出られない部屋

「どこだ、ここ……」

 翔吾は見慣れないベッドの上で目を覚ました。

 白い壁、白い天井。家具は今いるベッドのみ。

 いつもの夕月の部屋ではない。

 隣には、私服の夕月が眠っている。


「……ラブホ?」


 何故ここにいるのか、全く記憶がない。

 いつも通り大学を出て、駐輪場に向かって、そこでぶっつり記憶が途切れている。

 酒を飲んだ記憶も、夕月と合流した記憶すらなかった。


「夕月、夕月起きて」


 気持ちよさそうに眠っている夕月の肩を揺すると、少しの間があって、目が開いた。


「……翔吾?怖い顔して、どうしたの…?」


 寝起きのぼんやりした目が合う。見た限り普通だ。


「気持ち悪かったり、どっか痛かったりする?」

「ううん」


 翔吾自身もそうだが、記憶が飛ぶ程殴られたり、妙な薬を使われた訳では無さそうだ。


「じゃあさ、ここどこかわかる?」


 夕月はゆっくり瞬いて辺りを見回した。

 白い壁、天井、ドアすらない。


「……ここどこ!!?」

「やっぱりか……」


 頭を抱えた時、ポンッと音がした。

 2人が座っているベッドの頭側の壁に2段の文字が浮かび上がっていた。


 『地球人の番さん 当選おめでとう』

 『しないと出られない部屋』


 下段の文字列の前に幾つかの文字がルーレットのように切り替わっている。

 食事、しりとり、生殖行為、相手の嫌いな所を30個言う、逆立ち、スクワット200回……。


「えっ、やだ怖い……!なんかドッキリとかだよね!?」


 ぎりぎり目で追える速度なのがいやらしい。

 怯えた様子で夕月が声を上げる。

 翔吾は庇うようにその肩を抱いて、壁を睨みつけた。

 切り替わる速度が少しずつ遅くなっていく。


「おい、止まるぞ……!」

「やだ……っ」


 脇腹にしがみつく夕月の手を感じる。


 『本気で殴り合いしないと出られない部屋』


 

 そこで壁の文字は止まった。

 ジャジャーン!とまた安っぽい音が鳴り、どれだけ睨んでも変わらない。


「いや、無理だろ……!!」


 翔吾は叫んだ。

 夕月にどれだけ殴られても構わないが、殴り合うのは絶対無理だ。


「これ、私と翔吾が喧嘩すれば良いってこと……?」

「そんな事しても本当に出られるかわかんねぇだろ」

「そうだけど……」

「いや、無理無理。お互いにって事だろ?絶対ぇ無理」


 翔吾はベッドを降りて、近くの壁に触れた。

 コンクリートかモルタルか、叩いてみてもぺちぺちと硬い感触が返ってくるだけで、抜けるような薄さを感じない。

 どこかに出口がある筈だ。

 そうでなければどうやって自分達をここに入れた?

 だが、四方の壁はいずれも継ぎ目もなく、同じ硬さだった。


「……翔吾、私のこと殴っても良いよ」


 同じように床を調べていた夕月が呟く。振り向くと小さな拳を握っていた。


「馬鹿、大怪我すんぞ」

「でも……」

「……じゃあ、とりあえず夕月が先に殴ってみ?」

「わ、わかった」


 夕月が覚悟を決めた顔で近寄ってくる。

 翔吾はその拳を掴んだ。掌の中に簡単に収まってしまう。


「待って、それだと怪我する。親指こうして、この辺で当てて」

「……じゃあいくよ?……えい!」


 掛け声と共に繰り出された正拳突きがぽこんと腹に当たる。


「痛い……?」

「っく……、さぁな」


  ──痛ぇ訳無ぇし!


 眉を下げた夕月の顔に思わず吹き出しそうになって、慌てて顔を繕った。


「それ、本気?」

「一応。次は翔吾の番だね」

「俺の番って……、しっかり立ってろよ」


 翔吾も一応手を握って夕月の肩に当ててみる。


「どう?なんか変わった?」


 部屋を見渡しても、特に変化はない。


「殴り合いってさ、もっと……、『クローズ』みたいな感じなんじゃ……」

「冗談じゃねぇよ。死ぬ気かよ」


 本当に本気で殴り合ったら、下手をしたら、いや下手をしなくてもそこまで行く。嫌な自信があった。

 翔吾の拳は夕月の顔の半分近くある。骨も自分よりずっと細く薄い。

 そんな真似をするくらいなら、死んだ方がマシだ。

 この部屋がどうやって「本気」を測定しているのか知らないが、形だけでもそれなりの殴り合いをしなくてはいけないのだろうか。


「夕月、俺の顔手届く?」

「と、届くよっ、……え!?やだ!」


 頬を膨らませかけた夕月が意図に気付いて青褪める。


「翔吾先叩いて良いよ!」

「俺だって嫌だよ!」


 上がった声はもう悲鳴に近かった。


「お前の方が力弱いだろ!手数を多くした方がちゃんと殴り合いに見えるし、俺が多く受ける方が合理的だろ」


 見え方の計算をして喧嘩したことなんか無い。

 ただ夕月を殴りたくない一心で言い逃れた。


「うぅ……、じゃあ、一回だけね、、」

「思いっきりでいいからな」


 夕月が教えた通りに拳を握る。

 だがこれが済んだら一度くらいは手を出さないといけない。

 腕の先で吹き飛ぶ恋人の姿が嫌でも脳裏に浮かんだ。

 何度も触れたするんとした頬、薄い眼窩、柔らかい腹。

 殴る?嫌だ。心の底から。

 下から狙う夕月が怪我をしないように、唇を引き結ぶ。


 衝撃は何故か後頭部に訪れた。


 

「イッテェ……」

 横たわっていたのは、硬いフローリングだった。

 自分の部屋の天井。

 シーツのズレた掛け布団が足にまとわりついている。

 ベッドから落ちた。

 理解するまでに多少時間がかかった。


「……夢か」


 何とも胸糞悪い夢だった。

 9時12分。スマホには帰省している夕月からのメッセージが入っていた。

 『明日帰るね!遅くなっちゃうけど、初詣行こうね』

 添付された日の出の写真。

 相変わらず、1人の夜は碌な夢を見ない。

 夕月が帰って来たら、夕月に殴られる夢を見たと話してやろう。


 ──悪夢は話した方が良いって聞いたしな


 その後、帰って来た夕月が翔吾に殴られる夢を見たと話し始め、顔を見合わせる事になるのだった。

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