第11話 スラップ訴訟
肉屋が落ち目になった理由は、わりと早く分かった。某評論家の悪口を、毎回の配信で繰り返していたからだ。論点は雑で、語気は強く、名前もはっきり出していた。ある日、彼の配信が止まった。止まり方が、事故ではなかった。
スラップ訴訟らしい、という話が回ってきた。法的にどうかは分からないが、少なくとも肉屋は消えた。私はそれを知ったとき、思わず声が出た。
「ざまあみろ!」
誰に聞かせるでもなく、部屋で一人だった。数字が落ちた理由が、思想ではなく訴訟だと分かっても、その感情は消えなかった。落ちる理由は、なんでもよかったのかもしれない。
某掲示板には、肉屋の私生活の噂が並んでいた。若い子とダンス動画を撮っていたこと。仲良くしているように見えたが、相手にされていたかどうかは分からないこと。さらに、年上の既婚者と関係があったらしい、という書き込み。表現が過激で、真偽も不明だった。私は細かく読むのをやめた。
噂は、いつも過剰だ。過剰だからこそ、人は信じる。私はそれを、配信者として何度も見てきた。だが今回は、胸の奥で別の感情が動いていた。
私は童貞だった。今さら言語化するまでもない事実だ。恋愛経験も、華やかな話題もない。掲示板に書かれるような逸話は、何もない。だが、私には本があった。出版した本がある。自費出版だが、形になっている。
私は彼女に、その話をした。比較するつもりはなかった。ただ、事実として伝えたかった。
「肉屋、訴えられたらしい」
彼女は「そうなんだ」と言った。興味は薄そうだった。私は続けた。
「俺はさ、そういうトラブルはない。本は出してるし」
その言い方が、よくなかったのだと思う。彼女の呼吸が変わった。
「……それ、今言う?」
声が低くなる。
「なんで、急に比べるの? 自分はまともだって言いたいの?」
私は否定しようとしたが、言葉が追いつかなかった。比べていない、と言い切れるほど、自分の動機はきれいではなかった。
「自費出版でしょ」
彼女の声が少し荒れる。
「それで、何?」
私は言った。
「形にはなってる」
その瞬間、彼女のトーンが一段上がった。
「形? 生活は?」
メンヘラムーブが始まったのは、そのあとだった。話題が飛ぶ。感情が重なる。過去の不満が、順不同で出てくる。私は一つずつ受け止めようとしたが、順番が合わない。
「結局さ」
彼女は言った。
「他人が落ちたの見て、安心してるだけじゃん」
その言葉は、的確だった。的確すぎて、反論ができなかった。
「本があるとか」
彼女は続けた。
「それ、私の不安と関係ある?」
関係はない。だが、無関係でもない。私はその間で、言葉を探した。見つからなかった。
「もういい」
彼女は言った。
「今、その話したくない」
通話は切れなかったが、会話は終わった。私は画面を見たまま、何も言わなかった。道徳論も、正当化も、出番ではなかった。
肉屋は消えた。訴訟で。私は残った。自費出版の本と一緒に。だが、その残り方が、正しいのかどうかは分からなかった。
スマートフォンを伏せると、部屋は静かだった。他人の凋落は、自分の成功を保証しない。そのことを、ようやく認める準備ができた気がした。認めたところで、何も変わらないのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます