第003話:選択して削除
男の趣味は写真だった。
といっても高価な一眼レフを買うでもなく、芸術的な写真を撮るでもなく、安価なデジカメで好きな風景を撮影するだけのお手軽なものだ。自分の近所や職場近くの街頭で、ふと偶然、誰もいない瞬間を撮影する。すると、いつもの風景が、まるで人間の存在しない異世界のように思える。生まれつき内気で、人づきあいも得意ではない男にとって、そんな風景を撮影し続けることは、ひとときの安らぎですらあった。
ある日、いつものように撮影した写真を、デジカメの小さな液晶画面で確認していると、端の方に小さく人が写り込んでいることに気付いた。近所に住む中年女だ。いつも近所の噂を嗅ぎ回り、人の家のゴミを漁り、注意されると「分別のチェックだ」と居直る、病的な噂好き女である。男もこの中年女に、いい年して独身で実家暮らしなのは、マザコンだからだ、という噂を流され、不愉快に思っていた。
――嫌なのが写っていたな。
そう思い、男は写真を選択して削除した。
数日後、母親から、件の中年女が行方不明になったと聞かされた。行方が分からなくなったのは、ちょうど写真に写っていた日であったらしい。とはいえ、あまり好きではない人間だ。男はさほど気にすることなく、話を聞き流した。
数日後、またしても偶然、写真に人が写り込んでいた。帰り際に無人の社内を撮ろうとしたところ、残業していた同僚が写り込んでいたのだ。いつもネチネチと嫌味を言い、男の仕事のミスは大声で言いふらし、自分のミスは男に押し付けて素知らぬ顔をする忌々しい奴で、デジカメに写っているのは非常に不愉快であった。男は写真を選択して削除した。
翌日、その社員が出社してこないと騒ぎが起きていることを知った男は、ふと思う。
――この前の中年女に続いて、俺の写真に写った人間が消えている。偶然とは思うが、これは不思議だ。
そうすると、試してみたい気持ちがムクムクと湧き上がる。幸いというのも変だが、社内には消えてもらいたい人間が大勢いた。内気な男は、いつも社内いじめの対象だったからだ。
こっそりと撮影しては、写真を削除する。そうすると、その人間は立ちどころに姿を消してしまうのだ。
すごい。このカメラの力は本物だぞ。
胸の高まりを感じた。男は、近所のチンピラや嫌いな人間を片っ端から盗撮しては削除していった。しかしあまり自分の生活と直結していない人間を消しても、面白くはなかった。
男は次第に万能感に酔いしれ、傲慢になっていた。少しでも気に入らないことがあると、相手を撮影して消してしまうのだ。レジの対応が悪い、自分を見る目つきが悪かった――そんな理由でさえも撮影し、写真を選択しては削除していった。
「おまえ、近頃変だぞ」
ある日、男は唯一と呼んでもいい友人に、そう責められた。
「前までは控えめで優しい奴だったのに、近頃は、あいつが気に入らないとか、消してやるとか、そんな話ばかりして、少しおかしいぞ」
友人の言葉にカッとなった男は、反射的に友人を撮影し、写真を削除した。
友人は姿を消した。
男は日に日に、周りへの猜疑心が強くなっていた。皆が自分を責めている気がしていた。友人を消したことは、男の罪悪感を強く刺激した。
「俺は、なんてことを……俺のことを思って指摘してくれた友人まで消してしまうなんて……」
日を重ねるごとに罪悪感は大きくなり、男は一日中、誰かに責められている気がした。このままでは、周りの人間をすべて消してしまうのではないかと不安になる。
「このカメラのせいで、俺は最も憎むべき、傲慢で自分勝手な人間になってしまった。そうならないことだけが、今まで生きてきた自慢だったのに」
罪悪感に潰されそうになった男は、鏡の前に立ち、そこに写る自身にカメラを向け、撮影した。そして、自らの写真を選択して削除した。
次の瞬間、鏡の前には、カメラが一つ転がっていた。
男が目を覚ますと、辺りには何もなかった。灰色の世界だった。建物も、木も、何もない。灰色の大地が、どこまでも広がっていた。地平線の彼方まで、何もない。
――いや、あれはなんだ?
男が気付いたのは、小さな集団であった。どの顔も見覚えがある。男が消し去った者たちだ。中には友人もいた。隠し撮りではなく、友人の目の前でカメラを構えてしまったため、彼には事情が飲み込めているかもしれない。そうすれば、すべて自分の仕業だとバレてしまう。
そう思った男は、罪悪感はどこへやら、そこから一目散に逃げようとした。
だが、身体がおかしい。右手を上げようとすると左手が上がり、前に踏み出そうとすると後ろに進んでしまう。思ったことと動きが、あべこべなのだ。
男は、意識とは逆に、自分が消し去った集団に向かって全速力で走っていった。
「どうしてだ!? 逃げたいのに……逃げなきゃ、逃げなきゃ……」
だが、そう思うほど、男が集団に向かって走る速度は速まるばかりである。
次第に、集団一人ひとりの顔も判別できるほど近づいてきた。誰もが皆、うつろな顔で男を見ている。
男は恐怖でパニックになりながらも、自分があべこべに動いてしまう理由に気付いた。
だが、すでに時は遅く、男は囲まれていた。少しずつ間合いを詰めてくる周囲を見渡しながら、パニック状態の男は、ひとつのことを思い続ける。
「鏡越しに自分を撮影するんじゃなかった」
完
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