第3話
ある夜、子供たちを寝かしつけた後、母さんは珍しくテレビを着けた。戦災孤児のドキュメンタリーをたまたまやっていて、飢餓のうち道端で死んだ少女の写真が画面に映る。画面が切り替わりインタビューに答える老人が映った。
「道路に落ちた煙草……シケモクをね、拾って吸うとちょっと体が温かくなるんです。本当に温かくなっていたかどうかはわかりませんが、私はそう思っていました」
母さんは涙も零さずその老人の顔に見入っていた。父さんが帰って来ても、母さんはドキュメンタリーを観続けていた。
また、父さんが録画してくれていた、戦争で若くして死に、最早親戚の記憶にもない青年を探訪する番組も観ていた。水木しげるの名を冠した番組だった。出征前に撮った遺影だけしか残らなかったその人を、水木が覚えていて自分の漫画に描き記したのだという。青年は赤崎という名前を与えられ、漫画の中で主人公の親友として描かれていた。母さんはそれを黙りこくってじっと観ていた。
朝、父さんがニュースを観ていた。朝食の用意をしながら母さんも横目でそれを見る。
ちょうど虐待されて亡くなった幼児のニュースが流されていた。母さんは父さんのテーブルの前に目玉焼きの乗った皿を置く。
母さんの認識はどんどん拡張する。
僕は母さんの認識を食べて大きく大きくなり、認識はアーカイブとして僕の中に蓄積される。虐待死した幼児。戦闘機に銃撃され死んでいった少年。南方で横死した青年。歴史の隅に映りこんだ子供たち。それら全ての未詳の生が、僕という変数に代入されていく。僕は次第に定義を書き換えられて行く。
またある夜。寝かしつけの後、母さんが奥の部屋に移動する。北向きの、静かで暗い執筆用に使っている部屋だ。
小さな机の上にノートパソコンが置いてあって、その前の椅子に母さんは座る。
パソコンを開き、彼女の指がパスワードを入力するとトップ画面が開いて、ディスコードが立ち上がる。黒い画面にロゴマークが浮かび上がった。
〔Discord〕
母さんはサーバーを開くと自分のスレッドに書き込み始めた。
【agt(急に消える】 〈スレ主〉
20:11
もう生まれなかった私の息子の話でも書くか
いや流産した訳じゃないんですが
ほんと計画はあったのに生まれなかったんですよね息子
20:12
息子は今頃どこにいるのかな
夫は息子(仮)は金持ちの家に生まれたって言うけど
それってどこ?
20:13
私の生まれなかった息子はどこにいるのかな
この腕に抱けなかった私の息子
20:16
円城さんの青空文庫にある作品読んだ時に思った
主人公の生まれなかった弟は
私にとっての生まれなかった息子なんだって
20:17
ヨースケって名前も決めてたのに
生まれなかった
【agt(急に消える】 〈スレ主〉
20:24
ほんとに今どこにいるのかな
生まれなかった人類は今どこにいるのか
宇宙を彷徨っているのだろうか
20:25
できるならこの宇宙のどこかで会いたい
一度だけでも抱いてやりたい
そこまで書いて私は思い直す。
私にとってヨースケって何だろう。
ヨースケはただ架空の人格なのだけれど、今でははっきりと存在を感じる。
それどころか私の中で、ヨースケは無限に生まれ増殖して行く。
ヨースケとは何なのか。
生まれていないのに、ここにいる私の子は。
【agt(急に消える】 〈スレ主〉
20:26
でもさ、無数のヨースケは
これから生まれてくる全ての赤子なんですよ
女の子も男の子も
全てヨースケなんだよ
私の子だったかも知れないんだよ
20:27
私のヨースケ
生まれなかった私の子
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