第11話「今日の帰り道は自然と心地よかった」

 学校を出て、いつもの帰り道を歩く。

 二学期が始まった初日。まだまだ学校生活のリズムに体が慣れていない頃だ。

 澪と並んで、住宅街の道を歩く。

 夕方の空気は少し涼しくて、夏の終わりを感じさせた。

「今日の数学、難しかったね」

 澪がぽつりと言った。

「ああ。先生の説明、ちょっと早かったな」

「だよね。ノート取るので精一杯だった」

「後で見せてやるよ。俺のノート」

「本当?ありがとう、遼輔」

 澪は嬉しそうに笑った。

 こんな会話を交わしながら、二人でゆっくりと歩く。

 特別な話題があるわけじゃない。

 ただ、今日あったことを話したり、明日の予定を確認したり。

 そんな、何気ない会話。

 でも、それが心地よかった。

「ねえ、遼輔」

「ん?」

「私たち、いつからこうやって一緒に帰ってるんだろうね」

 澪の言葉に、俺は少し考えた。

「そういえば、いつからだろうな」

「覚えてる?初めて会った時のこと」

「初めて?」

 俺は記憶を辿った。

 澪と初めて会ったのは——確か、保育園の頃だ。

「保育園の時だったよな」

「うん。私の家が、遼輔の家の隣に引っ越してきた時」

 澪は懐かしそうに笑った。

「覚えてる?あの時、私すごく緊張してたんだよ」

「そうだっけ?」

「うん。新しい場所で、知らない人ばかりで」

 澪は少し照れくさそうに続けた。

「でも、遼輔のお母さんが優しくて。すぐに家に招いてくれて」

「ああ、そういえば」

 俺もぼんやりと思い出してきた。

 母親が隣に新しい家族が引っ越してきたと言って、嬉しそうにしていたこと。

 そして、その家族を家に招いたこと。

「あの時、お前の両親とうちの親が、昔からの友人だったんだよな」

「そう。偶然の再会だったらしいよ」

「だから、すぐに仲良くなったのか」

「うん。でも、私と遼輔は最初、お互い人見知りで全然話せなかったよね」

 澪がクスクスと笑った。

「覚えてる?リビングで、お互い端っこに座って、ずっと黙ってたの」

「ああ……」

 俺もその光景を思い出して、少し恥ずかしくなった。

「確かに、全然話さなかったな」

「でも、保育園で同じクラスだって分かって、少しずつ話すようになったよね」

「そうだったな」

 澪は楽しそうに話を続けた。

「最初に一緒に遊んだの、覚えてる?」

「え、何だっけ?」

「砂場だよ。遼輔がお城作ってて、私がそれを手伝ったの」

「ああ、そうだったか」

 記憶の奥底から、その光景が蘇ってきた。

 砂場で一生懸命に山を作っていた俺。

 そこに、澪がそっと近づいてきて、一緒に砂を盛り始めた。

 最初は何も言わずに、ただ黙々と作業をしていた。

 でも、それが楽しかった。

「あの時、遼輔がすごく真剣な顔してたから、声かけていいのか迷ったんだよ」

「そうなのか?」

「うん。でも、勇気出して近づいたら、遼輔が『一緒にやる?』って聞いてくれて」

 澪は嬉しそうに笑った。

「あの時、すごく嬉しかったの」

「そうだったんだ」

「うん。それから、毎日一緒に遊ぶようになったよね」

「ああ。鬼ごっことか、かくれんぼとか」

「ブランコも一緒に乗ったよね」

「お前、あの時ブランコ怖がってたよな」

「だって、高く漕ぐの怖かったんだもん」

 澪は少し拗ねたように言った。

「でも、遼輔が隣で一緒に乗ってくれたから、怖くなくなったの」

「そうだっけ?」

「うん。遼輔、いつも優しかったから」

 澪の言葉に、俺は少し照れくさくなった。

 優しかったって、別に特別なことをしたわけじゃない。

 ただ、一緒に遊んでいただけだ。

「そういえば、よくお前の家に遊びに行ってたよな」

「うん。遼輔の家にも、よく遊びに行ってたけど」

「ああ。姉貴と妹も一緒に」

「遼子さんと遼音ちゃんね」

 澪は懐かしそうに笑った。

「四人でよく遊んだよね」

「遼音、あの頃はまだ小さかったけど、必死についてきてたな」

「可愛かったよね」

「今は全然可愛げないけど」

「そんなことないよ。遼音ちゃん、今でも可愛いよ」

 澪は優しく笑った。

「ただ、お兄ちゃんに対してツンツンしてるだけ」

「それが問題なんだよ」

 俺がそう言うと、澪はまた笑った。

「でも、遼音ちゃん、遼輔のこと大好きだと思うよ」

「そうかな」

「うん。だって、いつも遼輔のこと気にしてるもん」

 澪の言葉に、俺は少し考えた。

 確かに、遼音は俺のことをよく見ている気がする。

 口では色々文句を言うけど、本当は心配してくれているのかもしれない。

「まあ、妹だからな」

「うん」

 二人でしばらく黙って歩いた。

 でも、その沈黙は心地よかった。

 無理に話す必要もなく、ただ並んで歩く。

 それだけで、十分だった。

「ねえ、遼輔」

 澪が再び口を開いた。

「覚えてる?小学校の時、遠足で山に登ったこと」

「ああ、あったな」

「あの時、私が途中で疲れちゃって、もう歩けないって泣いたの」

「そうだったな」

 俺も思い出して、少し笑った。

「お前、すぐ泣くから大変だったんだぞ」

「だって、本当に疲れてたんだもん」

 澪は少し恥ずかしそうに言った。

「でも、遼輔が手を引いて、一緒に歩いてくれたよね」

「ああ。先生に怒られるかと思ったけど」

「でも、先生も優しかったよね。『二人で頑張ってね』って」

「そうだったな」

「あの時、遼輔の手、すごく温かかったの」

 澪はそう言って、少し俯いた。

「それで、最後まで登れたんだよ」

「まあ、幼馴染だからな」

 俺がそう答えると、澪は少しだけ寂しそうに笑った。

「うん……幼馴染だから、だよね」

 その表情に、何か引っかかるものを感じたが、すぐに話題が変わった。

「あ、そういえば」

 澪が明るい声で言った。

「小学校の時、プールで遊んだこと覚えてる?」

「プール?」

「うん。夏休みの時、学校のプール開放があって」

「ああ、あったな」

「あの時、遼輔と水かけ合って遊んだよね」

「そうだっけ?」

「うん。私が負けて、びしょ濡れになったの」

 澪は笑いながら言った。

「でも、すごく楽しかった」

「お前、あの時も泣いてなかったか?」

「泣いてない!」

 澪は慌てて否定した。

「ちょっと悔し泣きしただけ」

「それを泣いたって言うんだよ」

「う、うるさいな……」

 澪は頬を膨らませた。

 その仕草が、昔と全然変わっていなくて、俺は思わず笑った。

「何笑ってるの」

「いや、お前、昔と変わってないなって」

「え?」

「すぐ拗ねるところとか」

「拗ねてない」

「今も拗ねてるじゃん」

「拗ねてないもん」

 澪はますます頬を膨らませた。

 その姿を見て、俺はまた笑った。

 やっぱり、澪は昔と変わっていない。

 表情も、仕草も、話し方も。

 全部、昔のままだ。

 でも、それが何だか安心する。

 変わらないものがあるって、悪くない。

「ねえ、遼輔」

「ん?」

「私たち、ずっとこうやって一緒にいたよね」

「ああ」

「保育園の頃から、小学校、中学校、そして今」

 澪は少し感慨深そうに言った。

「ずっと、隣にいた」

「まあ、家が隣同士だしな」

「そうだけど」

 澪は少し笑った。

「でも、それだけじゃないよね」

「どういう意味だ?」

「だって、小学校の高学年の時とか、中学一年の時とか、クラスが別だったでしょ」

「ああ、そうだったな」

「あの時、ちょっと距離ができちゃったよね」

 澪はしょんぼりとした声で言った。

「一緒に過ごす時間が減って、会話も減って」

「そうだったかな」

「うん。私、あの時ちょっと寂しかった」

 澪の言葉に、俺は少し驚いた。

「寂しかったのか?」

「うん。遼輔と話せる時間が減って、何だか……」

 澪は言葉を濁した。

「でも、中学二年でまた同じクラスになって、また昔みたいに話せるようになって」

「そうだったな」

「嬉しかったんだよ。また、遼輔と一緒にいられるようになって」

 澪は笑顔でそう言った。

 その笑顔を見て、俺は思った。

 澪にとって、俺は特別な存在なのかもしれない。

 幼馴染として。

 昔から一緒にいる、大切な存在として。

 でも、それは俺も同じだ。

 澪と一緒にいると、落ち着く。

 何でも話せるし、気を遣わなくていい。

 それは、長い時間を一緒に過ごしてきたからだろう。

 幼馴染だから。

 ただ、それだけのことだ。

 そう思いながら、俺は歩き続けた。

「そういえば、遼輔」

「ん?」

「小学校の時、一緒に帰る時、よく寄り道したよね」

「したな。公園とか」

「うん。遊具で遊んだり、虫を探したり」

「お前、虫苦手なくせに、よく一緒に探してたな」

「だって、遼輔が楽しそうだったから」

 澪は少し照れくさそうに言った。

「遼輔が楽しそうにしてると、私も嬉しくなるの」

「そうなのか」

「うん」

 澪は静かに頷いた。

 その横顔を見て、俺は何となく胸が温かくなった。

 澪は、俺が楽しそうにしていると嬉しい、と言った。

 それって、どういう意味だろう。

 幼馴染として?

 それとも——。

 考えかけて、俺は頭を振った。

 深く考えすぎだ。

 澪は幼馴染だ。

 昔から一緒にいる、大切な存在。

 でも、それ以上でもそれ以下でもない。

 そう自分に言い聞かせた。

「家、見えてきたね」

 澪が言った。

 前を見ると、確かに二人の家が見えてきた。

 隣同士に並んだ、見慣れた家。

「そうだな」

「今日も、ありがとう。一緒に帰ってくれて」

「別に、いつも通りだろ」

「うん。でも、やっぱり嬉しいの」

 澪は笑顔でそう言った。

「遼輔と一緒に帰る時間、私すごく好きだから」

「そうか」

「うん」

 澪は照れくさそうに笑った。

「じゃあ、また明日ね」

「ああ」

 二人はそれぞれの家の玄関に向かった。

 澪が自分の家のドアを開けて、中に入る前に、もう一度こちらを振り返った。

「ばいばい、遼輔」

「じゃあな」

 澪は笑顔で手を振って、家の中に入っていった。

 俺も自分の家に入って、玄関でため息をついた。

 今日の帰り道も、楽しかった。

 澪と昔話をして、笑い合って。

 何気ない時間だったけど、心地よかった。

 そう思いながら、俺は靴を脱いだ。


 澪は自分の部屋に戻って、ベッドに座った。

 今日も、遼輔と一緒に帰れた。

 それだけで、心が満たされる。

 遼輔と話す時間は、いつも楽しい。

 昔の思い出を振り返って、笑い合って。

 何も変わらない、いつもと同じ時間。

 でも、それが嬉しい。

 澪はベッドに寝転がって、天井を見上げた。

 遼輔は、昔から変わっていない。

 優しくて、頼りになって、一緒にいると安心する。

 保育園の頃も、小学校の頃も、中学の頃も。

 そして今も。

 ずっと変わらない。

 その変わらなさが、澪にとっては何よりも大切だった。

 遼輔の笑顔。

 遼輔の声。

 遼輔の優しさ。

 全部、昔と変わらない。

 でも、澪の気持ちは変わった。

 いつからか、遼輔を見る目が変わった。

 幼馴染として見ていたはずの遼輔が、いつの間にか特別な存在になっていた。

 一緒にいると、胸が温かくなる。

 遼輔の笑顔を見ると、自然と笑顔になる。

 遼輔と話していると、時間があっという間に過ぎる。

 これって——恋、なんだろうな。

 澪は小さく呟いた。

 でも、その気持ちを伝える勇気は、まだ持てない。

 遼輔は、いつも「幼馴染は恋愛対象じゃない」と言っている。

 その言葉が、澪の心に深く刺さる。

 だから、今はこの距離のままでいい。

 幼馴染として、隣にいられればそれでいい。

 そう自分に言い聞かせる。

 でも、本当は——。

 遼輔ともっと近づきたい。

 幼馴染じゃなくて、もっと特別な関係になりたい。

 そんな気持ちが、胸の奥底にある。

 でも、それを口にする勇気は、まだない。

 澪は目を閉じて、今日の帰り道を思い返した。

 遼輔と笑い合った時間。

 昔話に花を咲かせた時間。

 全部、大切な思い出だ。

 遼輔は、昔から変わっていない。

 今も同じ。

 世界一かっこよくて、私の大好きな人。

 その想いを、澪は胸に秘めたまま、静かに目を閉じた。

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