第14話「妹との買い物は大変だ」

 数日後の日曜日。

 二学期が始まってから、初めての休日だった。

 今日はバイトも入っていないし、特に予定もない。

 ——いや、一つだけあった。

 遼音との買い物だ。

 以前、妹と約束していた買い物の日が、ついにやってきた。

 俺は朝、いつもより少し遅めに起きた。

 時計を見ると、午前九時。

 休日にしては、まあまあ早い時間だ。

 部屋を出て、階段を降りる。

 リビングに入ると、既に遼音がダイニングテーブルに座っていた。

 でも、いつもと様子が違う。

 遼音の表情が、明らかに機嫌が良さそうだった。

「おはよう」

「……おはよう、お兄」

 遼音は短く答えたが、その声にはいつもの冷たさがなかった。

 むしろ、少し弾んでいるような気がする。

「今日、買い物だったな」

「うん」

 遼音は小さく頷いた。

 母親がキッチンから顔を出して、ニヤニヤと笑った。

「遼音ちゃん、今朝からルンルンで服を選んでたのよ」

「母さん!」

 遼音は顔を赤くして抗議した。

「そんなこと言わないでよ」

「だって本当のことじゃない」

 母親はクスクスと笑った。

「遼輔とのお出かけ、楽しみにしてたんでしょ」

「別に……普通だし」

 遼音は視線を逸らした。

 でも、その頬は少し赤くなっていた。

 俺は少し意外に思った。

 遼音が、こんなに楽しみにしてくれていたなんて。

 普段はツンツンしているのに、本当は今日のことを待っていてくれたんだな。

「じゃあ、俺も準備するか」

 朝食を食べて、身だしなみを整える。

 遼音は既に準備万端のようで、リビングで待っていた。

 今日の遼音は、いつもの部屋着ではなく、外出用の服を着ていた。

 白いブラウスに、紺色のスカート。

 髪も丁寧にまとめていて、いつもよりちょっとだけおしゃれをしている。

「準備できたぞ」

「うん」

 遼音は立ち上がって、鞄を持った。

「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。楽しんできてね」

 母親に見送られて、俺たちは家を出た。


 駅に向かって歩きながら、遼音と他愛もない会話を交わした。

「今日、何買うんだ?」

「服。あと、靴も見たい」

「そうか」

「お兄は?何か買うものある?」

「いや、特にないけど」

「じゃあ、付き合ってくれるだけでいい」

 遼音はそう言って、少し照れくさそうに俯いた。

 駅に着いて、切符を買う。

 ショッピングモールまでは、電車で三駅ほどの距離だ。

 ホームに着くと、ちょうど電車が来た。

 二人で乗り込んで、空いている席に座る。

 日曜日の朝ということもあって、車内はそれなりに混んでいた。

 買い物に向かう家族連れ、カップル、学生たち。

 休日の車内は、いつも賑やかだ。

 遼音は窓の外を見ながら、何か考え込んでいるようだった。

「どうした?」

「別に」

 遼音は短く答えた。

「ただ、久しぶりにお兄と二人で出かけるなって思って」

「そうだな」

「最近、お兄、澪さんとばっかりいるから」

 遼音は少し不満そうに言った。

「私と出かけること、少なくなってたし」

「ああ……悪かったな」

 俺は少し申し訳ない気持ちになった。

 確かに、最近は澪と過ごす時間が多かった。

 遼音と二人で出かけるなんて、久しぶりかもしれない。

「でも、今日は一緒だからな」

「……うん」

 遼音は小さく頷いた。

 その横顔が、少しだけ嬉しそうに見えた。

 電車が走り始めて、数分経った頃だった。

「あれ?」

 前方から声が聞こえた。

 見ると、クラスメイトの女子が立っていた。

 確か、名前は山田だったか。

 一組の女子で、結構社交的な性格だった気がする。

「三崎君だ。こんなところで会うなんて」

 山田がこちらに近づいてきた。

「あ、ああ。偶然だな」

「買い物?」

「まあ、そんなところ」

 山田は俺の隣に座っている遼音を見た。

「隣の子は?」

「妹だ」

 俺はそう答えた。

「妹?三崎君に妹いたんだ」

 山田は驚いたような顔をした。

「パッと見、彼女かと思っちゃった」

 その言葉に、俺は固まった。

 彼女?

 遼音が?

 それは、ありえない。

「いや、妹だって」

「ごめんごめん。でも、二人並んでると、カップルみたいに見えるよ」

 山田はニヤニヤと笑った。

 遼音の顔が、一気に真っ赤になった。

「や、やめてください!」

 遼音が慌てて声を上げた。

「お兄を彼氏だと間違えられるの、嫌なんです!」

「あ、ごめんね。怒らせちゃった?」

「怒ってないです!ただ、その……」

 遼音は言葉に詰まった。

 山田はクスクスと笑って、俺たちをもう一度見た。

「よく見ると、確かに似てるね。でも、パッと見じゃ分からなくて」

「まあ、妹だからな」

「そっか。じゃあね、三崎君。また学校で」

 山田はそう言って、次の駅で降りていった。

 電車のドアが閉まって、車内に静寂が戻る。

 遼音は相変わらず顔を赤くしたまま、窓の外を見ていた。

「遼音」

「何」

「お前、顔真っ赤だぞ」

「う、うるさい」

 遼音は頬を膨らませた。

「お兄のせいで、変な誤解されたんだから」

「俺のせいじゃないだろ」

「だって、お兄が隣にいるから……」

 遼音は小さな声で呟いた。

「何?」

「何でもない」

 遼音はそれ以上何も言わなかった。

 でも、その表情は、どこか複雑そうだった。


 ショッピングモールに到着して、俺たちは中に入った。

 休日ということもあって、店内は人で賑わっていた。

「さて、どこから見るか」

「まず、服を見たい」

 遼音はそう言って、ファッションフロアに向かった。

 俺も後を追って、一緒にエスカレーターに乗る。

 三階のファッションフロアに着くと、たくさんの服屋が並んでいた。

 遼音は目を輝かせて、店を物色し始めた。

「この店、可愛い服が多いって聞いたんだ」

「そうか」

 遼音が選んだ店に入る。

 店内には、色々な種類の服が並んでいた。

 遼音は真剣な顔で、一つ一つ服を見ていく。

「お兄、これどう思う?」

 遼音が一着の服を手に取って、俺に見せた。

 ピンク色のワンピースだ。

「似合うんじゃないか?」

「本当?」

「ああ」

 遼音は嬉しそうに笑って、試着室に向かった。

 数分後、遼音が試着室から出てきた。

 ピンク色のワンピースを着た遼音は、いつもとは違う雰囲気だった。

 普段は部屋着ばかりで、こういう服を着た姿を見ることは少ない。

「どう?」

「……似合ってるよ」

 俺が答えると、遼音の顔が少し赤くなった。

「そ、そう……」

 遼音はもう一度鏡を見て、服を確認した。

「これ、買おうかな」

「いいと思うぞ」

「じゃあ、決めた」

 遼音はワンピースを脱いで、元の服に着替えた。

 レジで会計を済ませて、次の店に向かう。

 それから、俺たちは何軒も服屋を回った。

 遼音は色々な服を試着して、俺に意見を求めてくる。

 最初は面倒だと思っていたが、意外と楽しかった。

 遼音が嬉しそうにしている姿を見ると、こちらまで嬉しくなる。

「お兄、疲れてない?」

「まあ、大丈夫だ」

「ごめんね。付き合わせちゃって」

「いや、別にいいよ」

 俺がそう答えると、遼音は少しホッとした顔をした。

「じゃあ、もうちょっとだけ付き合って」

「おう」

 服を何着か買った後、遼音は靴屋に向かった。

 スニーカーやサンダル、ブーツなど、色々な靴が並んでいる。

「この靴、可愛くない?」

 遼音が白いスニーカーを手に取った。

「いいんじゃないか」

「じゃあ、試着してみる」

 遼音は店員に頼んで、試着させてもらった。

 白いスニーカーは、遼音の足にぴったりだった。

「これにする」

「決まりか」

「うん」

 遼音は満足そうに頷いた。

 靴を買った後、フードコートで休憩することにした。

 二人でテーブルに座って、飲み物を買ってきた。

「疲れたな」

「ごめんね、お兄」

「いや、別に。お前が楽しそうだったから、よかったよ」

 俺がそう言うと、遼音は少し照れくさそうに笑った。

「ありがとう」

「何がだよ」

「付き合ってくれて」

 遼音は真剣な顔で言った。

「私、今日すごく楽しかった」

「そうか。それならよかった」

「お兄と二人で買い物するの、久しぶりだったから」

 遼音は少し寂しそうに笑った。

「最近、お兄、澪さんとばっかりいるから」

「ああ……」

 俺は少し申し訳なく思った。

「悪かったな。これからはもっと遼音とも時間作るよ」

「本当?」

「ああ」

 遼音は嬉しそうに笑った。

「約束だからね」

「分かってる」

 二人で飲み物を飲みながら、しばらく休憩した。

 その後、もう少し店を見て回って、最終的に帰ることにした。


 帰りの電車の中。

 遼音は買った服や靴の入った袋を抱えて、満足そうな顔をしていた。

「今日は、ありがとう、お兄」

 遼音が小さな声で呟いた。

 その声は、いつもよりずっと柔らかかった。

「ん?今何か言った?」

 俺が聞き返すと、遼音は慌てて顔を逸らした。

「何でもない」

「そうか?」

「何でもないって言ってるでしょ」

 遼音はむくれたような顔をした。

 でも、その表情は、いつもよりずっと穏やかだった。

 そして、その言葉は——。

 いつもよりも、上機嫌に聞こえた。

 遼音が楽しんでくれたなら、それでいい。

 俺は窓の外を見ながら、そう思った。

 家に着いて、玄関のドアを開ける。

「ただいま」

「おかえりー」

 母親の声が返ってくる。

 リビングに入ると、母親が嬉しそうに俺たちを迎えた。

「どうだった?楽しかった?」

「うん。楽しかった」

 遼音は素直にそう答えた。

「いっぱい買ったわね」

「お兄が色々選んでくれたの」

「そう。遼輔、ありがとうね」

 母親は俺に向かって笑った。

「遼音、すごく楽しみにしてたのよ」

「そうなのか」

「ええ。昨日の夜も、何着ていこうかずっと悩んでたし」

「母さん!」

 遼音は顔を赤くして抗議した。

「そんなこと言わないでよ」

「でも本当のことじゃない」

 母親はクスクスと笑った。

 遼音は恥ずかしそうに、自分の部屋に駆け上がっていった。

 その後ろ姿を見て、俺は少し笑った。

 遼音、本当に楽しんでくれたみたいだな。

 そう思うと、何だか嬉しくなった。


 自分の部屋に戻って、ベッドに座る。

 今日一日を振り返った。

 遼音との買い物。

 最初は正直、少し面倒だと思っていた。

 でも、実際に行ってみると、意外と楽しかった。

 遼音が色々な服を試着して、嬉しそうにしている姿。

 俺に意見を求めてくる姿。

 全部、可愛かった。

 妹として、だけど。

 電車での出来事も思い出した。

 クラスメイトに、遼音が彼女に見えたと言われた時。

 遼音が必死に否定していた姿。

 あれは、何だったんだろう。

 本当に嫌だったのか?

 それとも、照れていただけなのか?

 考えても、答えは出なかった。

 でも、一つだけ分かったことがある。

 遼音は、俺との時間を大切に思ってくれている。

 それが、何より嬉しかった。

 これからも、遼音との時間を大切にしよう。

 そう思いながら、俺は目を閉じた。


 その頃、遼音は自分の部屋で買った服を広げていた。

 鏡の前で、もう一度ワンピースを合わせてみる。

 お兄が「似合ってる」と言ってくれた服。

 その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

 今日、お兄と二人で過ごせた時間。

 それが、遼音にとっては何よりも嬉しかった。

 最近、お兄は澪のことばかり。

 それが、少し寂しかった。

 でも、今日は違った。

 今日は、お兄が遼音だけを見てくれた。

 それだけで、十分だった。

 電車でのこと。

 クラスメイトに、彼女だと間違えられたこと。

 あの時、遼音の心臓は激しく跳ねた。

 彼女だなんて、ありえない。

 お兄は、遼音の兄だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 でも——。

 もしも、もしもだけど。

 お兄と、兄妹じゃなかったら。

 そんなこと、考えてしまう。

「バカみたい」

 遼音は小さく呟いた。

 そんなこと、考えても意味がない。

 お兄は兄で、遼音は妹だ。

 それは変わらない事実だ。

 でも、今日の時間は、特別だった。

 お兄と二人で過ごせた時間。

 それを、遼音は大切にしまい込んだ。

 また、こうやって二人で出かけられる日が来るといいな。

 そう願いながら、遼音は買った服を丁寧にしまっていった。

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