第13話 秘密の薬
エメラルドはすぐさまポケットから紙とペンを取り出すと、さらさらと走り書きを始めた。
――ライオネル。帝都で薬屋を営む男。
しかし裏では、違法薬物の流通に関わっているのではないかと噂される人物。
エメラルドは、パトリシアの専属侍女であると同時に、ペンタリス公爵家直轄の諜報組織〈黒猫〉の一員でもあった。
この組織の存在を知る者は、帝都においてすら、ほとんどいない。
黒猫たちは、皇宮、貴族の家門、市場の雑踏、そして街角の情報ギルド〈シャム猫〉に至るまで、さまざまな姿に身を変え、あらゆる場所に潜伏している。
エメラルドもまた黒猫の一員として、仲間たちと密やかに情報を交わしながら、公爵令嬢パトリシアを守り続けてきた。
その働きは、ペンタリス公爵家――ひいては、フォレスト帝国の安寧をも支える、陰の力となっていた。
四人は料理を口に運び、酒を傾けながらも、意識の大半を隣のテーブルへと向けていた。
「まぁな、俺には太いお得意様がついてるからよ」
ライオネルは同席の中年男に向かって、得意げに鼻を鳴らした。
「おい……まさかやばいことに手を出してるんじゃないだろうな?」
「おいおい、ジョン。変なこと言うんじゃねぇ。そんな危ない橋を渡らなくても、俺の腕があれば、簡単に稼げるのさ」
「薬を作る腕のことか……もしや惚れ薬でも作ったか?」
ジョンが身を乗り出すと、ライオネルはくっくっと笑った。
「そんなもん作れるなら、とっくにやってるさ。だが……あれもまぁ、色っぽい薬ではあるな」
「なんだよ、もったいぶらずに教えろよ!」
「ははっ、悪い悪い。俺の金のなる木はな……」
ライオネルは足を組み直すと、声を潜めて囁いた。
「避妊薬だ。……しかも男用のな」
その言葉に、ケンシロウの眉間がぴくりと動いた。
これ以上、ご令嬢に聞かせる話ではない、とばかりに席を立とうとする。だが、パトリシアがすっと手を伸ばして制した。
帝国最強と謳われる騎士団長も、彼女の華奢な腕に抗うことはできなかった。
「ほぉ〜! で、そのお得意様ってのは誰なんだ?」
ジョンは身を乗り出し、興味津々で尋ねた。
……隣のテーブルの四人も同じだった。息を潜め、ライオネルの次の一言を待っている。
「絶対に他言するなよ?」
「ったりめぇだ! 早く教えろって」
「……エドワード・ノイヴァンさ。若くて美しい、貴公子のような侯爵様よ」
ライオネルはにたりと笑った。
「へぇっ⁉」
ジョンは目をむき、驚きの声を上げた。
「そりゃ驚いたな。俺でも名前は知ってるぞ。一年ほど前に結婚したんだろ? だったら奥さんと、まだ恋人気分を楽しんでるってわけか」
ライオネルは鼻で笑った。
「おいおい、そんな甘ったるい話をわざわざここでするか? あの貴公子様は、もう何年も前から俺の得意客なんだ。それも……毎日飲んでるんじゃないかってくらいの量でな」
「毎日⁉ じゃあ、他の貴族連中に配り歩いてるんじゃねぇのか?」
「俺もずっとそう思ってたさ。だがな、最近になって知っちまったんだ。驚きの真相をな」
ジョンの目がぎらりと光る。
「なんだよ、それ! 早く言え!」
ライオネルはにやりと口の端を吊り上げた。
「あの貴公子様はな……娼館通いの色情魔なんだとよ」
「へぇぇぇっ!」
ジョンは椅子から転げ落ちそうになった。
「この前な、高級娼館を仕切ってる顔なじみの婆さんが、即効性のある滋養強壮剤を寄こせってうちに来やがったんだ。ついでに愚痴を聞かされてよ」
「愚痴?」
「なんでも、あの旦那は馬並みだって話だ。相手した女は翌日、まともに仕事にならねぇらしいぜ」
「ひえぇ……人は見かけによらねぇなぁ」
「しかもだ」
ライオネルは声を潜める。
「とんでもねぇドケチで、心付けなんざ一度も置いたことがねぇらしい」
「金持ちなのにドケチって、最悪だな……」
「それだけじゃねぇ。あの貴公子様は最近になって、もっとヤバイことにも手を出してるって噂だ」
「ヤバイことって……いったい何だ?」
「さすがに婆さんも、そこまでは口を割らなかったが……」
ライオネルはワインを一口あおり、にやりと笑った。
「とにかく、エドワード・ノイヴァンって男は、貴公子の仮面をかぶった、とんでもねぇ野郎だってこった」
隣の話を最後まで聞き終えると、四人は同時に、重い息を吐き出した。
――エドワード・ノイヴァン。
その名を頭の中で反芻しながら、エメラルドは眉根を寄せる。
たしか彼の妻は、セントレア家の令嬢、シャーロット様だったはずだ。
セントレア家といえば、代々ペンタリス公爵家に忠誠を誓ってきた名門。
これは、看過できる話ではない――公爵様にも、必ずお伝えしなければ。
エメラルドが静かに顔を上げると、他の三人もまた、まったく同じ思いを胸に抱いていることが、一目で分かった。
『悪事はすべて、お見通し』 ~黒猫の潜入手帖~ 吉良奈都(きらなつ) @kiranatsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。『悪事はすべて、お見通し』 ~黒猫の潜入手帖~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます