第12話「俺たちの担任教師は人気だ」

 翌日の朝。

 いつものように目覚まし時計が鳴り、俺はベッドから這い出した。

 制服に着替えて、階段を降りる。

 リビングでは既に遼音が朝食を食べていて、母親がキッチンで朝の準備をしていた。

「おはよう」

「おはよう、お兄」

 遼音は短く挨拶を返して、またスマホをいじり始めた。

 俺は席に座って、トーストを頬張る。

 いつもと変わらない朝。

 でも、今日は何となく気分が良かった。

 昨日、澪と色々な思い出話をしたからかもしれない。

 朝食を終えて、家を出る。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 玄関を出ると、既に澪が待っていた。

「おはよう、遼輔」

「おはよう」

 いつもの挨拶を交わして、二人で歩き始める。

 昨日と同じように、澪と並んで学校へ向かう道を歩いた。

「今日も暑くなりそうだね」

 澪が空を見上げながら言った。

「ああ。まだ夏の暑さが残ってるな」

「でも、朝はちょっと涼しくなってきたよね」

「確かに。秋が近づいてるのかもな」

「そうだね」

 他愛もない会話を交わしながら、歩き続ける。

「そういえば、遼輔」

「ん?」

「昨日の数学の宿題、やった?」

「ああ。まあまあ難しかったけど、何とかなったよ」

「よかった。私もやったけど、自信ないんだよね」

「また見せてやるよ」

「本当?ありがとう」

 澪は嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、俺も自然と笑顔になる。

 昨日も思ったけど、澪と一緒にいると自然体でいられる。

 気を遣わなくていいし、何でも話せる。

 それが、幼馴染の良さなんだろう。

「ねえ、遼輔」

「ん?」

「今日の放課後、また勉強教えてくれる?」

「いいけど、何の教科だ?」

「英語。長文読解がまだ苦手で」

「分かった。じゃあ、放課後図書館な」

「うん。ありがとう」

 澪は満足そうに頷いた。

 学校の門が見えてきた。

 既に多くの生徒たちが登校していて、校舎に向かって歩いている。

「さて、また一日が始まるか」

「うん。頑張ろうね」

 二人で校舎に入った。

 廊下には、たくさんの生徒たちがいた。

 友達同士で話し込んでいる人、急いで教室に向かう人、ロッカーで靴を履き替えている人。

 いつもの朝の風景だ。

「そういえば、今日の体育って何やるんだっけ?」

 澪が聞いてきた。

「確か、バスケだったと思う」

「バスケか。苦手なんだよね」

「まあ、頑張れよ」

「遼輔、体育得意だもんね」

「別に得意ってほどじゃないけど」

「謙遜しないでよ。遼輔、運動神経いいじゃん」

 澪はクスクスと笑った。

「私なんて、すぐ息切れしちゃうのに」

「それは運動不足なんじゃないか?」

「運動不足じゃないもん」

「いや、絶対運動不足だろ」

「失礼だな」

 澪は頬を膨らませた。

 その仕草が可愛くて、俺は思わず笑った。

「何笑ってるの」

「いや、お前が可愛いなって」

 その言葉が口から出た瞬間、俺は固まった。

 今、何て言った?

 可愛いって?

 澪の顔が真っ赤になった。

「か、可愛いって……」

「あ、いや、その」

 俺も慌てて言葉を探した。

「幼馴染として、可愛いなって思っただけで」

「そ、そうなんだ……」

 澪は少ししょんぼりとした表情になった。

「幼馴染として、か……」

 その声が、何だか寂しそうに聞こえた。

 でも、俺はそれ以上何も言えなかった。

 二人で気まずい空気のまま、廊下を歩き続ける。

 その時だった。

「あら」

 後ろから声がした。

 振り返ると、そこには担任の城崎陽子先生が立っていた。

 城崎先生。通称、ヨーコちゃん。

 生徒たちからそう呼ばれている、俺たちのクラスの担任だ。

 黒髪のロングヘアをポニーテールにまとめていて、丸眼鏡をかけている。

 清楚系の美人で、第一印象は「できる大人の女性」という感じだ。

 でも、実際はかなり面倒見が良くて、生徒想いの先生だ。

 ただ、一つだけ問題がある。

 城崎先生は、リア充が大嫌いなのだ。

 そして今、俺たちが楽しそうに話しているのを見られた。

「はい、そこ!」

 城崎先生の声が、廊下に響いた。

 俺と澪は同時に顔を見合わせた。

 (やばい)

 二人とも同じことを思った。

 城崎先生がこちらに向かってくる。

 その顔は、明らかに機嫌が悪かった。

「三崎、東雲」

「は、はい」

 俺たちは同時に返事をした。

 城崎先生は俺たちの前に立って、腕を組んだ。

「あんたたち、朝から何イチャイチャしてるの?」

「イチャイチャなんてしてません」

 俺が慌てて否定した。

「ただ話してただけです」

「話してた『だけ』?」

 城崎先生は疑わしそうな目で俺を見た。

「私が見た限りでは、かなり楽しそうだったけど?」

「それは……友達として、です」

「友達ねぇ」

 城崎先生はため息をついた。

「いい?校内でイチャイチャするんじゃないの。分かった?」

「だからイチャイチャなんて——」

「私だってまだそこまで行ってないんだからな」

 城崎先生は俺の言葉を遮って続けた。

「お前らだけ青春満喫してるとか、許せないわけ」

「先生……」

「成績落とすぞ、二人とも」

「それは理不尽です」

 俺が抗議すると、城崎先生は不敵に笑った。

「理不尽?理不尽で結構。私は担任だから、何でもできるの」

「そんな……」

 澪が困ったような顔をした。

 その様子を見て、周囲の生徒たちがニヤニヤと笑い始めた。

「またヨーコちゃん、機嫌悪いぞ」

「三崎と東雲、可哀想に」

「でも、いつものことだよな」

 クラスメイトたちの声が聞こえてくる。

 どうやら、これは日常茶飯事らしい。

 確かに、城崎先生は定期的にこうやって機嫌を悪くする。

 特に、カップルっぽい生徒を見つけた時は、容赦ない。

「まあ、今回は注意だけで済ませてあげる」

 城崎先生は眼鏡を直しながら言った。

「でも、次見つけたら本気で怒るからね」

「はい……」

 俺たちは力なく返事をした。

 城崎先生は満足そうに頷いて、職員室の方に歩いていった。

 その後ろ姿を見送ってから、俺はため息をついた。

「大変だったな」

「うん……」

 澪も疲れた様子で答えた。

「でも、先生、いつものことだよね」

「ああ。慣れたもんだ」

 俺たちは教室に向かって歩き始めた。

 周囲の生徒たちは、まだニヤニヤと笑っている。

「三崎、大変だったな」

「ヨーコちゃんに目をつけられたら、終わりだぞ」

「お前ら、楽しそうだな」

 俺が皮肉を言うと、クラスメイトたちは笑った。

「まあまあ。ヨーコちゃんも本気で怒ってるわけじゃないって」

「そうそう。ただ、リア充が羨ましいだけだから」

「先生も大変なんだよ、きっと」

 クラスメイトたちはそう言って、それぞれの教室に向かっていった。


 教室に着いて、俺と澪はそれぞれの席に座った。

 涼真が既に席に着いていて、俺を見てニヤリと笑った。

「よう、遼輔。朝からヨーコちゃんに絡まれてたな」

「見てたのか」

「見てたっていうか、廊下中に聞こえてたぞ」

「マジか」

「まあ、いつものことだけどな」

 涼真は肩をすくめた。

「ヨーコちゃん、本当にリア充嫌いだよな」

「ああ。でも、俺たちはリア充じゃないんだけど」

「周りから見たらリア充だろ」

「そうなのか?」

「そうだよ。毎日一緒に登校して、休み時間も一緒にいて」

 涼真は呆れたように言った。

「どう見てもカップルじゃん」

「だから、俺たちは——」

「幼馴染、だろ?分かってるって」

 涼真は俺の言葉を先取りした。

「でも、周りはそう思ってないからな」

「はあ……」

 俺はため息をついた。

 何度説明しても、誰も信じてくれない。

 俺と澪は、ただの幼馴染だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 でも、それを理解してくれる人は、ほとんどいないようだった。


 チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。

 城崎先生が教室に入ってきて、教壇に立つ。

「はい、おはよう」

「おはようございます」

 クラス全員で挨拶をした。

 城崎先生は出席を取り始めた。

 でも、その表情は、まだ少し機嫌が悪そうだった。

 さっきのことを、まだ引きずっているのかもしれない。

「はい、全員いるわね」

 城崎先生は出席簿を閉じて、クラスを見渡した。

「今日も一日、頑張りましょう」

「はーい」

 クラス全員で返事をした。

 でも、城崎先生の表情は相変わらず冴えない。

「あ、そうそう」

 城崎先生は思い出したように言った。

「今週末、文化祭の準備があるから、忘れないようにね」

「はーい」

「クラスの出し物、もう決まった?」

「まだです」

 誰かが答えた。

「じゃあ、早めに決めてね。他のクラスはもう動き始めてるから」

「分かりました」

 城崎先生は少し考えてから、続けた。

「それと、校内でのイチャイチャは禁止だからね」

 その言葉に、クラス全員が笑った。

「先生、それさっきも言ってましたよ」

「何度でも言うわよ。私が見てる限り、許さないから」

 城崎先生は真剣な顔で言った。

「みんな、青春を謳歌するのは結構だけど、節度を持ってね」

「はーい」

 クラス全員で返事をした。

 でも、みんな笑っている。

 城崎先生の「リア充嫌い」は、もはやクラスの恒例行事になっていた。

「じゃあ、ホームルーム終わり。一時間目の準備して」

 城崎先生は教室を出て行った。

 その背中を見送りながら、俺は思った。

 城崎先生は、確かに人気がある。

 面倒見が良くて、生徒想いで、面白い。

 美人だし、親しみやすい。

 でも、なぜかモテない。

 それが、城崎先生の不思議なところだった。

「ヨーコちゃん、今日も機嫌悪かったな」

 涼真が隣から言った。

「ああ。さっき廊下で絡まれたからな」

「お疲れさん」

「まったくだ」

 俺は教科書を取り出しながら、窓の外を見た。

 青空が広がっていて、雲が一つ、ゆっくりと流れていた。

 今日も、いつもと変わらない一日が始まる。

 城崎先生に絡まれたり、涼真にからかわれたり、澪と一緒に過ごしたり。

 そんな、当たり前の日常。

 でも、その当たり前が、実は一番大切なのかもしれない。

 そう思いながら、俺は授業の準備を始めた。


 一時間目の授業が始まった。

 国語の授業だ。

 先生が教科書を開いて、説明を始める。

 俺はノートを取りながら、時々窓の外を見た。

 澪は真剣な顔で授業を聞いている。

 その横顔を見て、俺はふと思った。

 さっき、俺は澪のことを「可愛い」と言った。

 あれは、本心だったのかもしれない。

 澪のことを、可愛いと思っている。

 でも、それは幼馴染として、だ。

 恋愛感情じゃない。

 そう自分に言い聞かせる。

 でも、本当にそうなのか?

 その答えは、まだ分からなかった。

 授業が進む中、俺は自分の気持ちと向き合おうとした。

 でも、答えは出なかった。

 ただ、一つだけ分かったことがある。

 澪と一緒にいる時間は、やっぱり心地いい。

 それだけは、間違いなかった。


 休み時間になって、俺は席を立った。

 トイレに行こうと思ったが、廊下で城崎先生とすれ違った。

「あ、三崎」

「先生」

「さっきはごめんね。ちょっと機嫌悪くて」

 城崎先生は少し申し訳なさそうに言った。

「いえ、大丈夫です」

「でも、校内でイチャイチャするのは本当にダメだからね」

「だからイチャイチャなんて——」

「はいはい、分かってるわよ」

 城崎先生は笑いながら、俺の頭を軽く叩いた。

「まあ、青春を楽しみなさい。後悔しないように」

「先生……」

「じゃあね」

 城崎先生はそう言って、職員室に向かって歩いていった。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は思った。

 城崎先生は、確かに変わった人だ。

 リア充を嫌うくせに、生徒の青春は応援してくれる。

 不思議な先生だけど、悪い人じゃない。

 むしろ、良い先生だと思う。

 そう思いながら、俺は教室に戻った。

 今日も、いつもと変わらない一日。

 でも、その中に小さな変化が、少しずつ生まれている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る