第三章 ― 仮面という名の偽り
彼らは――見ていた。
全員が。
火山の噴煙のように、
彼女の身体から溢れ出す力を。
生きた肉に突き刺さった熾火のように燃える瞳を。
断罪された者の外套のように、
その身を包む禍々しい気配を。
任務を共にした仲間たち。
同じ訓練場で剣を振り、
酒場でくだらない冗談を笑い合い、
巡回の前にパンを分け合った者たち。
彼らは、崩れた神殿の中で
アリアンヌを見た。
……だが、
友を見なかった。
見たのは――
異形だった。
「取り憑かれている」
「支配されたのだ」
「その力は、人のものではない」
その言葉こそが、
最初の処刑だった。
膝をつき、
震える声で、
アリアンヌは懇願した。
「……私です……
お願い……聞いて……」
だが――
彼らの眼差しは、すでに変わっていた。
共に積み重ねた記憶。
肩を並べて戦った日々。
忠誠の証となる、数え切れぬ行為。
――すべてが、
最初から存在しなかったかのように。
剣を教えてくれた男、
呼吸の仕方を叩き込んだ男――
サレスが、剣先を向ける。
「怪物は、
人の顔を真似ることができる」
アリアンヌは、戦いたくなかった。
だが彼らは、
何かを証明するかのように襲いかかった。
制御できないほど研ぎ澄まされた反射で、
彼女は最初の一人を武装解除した。
次の一人を、
動脈を避ける完璧な動きで倒した。
――誰も、殺していない。
だが――
それは、意味を持たなかった。
恐怖は、すでに勝利していた。
彼女は――走った。
牝馬の脚が血に染まるまで、
ただ走り続けた。
そして、
育った村の屋根が見えた時、
ようやく足を止めた。
記憶が残る場所。
たとえ、
それが痛みであっても。
村は、変わらないように見えた。
だが――
空気は、腐っていた。
不自然な静けさ。
閉ざされた扉。
塞がれた窓。
血と埃にまみれ、
胸の内で戦争を続けながら、
彼女は馬を降りた。
「……説明すれば……
きっと、分かってくれる」
「愛されていた……
特別だって、
ずっと言ってくれた……」
中央広場では、
すでに火が燃えていた。
人々が円を描く。
松明。
熊手。
狩猟用の武器。
悪を祓う護符。
そして――
その中に。
母。
父。
世界が彼女に唾を吐いても、
娘と呼んでくれた二人。
彼女は、口を開いた。
――だが、止まった。
母は泣いていた。
父は、縄を握っていた。
その奥に――
ミケル。
かつて、
「君は違う。それが好きだ」
と言った少年。
今は、
地面に唾を吐き、
目を見開いている。
「戻ってきた……」
「災厄を連れてきた」
「他の悪魔を呼ぶ前に、焼け」
アリアンヌは――
泣かなかった。
今回は。
母の目を見た。
迷いを、探した。
だが――
そこにあったのは、罪悪感だけ。
父の目には――
何もなかった。
空っぽだった。
彼女が、
修正されるべき
間違いであるかのように。
深く、息を吸う。
言葉も、
感情もなく。
彼女は、背を向けた。
そして――
納屋へと歩いた。
干し草の上を歩くことを覚えた場所。
初めて薪を割った場所。
荷車の陰で、
最初の口づけを交わした場所。
彼女は、手を上げた。
――そして、
力を解き放った。
黒い炎。
静かで、
激しい炎。
乾いた破裂音と共に、
納屋は崩れ落ちた。
炎は、
何年も抑え込まれていた怒りの舌のように、
空を舐めた。
そして――
アリアンヌは。
ただ、見ていた。
立ったまま。
乾いた瞳で。
魂は――
沈黙していた。
その夜、
彼女は村を去った。
名もなく。
祖国もなく。
愛もなく。
胸にいるのは、
悪魔だけ。
そして――
ようやく受け入れた真実の残響。
誰も、
彼女が生きることを望んでいなかった。
だから今――
彼女は生きる。
死そのものとして。
森は、避難所ではなかった。
それは――
死体の肋骨のように枝が歪む、開かれた牢獄だった。
それでも――
彼女は、踏み入った。
独りで。
葉は鉤爪のように肌を裂き、
虫は衣服の下を這い回り、
風は人ならぬ言語で囁いた。
空は、すぐに消えた。
木々の梢が閉じ、
敵意ある神の手のように
彼女の上に覆いかぶさる。
だが――
アリアンヌは、躊躇しなかった。
足は泥に沈み、
魔力は熱病のように肉の下で燃える。
語らず。
泣かず。
ただ――歩いた。
そして――
内なる悪魔が、語りかける。
『見ただろう?』
『言ったはずだ』
『彼らは、お前を愛してなどいなかった』
『燃やすために、
生かしていただけだ』
『今や――
残ったのは、
私と、お前だけだ』
彼女は――
無視した。
何日も。
だが、身体は限界を迎える。
飢えが締め付け、
疲労が肺を鉄のように圧迫する。
葉を食べ、
兎を狩り、
死の匂いが染みついた冷たい洞窟で眠った。
夢を見る。
叫びの夢。
時には――
自分の声。
時には――
内側の“何か”の声。
三日目の夜――
獣たちが来た。
影から生まれた存在。
眼を持たず、
棘に覆われ、
皮膚は鉄の革のようだった。
二体が、
彼女の眠る空き地を囲む。
一体は、
七つに裂けた喉で咆哮し、
もう一体は、
女のように歩きながら――
猫科の牙と、
砕けた硝子のような瞳を持っていた。
アリアンヌは、
神殿から奪った剣を構えた。
悪魔が囁く。
『私に任せろ』
『外に出してくれ』
『守ってやる』
彼女は――
一瞬、ためらった。
だが、
腕は燃え、
魔力はすでに溢れている。
「……違う」
彼女は、低く言った。
「戦うのは、私」
「この身体で」
「この意思で」
彼女は――
独りで、踏み出した。
盾もなく。
鎧もなく。
慈悲もなく。
戦いは、短かった。
最初の獣は、
横薙ぎの一撃で倒れた。
刃は、
闇のエネルギーを帯びて震える。
二体目は、
彼女の肩に噛みついた。
だが――
アリアンヌは、
その顎を貫き、
頭蓋が割れるまで
剣を突き上げた。
黒い血が、
彼女の顔に飛び散る。
彼女は、
膝をついた。
荒く息を吐きながら。
――だが、生きていた。
勝者として。
悪魔は笑った。
嘲笑ではない。
満足の笑みだった。
『学び始めたな』
『ようやく――』
『生きるために、
許可を求めるのを
やめた』
彼女は血を吐き、
――笑った。
逃亡してから、
初めての笑みだった。
その夜、
彼女は獣の死体の上で眠った。
一本の皮で、
剣を拭い。
目を閉じる前、
低く呟いた。
「……世界は、
理解できるものしか愛さない」
「なら――
私の名を学ぶまで、
世界を焼き尽くせばいい」
その後の日々は、静かだった。
音がなかったわけではない。
木々は囁き、
獣たちは呻き、
森そのものが呼吸していた。
――だが、
アリアンヌは、もはや世界を人間として聴いていなかった。
飢えは、痛みを伴わなくなった。
渇きは、葉から滴る露で満たされた。
寒さは――
内側で燃え続ける熱で、容易に耐えられた。
絶え間なく。
無慈悲に。
生きた焚き火のように。
彼女は、狩った。
本能ではない。
快楽のために。
自らの限界を試す。
裂け目を跳び越え、
苔に覆われた巨木をよじ登り、
筋肉が裂けるまで走る。
――そして、
肉が再生する音を、
聞くために。
内なる悪魔は、
もはや“声”ではなかった。
存在だった。
背後ではない。
――隣を歩く、影。
『理解し始めている』
『彼らの恐怖は、愚かさではない』
『知恵だった』
『お前が何になり得るか――
お前自身より、
先に見ただけだ』
彼女は――
それが真実だと、分かっていた。
油のように黒い湖のほとりで、
アリアンヌは
自分自身の反射を見つめた。
王宮の回廊に立っていた姿ではない。
納屋の子どもでもない。
称賛された剣士でもない。
そこにいたのは――
野生の女。
削ぎ落とされた顔。
硬い輪郭。
燃える紅玉のような瞳。
髪は乱れ、
葉と泥にまみれていたが、
毛先には――
銀の輝きが宿り始めていた。
まるで、
魔力が一本一本に
刻印を刻んでいるかのように。
皮膚の下では、
黒い血管が走っている。
彼女は、
自分の顔に触れた。
――泣かなかった。
ただ、
低く囁いた。
「……私が怪物なら」
「最悪の怪物に、なってやる」
その夜、
彼女は最初の護符を作った。
殺した獣の骨から。
理解ではなく、
本能で思い出した古代のルーンを刻み――
それは、
悪魔の記憶かもしれなかった。
王国近衛の鎧を、
土に埋めた。
剣を、
湖の縁に置いた。
そして――
裸足で、歩き出した。
剥き出しの魔力。
飢えた瞳。
アリアンヌは、そこで死んだ。
名もなき娘。
裏切られた騎士。
愛を乞うた女。
その代わりに――
何かが、生まれた。
怪物ではない。
異形でもない。
――自由なもの。
翌朝、
遠くの空に、
煙が立ち昇るのが見えた。
悪魔の隊商。
怪物の文明。
隠された街道。
禁じられた王国。
その時、
彼女の胸に生まれたのは――
憎しみよりも、
熱い感情。
好奇心。
「……人間が私を憎み」
「……悪魔が、私を“姉妹”と呼ぶなら」
彼女は、
静かに笑った。
「……やっと、
帰る場所に向かっているのかもしれない」
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