第18話「鬼灯ハルは変人だ」

 とある日の昼休み。

 俺はいつものように、涼真、小鳥遊、澪と一緒に昼食を食べていた。

 手錠事件から数日が経ち、ようやく日常が戻ってきた。

 クラスメイトたちは、まだ時々あの日のことをネタにしてくるが、以前ほどではない。

「で、結局あの手錠って何だったんだ?」

 涼真が聞いてきた。

「姉貴のおもちゃだったらしい」

「おもちゃって……お前の姉貴、何考えてんだよ」

「知らん。あの姉貴の考えることは、俺にも分からん」

 俺がそう答えると、小鳥遊がクスクスと笑った。

「でも、三崎君と澪、いい雰囲気だったよね」

「そ、そんなことないよ!」

 澪が慌てて否定した。

「ただ、その……仕方なかっただけで」

「仕方なくても、一緒にお風呂入ったんでしょ?」

「お風呂は別々だよ!」

 澪は顔を真っ赤にして反論した。

 その様子を見て、俺も少し恥ずかしくなった。

 確かに、あの日のことは忘れられない。

 澪と一日中一緒にいて、色々なことがあった。

 恥ずかしかったけど、でも——楽しかった。

 そんなことを考えていると、背後から声がした。

「あら」

 聞き覚えのない、淡々とした声だった。

 振り返ると、そこにはクラスメイトの女子が立っていた。

 鬼灯ほおずきハル。

 俺たちと同じクラスの女子生徒だ。

 長い黒髪を真っ直ぐに下ろしていて、切れ長の目が特徴的だ。

 黙っていれば美人——というより、実際に美人だ。

 男子からの評判も高い。

 でも、誰も彼女に近づこうとしない。

 理由は簡単だ。

 鬼灯ハルは、変人だからだ。

「九条君」

 ハルが涼真の名前を呼んだ。

「何だよ、鬼灯」

 涼真は少し警戒した様子で答えた。

「これから3分後に、転ぶよ」

 ハルは淡々とそう言った。

「は?」

 涼真は困惑した顔をした。

「何言ってんだ、お前」

「予言」

 ハルは真顔で答えた。

「3分後、九条君は転ぶ。間違いない」

「いや、意味分かんないんだけど」

 涼真は呆れたように言った。

「俺が転ぶって、何でお前に分かるんだよ」

「観察してるから」

 ハルは簡潔に答えた。

「じゃあ、見てて」

 そう言って、ハルは少し離れた場所に移動した。

 俺たちは顔を見合わせた。

「何だ、あれ」

 涼真が呟いた。

「鬼灯、また始まったな」

 小鳥遊が苦笑した。

「始まったって?」

 俺が聞くと、小鳥遊が説明してくれた。

「鬼灯さん、時々こうやって予言するの」

「予言?」

「うん。『これから何が起こる』って言って、それが本当に当たるの」

「マジで?」

「マジ。結構な確率で当たるから、不気味なんだよね」

 小鳥遊はそう言いながら、ハルの方を見た。

 ハルは涼真をじっと見つめている。

 その目は、まるで実験動物を観察するかのような、冷静な目だった。

 三分が経った。

 涼真が席を立って、ゴミを捨てに行こうとした瞬間——。

 足が何かに引っかかった。

「うわっ!」

 涼真は派手に転んだ。

 教室中が一瞬静まり返った。

 そして——笑い声が響いた。

「九条、何やってんだよ」

「大丈夫か?」

 クラスメイトたちが涼真に駆け寄る。

 涼真は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「くそ……何に引っかかったんだ」

 足元を見ると、床に置かれていた鞄の紐が引っかかっていた。

 ハルが近づいてきた。

「ほら、言った通りでしょ」

「……マジかよ」

 涼真は信じられないという顔をした。

「お前、なんで分かったんだ?」

「観察してたから」

 ハルは淡々と答えた。

「九条君は、周りをあまり見ずに歩く癖がある。特に、ゴミ箱に向かう時は、真っ直ぐ前しか見ない」

「……」

「そして、今日のこの時間帯、あの場所には必ず誰かの鞄が置かれている。過去一週間のデータから、確率は87%」

「データって……」

「だから、九条君があのタイミングで立ち上がれば、転ぶ確率が高い」

 ハルは説明を続けた。

「ちなみに、九条君の歩幅は平均68センチメートル。ゴミ箱までの距離を考えると、ちょうどあの場所で足が引っかかる計算になる」

「お前……何者だよ」

 涼真は引いた顔をした。

「人間観察が趣味」

 ハルは表情を変えずに答えた。

「特に、九条君みたいに余裕そうに振る舞ってる人が崩れる瞬間を見るのが好き」

「趣味が怖いんだよ……」

 涼真は明らかに嫌そうな顔をした。

 俺も、少し引いた。

 確かに、鬼灯ハルは美人だ。

 でも、こういうところが変人だと言われる理由なんだろう。

「じゃあ、次」

 ハルは時計を見た。

「5分後、九条君は小鳥遊さんに話しかける」

「は?」

 涼真と小鳥遊が同時に声を上げた。

「なんで俺が小鳥遊に話しかけるんだよ」

「話しかけるから」

 ハルは断言した。

「見てて」

 五分が経った。

 小鳥遊が教科書を取り出そうとして、床に落とした。

 その瞬間、涼真が反射的に拾おうとした。

「おい、小鳥遊。落としたぞ」

「あ、ありがとう……」

 小鳥遊は困惑した顔で教科書を受け取った。

 ハルがニヤリと笑った——と思ったが、表情は変わっていなかった。

「ほら、当たった」

「いや、これは偶然だろ!」

 涼真が抗議した。

「偶然じゃない」

 ハルは首を振った。

「小鳥遊さんは、鞄の中が整理されていない。教科書を取り出す時、必ず何かを落とす確率が高い」

「……」

「そして、九条君は根が優しいから、女子が困っていたら必ず助ける」

「うるせえ」

 涼真は顔を赤くした。

「だから、この二つの条件が揃えば、九条君が小鳥遊さんに話しかける確率は95%以上」

「確率って……お前、本当に何者なんだよ」

 涼真は完全に引いていた。

 ハルは涼真の反応を観察するように見つめた。

「面白い」

「何がだよ」

「九条君の反応」

 ハルは淡々と言った。

「余裕そうに振る舞ってるのに、こうやって揺さぶられると、すぐに動揺する」

「動揺してねえよ」

「してる」

「してない」

「してる」

 二人の言い争いを見て、俺は少し笑った。

 涼真が、こんなに振り回されているのを見るのは珍しい。

 ハルは俺の方を見た。

「三崎君は?」

「え?」

「私に聞きたいことない?」

「いや、特には……」

「そう」

 ハルは少し残念そうな顔をした——気がする。

 表情があまり変わらないから、分かりにくい。

「じゃあ、東雲さんは?」

「え、私?」

 澪が驚いた顔をした。

「うん。何か聞きたいことない?」

「えっと……」

 澪は少し考えてから、聞いた。

「鬼灯さんって、どうやってそんなに当てられるの?」

「観察」

 ハルは即答した。

「人間観察をしてたら、自然に分かるようになった」

「そうなんだ……」

「人間って、思ってるより単純」

 ハルは淡々と続けた。

「癖とか、パターンとか、全部見てればだいたい予測できる」

「すごいね……」

 澪は感心したような顔をした。

 その時、涼真がふと思いついたように聞いた。

「じゃあさ、鬼灯」

「何?」

「恋愛の予言はできるの?」

 その質問に、ハルは少し考え込んだ。

「恋愛?」

「そう。例えば、誰が誰を好きになるとか、誰と誰がくっつくとか」

「……難しい」

 ハルは珍しく、少し困ったような顔をした。

「恋愛は、論理だけで説明できない部分が多い」

「へえ」

「人間の行動パターンは予測できても、感情までは読めない」

 ハルは正直に答えた。

「だから、恋愛に関しては鈍感」

「マジで?」

「マジ」

 ハルは頷いた。

「自分の恋愛も、他人の恋愛も、よく分からない」

 その言葉を聞いて、澪が少しホッとした顔をした。

 でも、同時に——少し残念そうな顔にも見えた。

 俺は澪の表情を見て、少し不思議に思った。

 何でホッとしたんだろう。

 何で残念そうなんだろう。

 その理由が、よく分からなかった。

「でも」

 ハルが続けた。

「観察していれば、いずれ分かるかもしれない」

「分かるって、何が?」

「恋愛のパターン」

 ハルは真剣な顔で言った。

「人間の恋愛にも、きっと何かしらのパターンがある。それを見つけられれば、予測できるようになるかもしれない」

「お前、本気で言ってるのか?」

 涼真が呆れたように聞いた。

「本気」

「怖いわ……」

 涼真は肩をすくめた。

 ハルは涼真の反応を観察するように見つめて、それから小さく笑った——気がした。

「じゃあ、また」

 そう言って、ハルは自分の席に戻っていった。

 残された俺たちは、顔を見合わせた。

「鬼灯、やっぱり変人だな」

 涼真が呟いた。

「でも、美人だよね」

 小鳥遊が言った。

「美人だけど、近づきたくないタイプ」

「分かる」

 俺も同意した。

 鬼灯ハルは、確かに美人だ。

 でも、あの観察眼と、あの淡々とした態度。

 それが、何だか不気味だった。

「でも、不思議だよね」

 澪が言った。

「あんなに当てられるなんて」

「ああ。本当に、何者なんだろうな」

 俺もそう思った。

 鬼灯ハルという存在は、クラスの中でも特異だ。

 誰も彼女のことを理解していない。

 理解しようともしていない。

 ただ、変人として認識されているだけ。

 でも、彼女自身はそれを気にしていないようだった。


 午後の授業が終わり、放課後になった。

 俺は澪と一緒に帰る準備をしていた。

 その時、涼真が俺の席に近づいてきた。

「なあ、遼輔」

「何だよ」

「鬼灯のこと、どう思う?」

「どうって……変人だとは思うけど」

「だよな」

 涼真は少し考え込んだ。

「でも、何か気になるんだよな」

「気になる?」

「ああ。あいつ、なんであんなに俺ばっかり観察してるんだろう」

「お前が面白いからじゃないか?」

「面白いって……」

 涼真は少しムッとした顔をした。

「まあ、確かに俺は面白いけどさ」

「自分で言うな」

 俺は笑った。

「でも、鬼灯が恋愛に鈍感っていうのは意外だったな」

「ああ。あれだけ観察眼があるのに」

「人間の感情までは読めないってことなんだろうな」

 俺がそう言うと、涼真は少し考え込んだ。

「感情、か……」

「どうした?」

「いや、何でもない」

 涼真は首を振った。

「じゃあな。また明日」

「おう」

 涼真と別れて、俺は澪と一緒に教室を出た。

 廊下を歩きながら、澪が口を開いた。

「ねえ、遼輔」

「ん?」

「鬼灯さんって、不思議な人だよね」

「ああ。本当に」

「でも、ちょっと羨ましいかも」

「羨ましい?」

「うん」

 澪は少し照れくさそうに言った。

「あんなに人のこと、ちゃんと見られるなんて」

「確かに、観察眼はすごいけど」

「私も、もっと人のこと見られるようになりたいな」

 澪はそう言って、俺の方を見た。

「特に、遼輔のこと」

「俺のこと?」

「うん」

 澪は少し恥ずかしそうに笑った。

「遼輔が何考えてるのか、もっと分かるようになりたい」

 その言葉が、妙に胸に響いた。

 澪は、俺のことを知りたいと思ってくれている。

 それが、何だか嬉しかった。

「俺も、澪のこともっと知りたいよ」

 俺がそう答えると、澪の顔が真っ赤になった。

「そ、そう……」

「ああ」

 二人で並んで、家路につく。

 今日も、色々なことがあった一日だった。

 鬼灯ハルという変人との出会い。

 涼真が振り回される姿。

 澪の「遼輔のことを知りたい」という言葉。

 全部、心に残った。

 でも、一番印象に残ったのは——。

 澪の言葉だった。

 俺のことを、もっと知りたい。

 その言葉が、ずっと胸の中で温かく響いていた。

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