第7話 定義 ver違法建築

その言葉を見た瞬間、私は少し安心した。感情の話ではない。人格攻撃でもない。要求だ。要求には、応答の形式がある。私はその形式を知っている。


ノートを開いた。紙のノートだ。配信やSNSではなく、まず自分の中で整理する必要があった。定義とは、言葉を縛ることだが、同時に思考を自由にする。私はそう信じている。


まず「感情」を定義する。感情とは、判断以前に発生する反応であり、それ自体に善悪はない。ここまでは無難だ。問題は次だ。感情が行動や判断を直接支配したとき、それは「暴走」と呼ばれる。私はそう書いた。暴走という言葉に、少し迷いはあったが、他に適切な語が思いつかなかった。


次に「道徳」を定義する。道徳とは、個人の感情や利害を越えて共有される、行動の基準である。ここで私は、少しだけ筆を止めた。共有される、という部分が重要だ。共有されない道徳は、道徳ではない。


ここで「正しさ」を持ち出すと話が壊れる。正しさは結果論だ。私はそう考えている。だから私は、「態度」を中心に据えた。態度とは、感情が揺れている場面で、どのように振る舞うかという選択の連続だ。


この時点で、理論の柱は三本になっていた。感情、道徳、態度。私はそれを三角形で結んだ。三角形は安定する。少なくとも、図としては。


次に「逃げる」という言葉を定義する必要があった。逃げるとは、問題から距離を取ることではない。距離を取ること自体は、戦略だ。逃げとは、感情的負荷から目を逸らしながら、それを自覚しない態度を指す。私はそう書いた。


ここで、少し矛盾が生じていることに気づいた。私は感情的負荷から距離を取る態度を、道徳的だと考えている。一方で、それを「逃げ」と定義している。この二つは、同時に成立しない。だが、その矛盾は、あとで調整すればいい。


理論は、最初から整合している必要はない。発展の過程では、仮設が必要だ。私はそう自分に言い聞かせた。


SNSに投稿する文章を組み立てる。定義は簡潔であるべきだが、簡潔すぎると誤解される。誤解を避けるために補足を入れる。補足が増えると、定義が定義でなくなる。その境界線を、私は何度も踏み越えた。


「感情とは」「道徳とは」「態度とは」


三つ並べると、何かを説明しているように見える。見えることは重要だ。見えなければ、理解は始まらない。


私は最後に、「したがって」という言葉を使った。したがって、感情を尊重することと、感情に従うことは別であり、道徳とは後者を抑制するための枠組みである。したがって、感情的な訴えに即応しない態度は、逃げではなく誠実である。


ここで、理論は一応、閉じた。閉じたが、基礎工事が甘い。感情と道徳の関係を、態度という言葉で無理やり接続している。私はそれを「架橋」と呼ぶことにした。橋は、多少揺れても渡れる。


投稿ボタンを押したあと、少しだけ手が軽くなった。定義を求められ、定義を出した。それだけのことだ。これで議論は、次の段階に進む。


数分後、反応がついた。


「定義ありがとうございます」


それだけだった。反論も追撃もない。私はそれを、理解された兆しだと解釈した。あるいは、これ以上踏み込む価値がないと思われただけかもしれない。その可能性は考えないことにした。


画面を閉じると、部屋は静かだった。彼女はいない。通話もない。感情の波もない。ただ、理論だけが残っている。違法建築かもしれないが、今のところ倒れてはいない。


私はノートを閉じた。矛盾は残っている。だが、矛盾がある理論ほど、人は簡単に手を出さない。そういうものだと、私は思っている。


正しいかどうかは、まだ分からない。だが、定義はした。それで十分だと、その時は思えた。

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