第13話「愛情の弁当はいつもよりも美味しい」

 午前中の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴った。

 教室は一気に賑やかになる。

 弁当を取り出す生徒、購買に走る生徒、友達と話し込む生徒。

 いつもの昼休みの光景だ。

 俺は鞄から弁当を取り出そうとして——手が止まった。

「あれ?」

 鞄の中を探る。

 教科書、ノート、筆箱、財布。

 でも、弁当がない。

「嘘だろ……」

 もう一度、念入りに探した。

 でも、やっぱりない。

 弁当を、忘れてきたらしい。

「どうした、遼輔」

 涼真が声をかけてきた。

「いや……弁当忘れた」

「マジで?」

「ああ。今朝、確かに持ったと思ったんだけど」

「それは災難だな」

 涼真は同情するように言った。

「購買、行くか?」

「そうするしかないな」

 俺はため息をついた。

 その時、澪が席を立って、こちらに歩いてきた。

「遼輔、お弁当忘れたの?」

「ああ。完全に忘れた」

「じゃあ、これ」

 澪は自分の弁当箱を差し出した。

「え?」

「今日、お弁当作りすぎちゃって。全然食べきれないから、一緒に食べない?」

「でも、それお前の——」

「いいの。一人じゃ食べきれないし」

 澪は笑顔でそう言った。

「遼輔が食べてくれた方が、嬉しいから」

 その言葉に、俺は少し戸惑った。

 澪の弁当を分けてもらう。

 それって、何だか特別な感じがする。

 でも、断る理由もない。

「じゃあ、お言葉に甘えるよ」

「うん!」

 澪は嬉しそうに頷いた。

 俺と澪は、涼真と小鳥遊が座っているテーブルに向かった。

 四人で昼食を食べるのは、最近の日課になっている。

「よう、東雲さん」

 涼真が挨拶した。

「こんにちは、九条君」

「小鳥遊も」

「うん」

 四人でテーブルを囲んで、それぞれ弁当を開いた。

 澪が弁当箱の蓋を開けると、色とりどりのおかずが並んでいた。

 卵焼き、唐揚げ、ウインナー、ミニトマト、ブロッコリー、それにおにぎり。

 見た目も美しく、美味しそうな匂いが漂ってくる。

「うわ、すごい」

 俺は思わず声を上げた。

「これ、全部澪が作ったのか?」

「うん。今朝、張り切って作ったの」

 澪は少し照れくさそうに笑った。

「でも、作りすぎちゃって」

「確かに、これは一人じゃ多いな」

「でしょ?だから、遼輔と一緒に食べられてよかった」

 澪は嬉しそうに弁当を俺の前に置いた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 俺は箸を手に取って、まず卵焼きを食べてみた。

 口に入れた瞬間——。

「うまい」

 思わず声が出た。

 卵焼きは、ふわふわで優しい甘さがあった。

 出汁が効いていて、でもしつこくない。

 完璧なバランスだ。

「本当?」

 澪の顔がパッと明るくなった。

「嬉しい。頑張って作ってよかった」

「これ、マジで美味いぞ」

 俺は続けて唐揚げも食べた。

 衣はサクサクで、中はジューシー。

 味付けも絶妙で、ご飯が進む。

「唐揚げも最高だ」

「よかった」

 澪は満足そうに笑った。

「遼輔に美味しいって言ってもらえると、すごく嬉しい」

「これだけ美味かったら、そりゃ褒めるよ」

 俺は次々とおかずを口に運んだ。

 どれも本当に美味しくて、あっという間に食べ進めてしまう。

「でも、特に卵焼きが気に入った」

「卵焼き?」

「ああ。これ、絶品だよ」

「そっか。じゃあ、また作るね」

 澪は嬉しそうに頷いた。

 その笑顔を見て、俺も自然と笑顔になる。

 澪の弁当を食べていると、何だか心が温かくなる。

 それは、ただ美味しいからだけじゃない。

 澪が分けてくれたという、その気持ちが嬉しいんだ。

 そう思った。


 その様子を見ていた涼真と小鳥遊は、顔を見合わせた。

 涼真は小さくため息をついて、小鳥遊に目配せをした。

 小鳥遊も同じように、呆れたような顔をしている。

 (これがカップルじゃないなら、何なんだよ)

 涼真は心の中で呟いた。

 遼輔と澪が一緒に弁当を食べている姿は、どう見てもカップルだ。

 楽しそうに会話をして、笑い合って。

 その空気感は、明らかに特別なものだった。

 でも、当人たちは全く気づいていない。

 遼輔は相変わらず「幼馴染だから」と言い続けているし、澪はそれを受け入れてしまっている。

 (本当に、鈍感なんだから)

 涼真はもう一度ため息をついた。

 小鳥遊も同じことを考えているようで、小さく首を振っていた。

 (あの二人、いつになったら気づくのかな)

 小鳥遊は心の中で呟いた。

 澪が遼輔のことを好きなのは、明らかだ。

 遼輔に美味しいと言ってもらえて、あんなに嬉しそうにしている。

 その表情は、友達としてのそれじゃない。

 完全に、恋する女の子の顔だ。

 でも、遼輔は気づかない。

 相変わらず、幼馴染としか見ていない。

 (はあ……)

 小鳥遊も小さくため息をついた。

 涼真と小鳥遊は、もう一度顔を見合わせた。

 そして、同時に思った。

 (これは、まだまだ時間がかかりそうだな)

 でも、それでもいい。

 二人がゆっくりと、自分たちの気持ちに気づいていけばいい。

 急ぐ必要はない。

 そう思いながら、涼真と小鳥遊は自分たちの弁当を食べ始めた。


 昼休みが終わり、午後の授業が始まった。

 最初の授業は数学だ。

 俺はノートを開いて、先生の説明を聞いた。

 でも、いつもよりも集中できている気がする。

 澪の弁当を食べて、お腹も満たされたし、気分も良かった。

 それに、澪が分けてくれた弁当は、本当に美味しかった。

 特に、卵焼き。

 あの優しい味が、まだ口の中に残っている気がする。

 (また食べたいな)

 そんなことを考えながら、俺は授業に集中した。

 数学の問題を解いて、ノートに書き込んでいく。

 いつもなら、午後の授業は眠くなるのに、今日は全然眠くない。

 澪の弁当のおかげかもしれない。

 そう思うと、何だか嬉しくなった。

 次の授業は英語。

 長文読解の問題を解きながら、俺はふと澪の方を見た。

 澪は真剣な顔で、ノートに何か書いている。

 その横顔を見て、俺は思った。

 澪は、本当に優しい。

 弁当を忘れた俺に、自分の弁当を分けてくれた。

 それも、嫌な顔一つせず、嬉しそうに。

 そんな澪が、俺は好きだ。

 ——いや、待て。

 好き?

 今、何て思った?

 俺は慌てて頭を振った。

 好きって、友達として、だ。

 幼馴染として、だ。

 それ以上の意味じゃない。

 そう自分に言い聞かせた。

 でも、心のどこかで、小さな疑問が残っていた。

 本当に、それだけなのか?

 その答えは、まだ分からなかった。


 放課後、俺は家に帰った。

 玄関のドアを開けて、靴を脱ぐ。

「ただいま」

「おかえりー」

 母親の声が返ってくる。

 リビングに入ると、母親と遼音が並んでソファに座っていた。

 何だか、二人で密談していたような雰囲気だ。

「どうした?」

「ん?何でもないわよ」

 母親はニヤリと笑った。

「今日、お弁当忘れたでしょ」

「ああ……ごめん」

「いいのよ。ちゃんと食べられた?」

「うん。澪が分けてくれた」

「そう。よかったわね」

 母親は意味深に笑った。

 その笑顔が、何だか怪しい。

「何か企んでるだろ」

「企んでないわよ」

 母親は白々しく答えた。

 俺は疑わしそうに母親を見たが、それ以上は追及しなかった。

 自分の部屋に戻って、鞄を置く。

 制服を脱いで、部屋着に着替えた。

 ベッドに座って、今日一日を振り返る。

 朝、城崎先生に絡まれて。

 昼、澪の弁当を食べて。

 午後、いつもより集中して授業を受けられた。

 充実した一日だった。

 特に、澪の弁当が美味しかったのが印象に残っている。

 (また食べたいな)

 そう思いながら、俺は目を閉じた。


 その頃、リビングでは母親と遼音が話していた。

「ねえ、遼音」

 母親が小声で言った。

「実はね、今日遼輔のお弁当をこっそり抜いておいたの」

「え?」

 遼音は驚いた顔をした。

「どういうこと?」

「澪ちゃんのママにね、『今日遼輔、弁当忘れたていで行かせるから、澪ちゃんに多めにお弁当作らせてね。で、遼輔と一緒に食べるよう仕向けるのよ』って言ったの」

「お母さん……」

 遼音は呆れたような顔をした。

「そんなことして、大丈夫なの?」

「大丈夫よ。まさか本当に上手く行くなんてね」

 母親は満足そうに笑った。

「澪ちゃん、きっと喜んでたわよ」

「お兄、全然気づいてないみたいだけど」

「それでいいのよ。気づかれたら、恥ずかしがるでしょ」

 母親はクスクスと笑った。

「でもね、これで少しは二人の距離が縮まったと思うの」

「そうかな」

「そうよ。遼輔、澪ちゃんの弁当、すごく美味しかったって言ってたでしょ」

「言ってたね」

「それって、嬉しいことじゃない」

 母親は優しく笑った。

「遼輔も澪ちゃんも、少しずつ前に進んでる。それを見守るのが、親の役目なのよ」

「はあ……」

 遼音はため息をついた。

「お母さん、本当に色々考えてるんだね」

「当たり前よ。息子の恋愛くらい、応援してあげないと」

「でも、お兄、全然気づいてないよ」

「それでもいいのよ。いつか気づく時が来るわ」

 母親は確信を持ってそう言った。

「その時まで、私たちは見守っていればいいの」

「分かった」

 遼音は小さく頷いた。

 でも、心の中では複雑な気持ちだった。

 お兄が澪さんのことを好きになる。

 それは、遼音にとっても嬉しいことだ。

 澪さんは優しいし、お兄にぴったりだと思う。

 でも、少しだけ寂しい。

 お兄が澪さんのものになってしまうような気がして。

 (バカみたい)

 遼音は心の中で呟いた。

 お兄には、幸せになってほしい。

 それが一番大事なことだ。

 自分の寂しさなんて、二の次だ。

 そう思いながら、遼音は立ち上がった。

「私、部屋に戻るね」

「はーい」

 母親の声を背に、遼音は二階に上がっていった。


 その頃、澪の家では——。

 澪が母親と一緒にリビングにいた。

「お母さん」

 澪が嬉しそうに言った。

「今日のお弁当、遼輔に美味しいって言ってもらえたよ」

「本当?よかったわね」

 澪の母親は優しく笑った。

「特に、卵焼きが美味しかったって」

「そう。じゃあ、また作ってあげないとね」

「うん!」

 澪は満面の笑みを浮かべた。

「遼輔、すごく喜んでくれて。私も嬉しかった」

 澪は少し照れくさそうに言った。

「そう」

 母親は優しく澪の頭を撫でた。

「澪、遼輔君のこと、本当に好きなのね」

「うん……」

 澪は小さく頷いた。

「でも、遼輔は私のこと、幼馴染としか見てないから」

「そんなことないわよ」

「え?」

「遼輔君、きっと澪のこと、特別に思ってるわ」

「どうして?」

「だって、今日のお弁当、あんなに喜んでくれたんでしょ」

「それは……お母さんの料理が美味しかったからだよ」

「それだけじゃないわ」

 母親は優しく笑った。

「澪が分けてくれたから、嬉しかったのよ」

「本当に?」

「本当よ」

 母親は確信を持ってそう言った。

「遼輔君も、少しずつ澪のことを意識し始めてると思うわ」

「そうだといいな……」

 澪は小さく呟いた。

 母親は澪の肩を優しく抱いた。

「大丈夫よ。きっと、上手くいくから」

「うん」

 澪は母親に寄りかかって、目を閉じた。

 遼輔に美味しいと言ってもらえた。

 それだけで、今日は最高の一日だった。

 また明日も、遼輔と一緒に学校に行ける。

 また、遼輔と話せる。

 それが、澪にとっての幸せだった。


 全てを知らない遼輔は、自分の部屋で宿題をしていた。

 今日あった出来事を思い返しながら、ノートに問題を解いていく。

 澪の弁当。

 あの美味しさが、まだ忘れられない。

 特に、卵焼き。

 優しい味で、心が温かくなった。

 (また食べたいな)

 そう思いながら、俺は宿題を続けた。

 母親と澪の母親が企んでいたことも知らずに。

 ただ、澪の弁当が美味しかったという事実だけが、俺の心に残っていた。

 それだけで、十分だった。

 そう思いながら、俺は今日の終わりを迎えた。

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