第7話 キャロライン
結婚記念日から一週間ほどが過ぎたころ、由緒あるこの侯爵邸に、一人の平民女性が迎えられることとなった。
彼女の名はキャロライン。シャーロットと同じ二十二歳で、帝都で花屋を営んでいたという。すでに両親を亡くしており、残された店をエミリという若い女性と二人で切り盛りしながら暮らしていたらしい。
エドワードの命を受け、執事チャーリーが“見繕ってきた”人物である。
そして今日、キャロラインとエミリが初めて侯爵邸の敷居をまたぐ。エミリは、キャロライン付きの専属メイドとして雇われることが決まっていた。
「平民なうえに、ご両親もすでに亡くなられていて……しかも、初めてこの屋敷に来る日だというのに、侯爵様はお仕事で外出中。――侯爵様は本当に、奥様のことだけを大切にしていらっしゃるのですね」
シャーロットの髪を整えながら、メリーはご機嫌そうに言った。彼女は、自分の主を深く愛する侯爵の大ファンでもある。
「ええ、嬉しいことではあるけれど……そのキャロラインという方には、少し申し訳ない気がするわ」
エドワードから贈られた香水を手首にまとわせながら、シャーロットは小さくつぶやいた。
「たしかに……。いわば“カモフラージュ”のために利用されているだけ、ですものね」
「だからこそ、せめて私たちだけでも、できる限り良くして差し上げましょう」
「承知いたしました」
メリーは、優しい主人に仕えることができる幸せを噛みしめるように、微笑んだ。
そのとき――トントン、と軽やかなノック音が響いた。
「わたくし、キャロラインと申します」
艶やかな声が、扉越しに届く。シャーロットとメリーは思わず顔を見合わせ、互いに“来たわね”と目で合図を交わした。
本来なら事前に訪問の許可を取るものだが、平民ゆえ作法に不慣れなのだろう。そう納得しながら、シャーロットは慌てて笑顔を整える。
「どうぞ、お入りになって」
扉が開かれると、そこに立っていたのは、深紅のドレスを纏い、圧倒的な美しさを放つ女性だった。
緩やかに波打つ金髪に、深い藍色の瞳。後方には、エミリと思しき小柄で地味な女性が控えている。
二人が部屋に足を踏み入れた瞬間、濃厚なバラの香りが辺りを満たし、空気そのものを支配した。
「はじめまして、キャロラインと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って、彼女は完璧な
「こちらこそ、よろしくね。私のことは名前で呼んでくれてかまわないわ。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてちょうだい」
シャーロットが穏やかに応じると、キャロラインは「助かりますわ」と微笑み、深々と一礼して部屋を辞した。
「……そろそろ、しゃべっても?」
メリーは我慢しきれない様子で身を乗り出す。
「ええ、もう大丈夫でしょう」
小声で応じながらも、シャーロットの視線は、まだ扉のほうへ向けられていた。
「あの……先ぶれの件は、なるべく早くお伝えしておきますね。今回のように突然訪ねるのは礼を欠きますから、きちんとご理解いただかないと。それと……あの……胸元のことは、どういたしましょう」
メリーの言葉に、シャーロットは顔を歪ませる。
キャロラインのドレスは、とにかく派手で、とくに胸元が大きく開いており、見ているこちらが、はらはらするほどだった。
「難しいところね……。でも、あの胸元をエドワードに見せたくはないわ。……そうだわ、友好の証として、上品なドレスを贈るのはどうかしら」
「素晴らしいお考えです! もしかすると、キャロライン様はまだ経済的にも余裕がないのかもしれませんし、きっとお喜びになりますわ」
「そうよね。じゃあ、普段着や外出着を合わせて十着ほど用意しましょう。当面は困らないはずよ」
「まあ、奥様ったら、本当にお優しい! さっそくメゾンに連絡いたします」
目を輝かせるメリーとは対照的に、シャーロットの胸には暗い思いがよぎる。
よりにもよって、あんなにも美しい女性が来るなんて……。
だが、親を持たぬ平民に侯爵家の敷居をまたがせるには、あれくらいの華やかさが必要だったのだろう。
どれほど美しかろうと、エドワードが心を動かされなければ、それまでのこと。
彼女は私とはまるで違うタイプだし、名門侯爵家の嫡男であるエドワードが、少々品位に欠ける彼女に興味を示すとは思えない。
そう自分に言い聞かせ、シャーロットは胸のざわめきをどうにか静めた。
***
その夜――シャーロットは、エドワードとともに晩餐の席についていた。
「あの、エドワード……。彼女は……キャロライン様は、お呼びにならなくてよろしいのですか?」
今日は、キャロラインが侯爵家に迎え入れられてから、初めての夜である。
「その必要はないと思ったんだが……。君は、彼女を呼びたかったのか?」
「い、いえ、決してそういうわけでは……」
「そうか。それならいい。僕はね、君との貴重な時間を、誰かに邪魔されたくないんだ」
その一言に、シャーロットは耳まで熱くなるのを感じた。恥ずかしくなり、思わず視線を落とす。
「……あの、彼女とは、すでにお会いになったのですか?」
どうしても確かめたくて、勇気を振り絞って口を開いた。
「ああ。さっき、事前の連絡もなく執務室を訪ねてきたから、きちんと注意しておいたよ。それに、彼女のあの香りには正直まいったよ。そもそも、僕はバラの香りが苦手なんだ」
実に不快だった、そう言わんばかりの表情に、シャーロットは心底ほっとした。
「わたくし、彼女にドレスを贈ろうと思っているのです」
「君が? なぜだい?」
「その……友好の証として……」
エドワードは訝しげに眉をひそめ、しばらく考え込んだ。だがやがて、小さく息をつく。
「分かった。ならば彼女に、淑女らしい装いを教えてやってくれ」
そう結んでグラスを傾けた。
***
「ああ、やっぱり侯爵様は素晴らしいです! キャロライン様には、微塵もご興味がないご様子でした!」
そう言いながら、メリーは食後のお茶を淹れてくれた。
「そうね、わたしもそう感じたわ」
キャロラインが冷遇されているのは、誰の目にも明らかだった。
エドワードやシャーロットの部屋が、陽光差し込む東側に集められているのに対し、彼女の私室は、夕日が沈む西の端へと追いやられている。
東は、始まりと発展の方角。
西は、終わりと衰退の方角。
そうした象徴を意識しての配置であることは、察するに難くない。
「とはいえ、あまり露骨にすげなくして、逃げられても困るわ。だからこそ、こちらから気を配ってあげましょう」
「そうですね!」
メリーは、いつも通り優しい笑顔を浮かべた。
「今夜は……ようやく、少しは眠れそうだわ」
シャーロットは、新たに迎え入れられる女性がどのような人物なのかが気にかかり、ここしばらく、夜も満足に眠れずにいた。
それに、また月のものが訪れてしまったことで、心身ともに、いっそう不安定になっていたのだ。
そのせいか、胸の奥に、拭い去れぬ疑念が静かに浮かび上がってきた。
――不妊の原因は、本当にわたしにあるのかしら……?
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