第5話 美術館の光と影

日曜日の美術館は人がそれほど多くなかった。冬の日差しがガラスのドームを透して展示室の絵画に降り注ぎ、柔らかい光の輪を描いていた。


柚希は一枚の印象派の雪景色の絵の前に立ち、指先を顎の下に軽く当て、絵に一心不乱に見入っていた。絵の中の雪は柔らかく降り積もり、街路と屋根を覆い、街灯の光が雪片を透して、砕けたダイヤのように輝いていて、柏木蒼に会ったあの雪の夜と、不思議に似ていた。


「この絵が好きみたいだね。」


後ろから柏木蒼の声が聞こえてきて、淡い木の香りが漂ってきた。彼は柚希のそばに立ち、彼女の視線に合わせて絵を見て言った。「モネの模写だけど、作者が暖色系の筆致を使って、雪夜の清冽さと人の温もりをうまく融合させてるんだよ。」


柚希は横に顔を向けて彼を見て、少し驚いて言った。「建築家なのに、絵画にも詳しいの?」


「建築を学ぶと、多少美術史も触れるんだ。」柏木蒼は笑って、絵の中の街灯を指して言った。「ここの光と影の処理は、建築設計の中の光の配置と、共通点が多いんだよ。」


彼の解説は詳細で口調が穏やかで、柚希は聞き入って、時々一つ二つ質問をすると、柏木蒼はいつも丁寧に答えてくれた。二人は絵の前に立ち、小声で話し合っていて、まるで長年の友人のようだった。


現代美術の展示室に行くと、一枚の抽象画が柚希の注意を引いた。絵の中には閉ざされた扉が描かれていて、扉の隙間から微かな光が漏れてきて、扉の取っ手には一串の風鈴が掛けられていて、淡い寂しさが漂っていた。


「この絵のタイトルは『開かずの扉』だよ。」柏木蒼は絵を見て小声で言った。「作者は、人々が扉の向こうの未知を恐れて、その扉を開ける勇気がないんだって表現したかったんだ。」


柚希の心臓が突然締め付けられるようになり、絵の中の扉をじっと見つめて、まるで自分自身を見ているようだった。彼女はまさに、この閉ざされた心の扉を守り続け、勇気を出して開けることができない人だった。


柏木蒼は彼女の感情の変化に気づき、そっと彼女の肩を軽く叩いて言った。「実は扉の向こうの光が、必ずしも罠じゃないんだ。時には扉を開けたら、全く違う景色が見えるんだよ。」


柚希は顔を上げて彼を見た。美術館の光と影の中で、彼の目は格別に穏やかだった。この間、柏木蒼の近づきと執着、そして優しさは、まるで鍵のように、彼女が塵にまみれた心の扉を少しずつこじ開けていったのだ。


「私は……」柚希は口を開けて何か言おうとしたが、言葉が喉に詰まって出てこなかった。


「大丈夫だよ、急がなくていい。」柏木蒼は笑って手を引っ込めた。「ゆっくり歩いて、ゆっくり見ればいい。君が準備できた時に、扉を開ければいいんだ。」


彼の理解が柚希の心を暖め、張り詰めていた神経も完全に緩んだ。彼女は頷き、柏木蒼に続いて歩き始め、足取りは以前よりも軽やかになっていた。


美術館の最上階にはカフェがあって、フロントガラスの外には小さな庭があり、雪はまだ完全に溶けていないが、淡い緑の草の芽が見えていた。


二人は窓際の席に座り、二杯のラテを注文した。柏木蒼はスマホを取り出し、自分の建築設計図を柚希に見せて言った。「最近取り組んでるプロジェクトだ、地域の図書館の設計だよ。暖かい要素を入れたくて、来る人が帰る場所のような感じを受けられるようにしたいんだ。」


柚希は近づいて見ると、設計図の中の図書館には大きなフロントガラスと木製の本棚があり、小さな中庭も併設されており、桜の木が植えられている姿が描かれていた。自分の働く図書館によく似ているのに、ひときわ暖かみのある雰囲気が溢れていた。


「すごく素敵だわ」柚希は心からの賛辞を漏らす「ここに来る人たちが、きっと喜ぶと思う」


「もしよければ、この図書館のアドバイザーをしてくれないか?」柏木蒼は柚希に目を向け、期待に満ちた声で問う「君は図書館の運営も蔵書の分類も精通しているから、君の意見が本当に聞きたいんだ」

柚希は一瞬驚き、少し戸惑った表情を見せる。自分がこれまでただ職務としてこなしてきたことが、誰かにこうして必要とされるとは思ってもいなかった。「私……できるかな」

「もちろんできる」柏木蒼は即座に肯定し、目に柔らかな光を宿す「それなら、これから設計のことで、たくさん話をしよう」


カフェの珈琲の湯気が二人の間に立ち込め、窓から差し込む陽が柚希の髪に金色の輪郭を描く。柏木蒼はその横顔を見つめ、胸の奥に込み上げる想いを抑えきれず、ついに口を開いた

「藤川、高校の時から、君が好きだった」


柚希の手に持っていた珈琲スプーンがソーサーに当たり、軽やかな音が響く。彼女は思わず顔を上げて柏木蒼を見つめ、瞳には驚きと信じがたさがにじんでいた。


「当時告白しようとしたんだ。だけど君がおばあさんの病気で落ち込んでいるのを見て、言葉を飲み込んだ」柏木蒼の声は真摯で、過ぎ去った年月の重さが宿っている「その後君に連絡をブロックされ、もう二度と話せる機会はないと思っていた。再び君に会えて、この気持ちが消えていないことに気づいたんだ」


柚希の目頭が熱くなり、胸の中は切なさとときめきが入り混じり、言葉が喉に詰まって出てこない。柏木蒼の瞳を見つめるうち、涙がこぼれ落ち、珈琲のカップの中に小さな渦を巻く。


「すぐに返事をする必要はない」柏木蒼は柚希の手をそっと握り、掌の温もりが指先から伝わる「君が心の扉を開けて、私を受け入れる日を、僕は待つよ」


柚希は手を引き抜かず、その温もりを感じながら涙を流し続けた。長い間閉ざしていた心の扉が、この瞬間、小さなすき間を開け、そこから柔らかな光が漏れ込んできたのを感じた。

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