは落ち着くだろう。
だが、私は言わなかった。分かると言うには、違いが多すぎた。
「別に」
彼女は言った。
「別れ話じゃないから」
それは宣言だった。続ける、という意味ではない。ただ、終わらせない、という意思表示だ。
「今日は」
彼女は続けた。
「この話、ここまで」
私は「うん」と答えた。
通話が終わったあと、Discordを開いた。新しい書き込みはなかった。自分の言葉だけが、時系列に並んでいる。整っているが、温度はない。
私は入力欄に何かを書きかけて、消した。居場所を作るのと、居場所にいるのは、違う。そんなことを考えたが、定義する気にはならなかった。
スマートフォンを伏せると、部屋は静かだった。舐め合いは、しなかった。しなかったことで、何かが保たれた気もした。失われた気もした。そのどちらかは、まだ分からない。
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