次期領主の有能令嬢は前世の推しとの再会を全力で祝いたい

迷想三昧

祝いの儀式

 その日は、祝いの日のあとの、しんと澄んだ朝であった。

 

 十五になった者へ能力が授けられる儀は、すでに昨夜のうちに終わっている。

 次の朝から、次期領主としての時間が、音もなく始まる。

 アンリ・カンキストは机に向かい、各地から集まった報告の紙束を、淡々と繰っていた。

 

 封を切り、文字を追い、能力をひらいて確かめる。

 異常があれば小さく印をつけ、なければ次へ送る。

 ただそれだけの流れが、雪解け水のように続いていく。

 報告は領内のあちこちから来ており、書きぶりも厚みも揃ってはいなかった。

 

 その紙の流れの中に、ひとつの名があった。

 

 手の動きは変わらない。

 読み進める速度も、確認の手順も同じである。

 けれど、その名を認識したとき、アンリはもう知っていた。

 

 ――今日だ。

 

 仕事は止まらない。

 書類は処理され、分けられ、また積み直される。

 机の上の秩序も、部屋を満たす静けさも、何ひとつ変わらない。

 

 ただ、今日が来たという事実だけが、そこに静かに置かれていた。

 

 机の端に、未開封の酒瓶が一本置かれていた。

 封蝋には、昨夜の日付が刻まれている。

 

 杯は伏せられたまま、数だけが揃っていた。

 誰も手に取らず、誰も口をつけていない。

 

 アンリは、それを見なかったことにして、

 次の報告書を開いた。

 

     ◇

 

 祝いと祝福とは、よく似ていながら、まるで違う。

 

 祝福とは、外から与えられるものだ。

 能力も、名も、立場も、みなそうだった。

 善意であろうと制度であろうと、与えられる以上、受け取るほかはない。

 祝福は、ときに呪いと見分けがつかなくなる。

 

 一方で、祝いは行いである。

 それは選び取ることであり、意思であり、こちら側から差し出すものだ。

 誰を想い、何を理由とするかを、自分で決める。

 

 今日行うのは、祝福ではない。

 

 与えられたものを肯定するためでも、決められた形をなぞるためでもない。

 それらから切り離された、きわめて個人的な行為だ。

 

 だからこれは、祝いである。

 

 何を祝うのかは、まだ言葉にしない。

 ただ、その日の到来だけが、静かに胸の内で整えられていた。

 

     ◇

 

 4年前の祝いの日。

 転生に気づいた瞬間、絶望はすぐに理解された。

 

 失われたものが多かったわけではない。

 能力はあり、立場もあり、先の見通しも立っていた。

 生きるための条件は、過不足なく揃っていた。

 むしろ他者よりも恵まれてさえいた。

 

 それでも、世界は空っぽだった。

 

 理由は単純である。

 推しが、いなかった。

 

 誰かを推すという前提が欠けた世界では、行動に順番がつかない。

 価値の重さを量れず、選ぶことも捨てることもできない。

 軸そのものが、そこにはなかった。

 

 推す対象の欠如は、穴ではない。

 それは、世界の状態そのものだった。

 

 耐え難いと判断するより先に、

 ――このままでは世界が続かない。

 そう理解してしまったこと、それが絶望だった。

 

     ◇

 

 前世では、推しがいた。

 

 汐見という名の人物である。

 不器用で、真剣で、どこか過剰に真面目だった。

 その姿勢が、追いかける理由になった。

 評価でも共感でもなく、ただ見ていたかった。

 

 名を持たない距離のなかで、アンリはひとりの視聴者だった。

 

 やがて、ネットで使っていた名が、その人の言葉によって言い換えられた。

管窺かんき」という名は、狭い見識ではなく、深淵を覗こうとする姿勢なのだと。

 

 それは、自己否定として抱えていた名からの解放だった。

 呪いは言葉によってほどかれ、意味は裏返った。

 

 この出来事によって、立場が変わった。

 与えられる側から、与える側へ。

 見る者から、推す者へ。

 

 だからこそ、理解できてしまう。理解してしまう。

 

 推す者になった以上、推しのいない世界は成立しない。

 それが、今世で味わった絶望の正体だった。

 

 今世では、空っぽに戻ってしまった。

 

 能力は与えられ、役割も用意されていた。

 仕事はあり、責務もあった。

 日々は滞りなく進み、外から見れば不足はない。

 

 だが、それらはすべて背景だった。

 

 推す対象がなければ、行動は処理に変わる。

 選択は最適化となり、意味はついてこない。

 世界は動いても、成立しているとは言えなかった。

 

 アンリにとって、その時間は停滞だった。

 

     ◇

 

 アンリは十九歳になっていた。

 次期領主として名が記され、各地の報告は彼女のもとへ集まる。

 

 能力が確認されたのは四年前。

管狐くだぎつね」と呼ばれるその力は、情報の収集と照合に向いていた。

 それをもとに、領内には諜報の仕組みが整えられ、今は魔族討伐の準備段階にある。

 

 二年前、自領で賢者が見つかった。名はタイショー。

 前世での汐見の相方と同じ名前。

 同じ年、魔族の女が現れ、シオリーヌと名乗った。

 彼女は、タイショーの前世の伴侶だと語った。

 

 魔族は、魔族領に突如として生じる存在とされる。

 人類にとっては討伐すべき対象だった。

 その存在が報告された時、アンリはその能力を使って調査した結果シオリーヌと出会うこととなった。

 

 シオリーヌは語った。

 大魔王グテンが、二年後に彼女の幼馴染である汐見という存在もまた、この世界に現れると告げたのだと。

 

 それらはすべて、報告として処理された事実だった。

 

     ◇

 

 それらを並べたとき、結論はひとつだった。

 

 汐見は、この世界に現れるのだ。

 

 能力は「哲人」。

 魔力はゼロ。

 魔法は使えず、周囲からの評価も低くなるだろう。

 困難な未来は、容易に思い描けた。

 

 それでも、判断は揺るがない。

 彼の人を救うなどということではない、ただ推すのだ。

 

 推しであるという事実は、条件では変わらない。

 能力とも立場とも関係がない。

 理由は、すでに前世で決まっている。

 

 現れると知るだけで、十分だった。

 

 用意は、すでに整っていた。

 

 魔力視の眼鏡。

 魔力を持たぬ者にとっては、結果的に助けとなる道具だ。

 分類すれば、祝福と呼ばれるのかもしれない。

 

 だが、アンリにとって大切なのは機能ではない。

 眼鏡というアイテムそのものが重要なのだ。

 

 そしてそれ以上に、推しが存在する世界に到達したこと。

 その事実を、自分の行為として肯定するための品だった。

 役立つかどうかは副次的で、意味は行いにあった。

 

 これは贈与ではない。

 推しが来る世界を祝うための、準備だった。

 

 まだ、会ってはいない。

 互いの前世の認知。

 それは祝福であり、また呪いでもある。

 再び認知はされるのだろうか。

 立場上や前世での関係で怖がられはしないだろうか。

 不安は尽きない。

 それでも、だ。

 

 名を呼ぶことも、姿を見ることもなく、

 アンリは伏せてあった杯を起こした。

 

 封は切られない。

 注がれることもない。

 

 それでも、杯は掲げられた。

 誰に見せるでもなく、誰の許しも要らない。

 

 祝福は与えない。

 条件も、役割も、期待も添えない。

 

 ただ、祝う。

 

 推しが存在する世界に到達したという事実を、

 自分の行為として肯定する、そのための時間だった。

 

 この夜が語られることはない。

 後の世で神となる者や、王となる者、

 異なる種をつなぐ者たちの物語にも、この祝いは記されない。

 

 それでも、これが最初の「祝い」だった。

 

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