第9話 美の追求
「雫、大丈夫?そんなにテスト出来なかった?」
瑠璃が私の顔を覗き込む。気付けばテストは終わっていて、周りの子たちはテストから解放され緊張感がなくなっていた。
「あ、うん。……ちょっと出来なかったかも」
瑠璃には傷口が治ったこと言えなかった。また事故の時のように心配かけたくなかった。
「……私、ちょっと飲み物買ってくるね!」
ちょっと気持ちを落ち着かせよう。大好きなレモンティーでも飲んで。少し気分転換したくて、私は自動販売機へ向かうけど、道中どうしてもさっきの事を考えてしまう。
……やっぱり私っておかしいのかもしれない。もしかして、まだ夢の中だったり?……まさかね。心療内科の先生に相談してみようかな。
今だに事件直後の記憶は戻らないから、定期的に通院をしている。次の受診日いつだっけかな。教室に戻ったら確認しとこう。
――ん?あれ?
体育館前の廊下を通ると、柱に隠れるようにバスケットボールが一つ転がっている。体育館の方を見ると扉が開いていた。
誰かが練習中?ここまで転がってきたのかな?
私はボールを手に取り体育館へ足を向けた。
「誰かいますかー?」
しーんと静まり返った体育館。扉が開いていたから誰か練習してるのかと思ったんだけど……。
「どうしよ。でも、……隼人君が困るよね?」
ボールに目を落とすと、バスケ部と書かれているし。私は更に中に入り体育館倉庫へ向かう。広い体育館に私だけの足音が響いた。
「よし、これで大丈夫だよね」
「雫、ここで何してるの?」
ボールをカゴに入れた時、背後から突然声をかけられた。ビクリと雫の方が揺れた。振り返ると千明君が立っていた。
「わっ千明君か!びっくりした〜脅かさないでよ?」
気配を感じなかったから、すごい驚いてしまった。
「あぁ、ごめんね。驚かすつもりはなかったんだけど」
ガシャン――――
千明の背後にある倉庫の扉が突然閉まってしまった。
「えっ!?嘘??」
「レナ〜頑張って!千明君に伝えるんだよ!」
「ちょっと待って!私は、レナちゃんじゃ……」
パタパタと走り去る音が外から聞こえる。嘘……閉じ込められた?しかも人違いだよね?
「……完全に締め出されたね。鍵もかかってるし」
千明君が扉をガシャガシャと開かないか確認してくれるが、鍵までされてしまったようだ。薄暗かった倉庫が扉が閉まる事で更に暗く感じてしまう。埃っぽい匂いが、本当に閉じ込められてしまったというのを実感させた。
「千明君携帯持ってない?私教室に置いてきちゃって。外の人に連絡取れないかな?」
「……実は俺も置いてきちゃったんだよね」
「そっかぁ……」
「……さっきの子たち、雫の友達?」
「え……?」
もしかして千明君、自分がレナちゃんに好かれている事に気付いてない、のかな?実は恋愛に疎いとか……?千明君なら前の学校でも、モテてそうだけど。
雫は横目で千明を見た。……ポーカーフェイスすぎて、何考えてるのかよくわからない。
「レナちゃんは、隣のクラスの子だから挨拶程度しかないかな」
「……そうなんだ」
……もしかして、あまり興味ない?
ふと、雫の視線が高窓と跳び箱にとまる。
「あそこの窓から誰か呼べそうじゃない?」
私は跳び箱を窓の下へ運ぼうとする。
千明は背を向けた雫へゆっくり手を伸ばした。
――――
――
テストが終わり、雫が足早に教室を出ていく所を千明は目撃した。今なら声をかけられるかもしれない。
「やっとテスト終わった〜!千明君、この後空いてる?」
席を立つのとほぼ同時に、名も知らない女子生徒から声をかけられた。……また、これか。
「……ごめん」
俺は一言だけ告げると、教室を出て雫を追いかけた。
「……どこ行った?」
雫の金色を頼りに廊下を見渡すと、階段を降りていく所を見つけた。後をつけていくと、雫は体育館前でバスケットボールを手にして、そのままボールを返却しにいくようだ。体育館は静まり返っていて誰もいない。
……これはもしかして……壊せるのでは?
ドキドキと心臓が高鳴る。もうすぐで俺の欲望が満たされるのだ。
そして運良く、体育館倉庫に雫と一緒に閉じ込められた。これなら、静かにゆっくり壊すことができる。
「あそこの窓から誰か呼べそうじゃない?」
雫は高窓を指差し、それから窓の下へ飛び箱を運ぼうとした。
雫が俺に背を向ける。俺はその細い首に手を伸ばした。
――やっと、二人きりになれた。
「ひゃっ、何の音!?今カサカサって!」
俺が雫に触れる前に、雫が千明に涙目でしがみついてきた。細い指が服を掴み、その感触がはっきりと伝わる。
……あたたかくて、柔らかい。
「っ?!」
――ガサゴソ
本当に怖いのだろう。小さな音でも、肩が震えている。
「千明君も聞いた!?今そこでっ!私こういうの無理無理無理無理っ!」
薄暗い中何かが動いている。千明は目を凝らすと、そこには黒い子猫が迷い込んでいた。
「……あ。雫、猫だよ。あそこ」
雫の手を振り払うのは簡単なのに……何故か振り払えなかった。
「え……猫?本当に?虫とかじゃない?」
俺が指差す方向を雫も見るが、雫には見えないようだ。声が震えていて、なんだか可愛いと思ってしまった。
「本当」
雫は少しホッとしたのか表情が和らいだ。いつもは明るく笑う彼女に、こんなに焦って涙目になる一面があるとは。……驚いたな。
……なんか、今日は壊さなくてもいいか。今日はそういう気分じゃない。自分でもよく分からず、欲がおさまっていた。
――ガラガラ
「ごめんっ!大丈夫?」
倉庫の扉が開いて光が差し込む。そこには俺たちを閉じ込めた張本人と、レナと呼ばれる女の子。その二人は、俺たちに謝罪すると足早に去ってしまった。
「にゃーっ」
倉庫から黒猫がぴょん二人の間を割って出ていった。その猫から微かに東雲色が確認できる。
……ユーデンのやつ、監視してたのかよ。
千明が大きなため息をつくと、パチリと雫と視線が合う。
「千明君、教室戻ろっか」
さっきまであんなに怯えてたのに。今では明るい笑顔を俺に向けてくれる。その笑顔が美しいと思った。
「……雫にあんな一面があるなんてな」
雫は、赤くなった頬を隠すように俯いた。さっきもだけど、彼女の表情はころころ変わって見ていて飽きない。
「うう……さっきは取り乱してごめん」
「いいよ。俺は……知れて良かったと思ったよ」
普段はポーカーフェイスの千明が嬉しそうに笑ったのを雫は見逃さなかった。
「もー、まだからかってるでしょ?……ねえ、千明君は苦手なもの、ないの?」
私だけ弱みを握られてるみたいじゃん、と頬を膨らませて雫が拗ねるから、思わず笑みが溢れてしまった。
「ふっ。そうだなぁ……強いて言うなら、プリン」
「プリン?でも、この間購買で買おうとしてたよね?」
「うん。好きだから。……甘党なの俺らしくないでしょ?」
「そうかな?好きなものって人それぞれだからいいと思うけど。それより……千明君が笑うから、ちょっとびっくりしちゃった」
見開いた雫の瞳が俺を映す。
「そ、そう?……俺だって人だから。……笑うくらいはするよ」
自分が人じゃないと勘付かれたのではないかと内心焦った。
――――
――
千明は自宅のマンションに戻ると、今日一日の雫とのやり取りを思い返していた。普段は明るく友達の輪にいて、しっかりとした女の子。だけど虫が大の苦手で……。
何故あの時、……壊すのやめたんだろう……。
涙でしがみついてきた雫の温もりを思い出す。
……胸の奥がザワザワする。神の頃には感じた事のない感覚だ。
俺はデスクの引き出しを開けた。そこにはキラリと輝くガラスの破片。雫の左目にあたるガラスのキャンバスだった。月にそのガラスをかざす。
壊した時程の輝きは今はないが、やはり他のキャンバスより……美しい。
ああ……わかった。きっと俺は……最高の笑顔の時に雫を壊したいんだ。今日はその最高を迎えていなかった。ただそれだけだ。
この破片より美しい破壊を俺は必ず成し遂げる。千明は目に焼き付けるかのように、月に照らされたガラスをじっと見つめていた。
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