第15話「俺の姉はめちゃくちゃだ」

 次の日。

 いつもと変わらない月曜日。

 学校が終わって、俺は家に帰ってきた。

 玄関のドアを開けて、靴を脱ぐ。

「ただいま」

「おかえりー」

 母親の声が返ってくる。

 リビングに入ろうとした瞬間、何となく違和感を感じた。

 いつもと何かが違う。

 その違和感の正体は、リビングに入ってすぐに分かった。

 ソファに、見覚えのある人物が寝転がっていた。

 茶色い髪を無造作に下ろして、ラフな服装。

 スマホをいじりながら、だらしない姿勢でくつろいでいる。

 三崎遼子。

 俺の姉だ。

「……何で姉貴がいるんだよ」

 俺が呟くと、遼子はこちらを見て、ニヤリと笑った。

「よう、遼輔。久しぶり」

「久しぶりって、先月会ったばっかりだろ」

「一ヶ月も会ってないなら、十分久しぶりじゃん」

 遼子は起き上がって、俺の方に向き直った。

「で、遼輔」

「何だよ」

「もう澪とは付き合ったのか?」

 その質問に、俺は思わず固まった。

「は?」

「だから、澪と付き合ったのかって聞いてるの」

 遼子はグイグイと詰め寄ってきた。

「お前ら、いい加減進展あったんじゃないの?」

「やめろバカ姉」

 俺は一歩後ろに下がった。

「第一、俺と澪は幼馴染だ。昔から何回言わせるんだ」

「バカはお前だよ、遼輔」

 遼子は呆れたように言った。

「男女揃えばカップル。これ常識ね」

「んな常識あるか、姉貴」

「あるよ。世間一般の常識」

「ねえよ」

 俺は強く否定した。

「俺と澪は、ただの幼馴染だ」

「はいはい。で、その『ただの幼馴染』と毎日一緒に登校してるわけ?」

「それは……家が隣だからだろ」

「言い訳が苦しいね」

 遼子はニヤニヤと笑った。

「で、なんで今日帰ってきてるんだよ」

 俺は話題を変えようとした。

「仕事は?」

「暇になったから帰ってきた」

 遼子は簡単にそう答えた。

「可愛い妹に会いに来たんだよ」

「妹?」

「そう。遼音に会いに来たの。誰もお前に用はねーよ」

「ひでえな」

 俺はため息をついた。

「大体、お前が帰ってくるなら連絡くらいしろよ」

「したよ。母さんに」

「俺にもしろよ」

「お前に連絡する義理ないし」

「姉弟だろうが」

「姉『弟』じゃなくて姉『妹』なの。私の大切なのは遼音だけ」

 遼子はそう言って、ソファに座り直した。

「お前はオマケ」

「オマケって……」

 俺は言葉に詰まった。

 遼子は昔からこうだ。

 距離感ゼロで、ベタベタしてくる。

 弟大好きと公言しているくせに、こうやって冷たいことを言う。

 本当に、めちゃくちゃな姉だ。

「でもさ、遼輔」

 遼子が再び口を開いた。

「本当に澪と何もないの?」

「ないって言ってるだろ」

「嘘つけ。絶対何かあるって」

「ないものはない」

「じゃあなんで、毎日一緒に帰ってるの?」

「だから、幼馴染だからだって」

「幼馴染だからって、毎日一緒にいる?」

 遼子は疑わしそうな目で俺を見た。

「普通、そこまで一緒にいないでしょ」

「俺たちは昔から一緒にいるんだよ」

「それって、もうカップルじゃん」

「カップルじゃない」

「カップルだよ」

「カップルじゃない」

「カップルだって」

「だから——」

「はいはい、分かった分かった」

 遼子は手を振って、俺の言葉を遮った。

「お前がそう言うなら、そういうことにしといてあげる」

「最初からそうしろよ」

「でもね、遼輔」

 遼子は真剣な顔で言った。

「澪、可愛いじゃん。あんないい子、逃したら後悔するよ」

「別に逃してないし」

「いや、逃してるから。お前、気づいてないだけ」

「何がだよ」

「澪の気持ち」

 遼子はそう言って、俺を見つめた。

「澪、お前のこと好きだよ。絶対」

「そんなわけ——」

「あるよ。姉の勘だから、間違いない」

 遼子は自信満々に言った。

 その言葉に、俺は少し戸惑った。

 澪が、俺のことを?

 そんなわけない。

 俺たちは幼馴染だ。

 昔から一緒にいる、ただの幼馴染。

 でも——。

 最近、澪と一緒にいると、何だか胸がざわざわする。

 それが何なのか、まだ分からない。

「まあ、いいや」

 遼子は話題を変えるように立ち上がった。

「遼輔、お茶淹れて」

「は?なんで俺が」

「弟だから」

「理不尽すぎるだろ」

「いいから早く」

 遼子はソファに座り直して、スマホをいじり始めた。

 俺はため息をついて、キッチンに向かった。

 母親が夕食の準備をしていて、俺を見て笑った。

「遼子と喧嘩してたの?」

「喧嘩じゃないけど……」

「相変わらずね、あの子」

 母親はクスクスと笑った。

「でも、遼輔のこと心配してるのよ」

「そうは見えないけど」

「見えないだけ。遼子は不器用だから」

 母親はそう言って、俺の頭を撫でた。

「お姉ちゃんの言うこと、たまには聞いてあげなさい」

「はあ……」

 俺はお茶を淹れて、リビングに戻った。

 遼子にお茶を渡すと、遼子は嬉しそうに受け取った。

「ありがと、遼輔」

「どういたしまして」

 俺は自分の分のお茶を持って、ソファに座った。

 遼子の隣に座ろうとしたが、遼子が急に俺の腕に抱きついてきた。

「うわ、何すんだよ!」

「いいじゃん。久しぶりに会ったんだから」

「離れろって!」

「嫌だ」

 遼子は俺の腕にしがみついたまま、離れようとしない。

「姉貴、マジでウザいんだけど」

「ウザくないもん」

「ウザいから」

「ウザくない」

「ウザい」

「ウザくないって言ってるでしょ」

 遼子は頬を膨らませた。

 その仕草が、何だか子供っぽくて、俺は思わず笑った。

「何笑ってるの」

「いや、姉貴が子供っぽいなって」

「子供っぽくないもん」

「十分子供っぽいから」

「うるさい」

 遼子は俺の腕を強く抱きしめた。

「これが愛情表現なの」

「愛情表現が迷惑なんだよ」

「迷惑じゃないもん」

 二人で言い争っていると、階段から足音が聞こえた。

 遼音が降りてきた。

「遼子姉……」

 遼音は遼子を見て、少し嬉しそうな顔をした。

「遼音!」

 遼子は俺の腕を離して、遼音に駆け寄った。

「久しぶり!大きくなったね!」

「そんなに変わってないよ」

「いや、変わってる。可愛くなってる」

 遼子は遼音を抱きしめた。

 遼音は少し恥ずかしそうにしていたが、嫌がってはいなかった。

「遼子姉、いつまでいるの?」

「今日だけ。明日の朝には帰る」

「そっか……」

 遼音は少し残念そうな顔をした。

「でも、今日は一緒にいられるから」

「うん」

 遼子と遼音が話している様子を見て、俺は少しホッとした。

 遼子が帰ってくると、いつも賑やかになる。

 うるさいし、ウザいけど、でも悪くない。

 家族が揃うって、やっぱりいいものだ。

「ねえ、遼輔」

 遼子が俺の方を見た。

「今日の夕飯、一緒に食べよ」

「そのつもりだけど」

「じゃあ、決まり」

 遼子は満足そうに頷いた。


 夕食の時間になって、家族四人でテーブルを囲んだ。

 母親が作った料理が並んでいて、いい匂いが漂ってくる。

「いただきます」

 四人で同時に言って、食事を始めた。

 遼子は相変わらずよく喋る。

 仕事の話、同僚の話、最近あった面白い出来事。

 色々な話題を次々と話していく。

「で、遼音」

 遼子が遼音に向かって言った。

「彼氏とかできた?」

「い、いないよ」

 遼音は顔を赤くして否定した。

「そっか。でも、可愛いから、すぐできるよ」

「そんなこと……」

「いやいや、本当に。遼音、めっちゃ可愛いもん」

 遼子は遼音の頭を撫でた。

 遼音は少し照れくさそうにしていた。

「じゃあ、遼輔は?」

 遼子が俺の方を向いた。

「彼女できた?」

「いない」

「澪は?」

「だから、澪は幼馴染だって」

「はいはい」

 遼子は笑いながら、また話題を変えた。

 夕食の時間は、賑やかで楽しかった。

 遼子がいると、いつもこうだ。

 うるさいけど、でも楽しい。

 それが、俺たちの家族だった。


 夕食が終わって、リビングでくつろいでいた。

 遼子は相変わらずソファに寝転がって、スマホをいじっている。

 遼音はテレビを見ていて、俺は宿題をしていた。

「ねえ、遼輔」

 遼子が突然声をかけてきた。

「何だよ」

「お前、澪のこと本当に好きじゃないの?」

「……なんでまたその話」

「気になるから」

 遼子は真剣な顔で言った。

「お前、絶対澪のこと好きだと思うんだけど」

「だから、違うって」

「本当に?」

「本当だよ」

 俺はそう答えたが、心のどこかで迷っていた。

 澪のこと、好きなのか?

 その答えは、まだ分からない。

 でも、一緒にいると楽しい。

 それだけは、確かだ。

「まあ、いいけどさ」

 遼子はため息をついた。

「でも、後悔しないようにね」

「後悔って?」

「澪、いい子だから。他の男に取られても知らないよ」

「……」

 その言葉が、妙に心に引っかかった。

 澪が、他の男と?

 それは——嫌だ。

 なんで嫌なのか、理由は分からない。

 でも、確かに嫌だった。

「まあ、お前が決めることだけどね」

 遼子はそう言って、また横になった。

 その後、しばらく三人でリビングで過ごした。

 遼子は遼音に色々話しかけていて、遼音も嬉しそうに応じている。

 俺も時々会話に混ざりながら、宿題を続けた。

 そんな様子を、母親がキッチンから見ていた。

 三人が仲良くしている姿を見て、母親は思わず笑顔になった。

 遼子が帰ってきて、家族が揃った。

 こういう時間が、一番幸せなんだろうな。

 そう思いながら、母親は夕食の片付けを続けた。


 夜、自分の部屋に戻った。

 ベッドに座って、今日一日を振り返る。

 遼子が突然帰ってきて、色々と言われた。

 澪のこと。

 彼女のこと。

 幼馴染のこと。

 全部、遼子に言われて、改めて考えさせられた。

 俺は、澪のことをどう思っているんだろう。

 幼馴染として?

 それとも——。

 答えは、まだ分からない。

 でも、一つだけ分かったことがある。

 澪が他の男と一緒にいるところを想像すると、嫌な気分になる。

 それが、何を意味しているのか。

 考えるのをやめて、俺はベッドに横になった。

 今日も、色々なことがあった一日だった。

 遼子は相変わらず、めちゃくちゃだ。

 でも、それが俺の姉だ。

 そう思いながら、俺は目を閉じた。


 翌朝、遼子は早くに家を出た。

「じゃあね、みんな。また来るから」

「気をつけてね」

 母親が見送る。

「遼輔、澪のこと、ちゃんと考えなよ」

 遼子は最後にそう言って、玄関を出ていった。

 その言葉が、また心に引っかかった。

 澪のこと、ちゃんと考える。

 それって、どういうことだろう。

 答えは、まだ分からなかった。

 でも、いつか分かる時が来るんだろう。

 そう思いながら、俺は学校に向かう準備を始めた。

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