第3話 それでも日常は続く
目が覚め、最初に思った。
(......いつもの朝だ)
見慣れた天井。
カーテン越しの朝の光。
聞き慣れた生活音。
自分の部屋だ。
布団の中で、しばらく動けなかった。
昨日の出来事を、頭の中でなぞる。
裂け目に入った後の洞穴。
突如と現れたゴブリン。
ステータスの表示。
それから、不思議な石碑。
(夢......じゃないよね?)
半信半疑のまま、スマホを手に取る。
画面を点けて、ニュースアプリを開く。
【各地で正体不明の“ゲート”を確認】
【専門家は、突如現れた異常現象の可能性があり⸻】
【政府はゲートを見つけても、立ち入らないように呼びかけています】
【ゲートを見かけたら〇〇〇に連絡を】
スクロールしていると、昨日見たのと同じニュースが流れていた。
山中に現れた、歪んだ空間。
昨日、私が入ったのと、同じもの。
(やっぱり、夢じゃない)
胸の奥が、じわっと熱くなる。
怖さよりも先に来たのは、現実だ、という実感だった。
(ゲームみたい、だけど)
でも、違う。
ちゃんと体が覚えている。
跳んだ時の感覚。
殴った時の重さ。
そして、気配遮断の感覚。
(現実、なんだよね)
そう思うと、不思議と怖さよりも、少しだけ胸が高鳴った。
布団から起き上がり、深呼吸をする。
(学校に、行かないと)
それでも日常は続く。
***
教室は、いつも通りだった。
黒板には、今日の日付が書いてある。
誰かが笑っていて、机に突っ伏している人もいる。
いつもと違うのは、私だけ。
「天音、おはよ」
咲が、普段と同じ調子で声をかけてくる。
「おはよう」
返事をしながら、少しだけ間が空いた。
咲は気づいた様子もなく、席に座る。
「昨日のニュース見た?」
「うん」
「天音」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
咲が、机に頬杖をついてこちらを見ていた。
「なんかさ、今日はちょっと静かじゃない?」
「......そう?」
自分では、普通にしているつもりだった。
「うん。いつもより、ぼーっとしてる感じ」
そう言って、咲は軽く笑う。
責めるでも、探るでもない。
ただの雑談みたいな声。
「昨日、あんまり寝てなくて」
とっさに、無難な理由を口にする。
「そっか。最近ニュース多いしね」
それ以上、咲は踏み込まなかった。
「無理しないでね」
その一言だけ残して、前を向く。
(......助かる)
何も聞かれなかったことに、少しだけ、ほっとした。
同時に、ほんの少しだけ、胸の奥がちくっとした。
後ろの方の席から、佐藤悠斗の声が聞こえる。
「マジでヤバくない? ゲートって」
「なんか中に化け物がいるらしいぞ」
「死んだ人もいるって噂」
噂、噂、噂。
みんな、どこか他人事だ。
画面越しの出来事みたいに話している。
「そういえば、聞いたか?ゲート、国が管理するかもって話」
「マジで?」
「マジマジ、あくまで噂だけどさ。探索者とか、募集するかもって」
探索者の募集。
その言葉に、心臓が、わずかに跳ねた。
「危なくねーか?」
「でもさ、もう隠しきれないだろ」
悠斗は楽しそうに話している。
「どうせ、入る奴は入るし。だったら、管理した方がマシじゃん」
(......そう、なのかも)
理屈としては、分かる。
でも、その入る奴の中に、自分が含まれていることを考えて、喉の奥が少し乾いた。
私は、黙ったまま、机の上のノートに視線を落とす。
まだ、ゲートに入っていることは、誰にも言うつもりはなかった。
咲が、ちらっとこちらを見る。
何か言いたげだったけど、結局、何も言わなかった。
その距離感が、今はありがたかった。
***
担任の鳥沢が入ってきて、朝のHRが始まる。
「昨日から物騒なニュースが多いが、危険な場所にはなるべく近づかないようにしろよ」
ありきたりな注意をする。
無理をするな、危険な場所に近づくな。
(......正論だ)
それでも、私の中では、もう一つの世界が確かに動いている。
***
今日の体育の授業は、バスケだった。
パスが自分に回ってくる。
(これなら、取れる)
そう思ってボールを取る瞬間、予想よりも体が、前に出た。
「......え?」
思ったより早く踏み込みすぎて、ボールが手の横をすり抜ける。
胸の奥がざわつく。
(これ、下手したら体育で目立つやつだ)
ボールはしっかり見えていた。
タイミングも、合っていたはずだ。
なのに、体だけが、先に動いた。
次のプレーでは、意識して、遅らせる。
(今度は、遅い)
ボールが手に触れる前に、相手に取られた。
(......やりづらい)
足は今までよりも、速くなった。
それは分かるが、今までの感覚と全然合わない。
(これ、日常だよね)
ゲート内じゃない。
先に進んでしまったのは身体だけで、心は、まだ昨日のままみたいだった。
***
放課後、私は駅前のアウトドアショップに寄った。
ガラスケースの中に並ぶ刃物を見て、一瞬、現実に引き戻される。
(これ、買った方がいいよね?)
サバイバルナイフの値段は、思ったよりも高くて現実的だった。
レジで会計を済ませる時、手が少し震えた。
だけど準備しないと、あの世界は、優しくない。
***
帰宅後、簡単な準備をする。
動きやすい服を着て、ナイフの位置を整える。
(今日は動きの再確認だけ)
そう、心の中では決める。
玄関を出て、裂け目へ向かう。
***
裂け目に入ると視界が反転し、洞穴に戻る。
空気が冷たい。
洞穴を進みながら、私は何度か立ち止まった。
(......速い)
ただ歩いているだけなのに、気づくと想定より先まで進んでいる。
思ったよりも壁が近くなり、足を止めるのが遅れる。
(前より、距離感がおかしい)
速くなった、という実感はある。
でもそれは思った通りに動ける、という意味じゃなかった。
身体だけが先に行って、意識は、少しだけ置いていかれる。
(まだ慣れてないだけ、だよね)
そう自分に言い聞かせて、洞穴の中を進んだ。
ゴブリンの気配を感じ、気配遮断を意識しながら進む。
ゴブリンが一体いるが、こちらにはまだ気づいていない。
背後から近づき、速く、鋭く、ナイフでゴブリンを切る。
その瞬間。
想像以上の手応えが、腕に返ってきた。
ゴブリンの身体が、切れるのではなく、吹き飛んだ。
壁にドンッと叩きつけられる音が、洞穴に響く。
(......え?)
一瞬、息が止まる。
確かに倒せたが、洞穴に大きな音が響き渡る。
力が強くなった分、雑になれば、それだけリスクも増える。
(やみくもに力を出せばいい、ってわけじゃない)
その考えが、少しだけ頭に残った。
音に反応したのか、ゴブリンがこちらに近づいてくる。
吹き飛ばないように、力のセーブを意識しながら、ナイフを振るう。
今度はゴブリンは吹き飛ばずに、その場で倒れ、淡い粒子になる。
(......やっぱりゲームみたい)
もう一体。あともう一体と同じように、倒していく。
(慣れてきたら、普通に攻略方法とか考えそう)
体の動きも、感覚も、どんどん馴染んできている。
そして同じように一体を倒した時だった。
視界が一瞬だけ白く染まる。
⸻
【レベルアップ】
名前:相沢 天音
レベル:1 → 2
ジョブ:暗殺者
種族:人間
体力:8 → 10
魔力:10 → 12
攻撃:11 → 14
防御:5 → 6
敏捷:16 → 19
器用:11 → 14
感知:12 → 14
運:8 → 9
スキル:気配遮断 Lv.1
ユニークスキル:なし
称号:なし
所持スキルポイント:0
経験値:8 / 200
(次のレベルまで 192)
⸻
一瞬、身体の内側が切り替わる感覚があった。
昨日と同じように、さらに身体が軽くなった気がした。
レベルアップの表示が消えたあと、私は軽く跳んだ。
身体が、素直に反応する。
動きが速い。
身体が軽い。
高くまで跳べる。
(......これ、ちゃんとやれば通用する)
昨日の私とは、違う。
そう慢心してしまった。
根拠は、昨日より上がったという数値。
今日は、深追いしないとそう決めたはずなのに、足は、自然と奥へ向いていた。
身体の動きを確かめるように、ゴブリンを倒していく。
確かに、強くなっていると実感する。
さらに奥へ、進もうとして、足を止める。
(今日は、ここまでにしよう)
そう思った、その時だった。
くん。っと鼻を鳴らす音が響く。
その瞬間、頭の中で何かが噛み合わなかった。
(気配遮断があるのに?)
音は消している。
動きも抑えている。
それでも。
(もしかして......匂い?)
気配は消せても、匂いまでは、消せていなかった。
後ろを振り向こうとした時には、遅かった。
横から、衝撃がくる。
身体が浮き、壁に叩きつけられる。
(気配遮断は万能じゃない......!)
気配遮断は、存在を薄くするだけで、消しているわけじゃない。
その当たり前の事実を、私は、戦いの最中に思い知った。
視線をそちらに移す。
視界の端に、細長い影が映る。
コボルトがいた。
立ち上がろうとした瞬間、爪が迫る。
間一髪で転がり、避ける。
避けた。
いや、避けすぎた。
身体が、想定より先に転がる。
壁が近い。
立ち上がろうとした瞬間、もう次の攻撃が来ていた。
(速い......!)
相手だけじゃない。
自分も。
速くなった分、一つの動作にかかる時間が短すぎる。
考える暇が、ない。
(身体が制御できてない......!)
攻撃が速い。
ゴブリンとは比べ物にならない。
私の防御は低い。
あと一撃でももらったら、きっと動けなくなる。
歯を食いしばり、相手の動きを必死で見る。
一瞬の隙ができ、踏み込む。
全力で、ナイフを突き立てた。
コボルトが断末魔をあげる。
倒れた後も、その場でしばらく動けなかった。
(......生きてる)
心臓が、うるさい。
***
洞穴を出て、息を整える。
身体は、動く。
致命傷はない。
だけど思うことはある。
(危なかった)
怪我をしたからじゃない。
できると思ったからだ。
足は速くなった。
力も強くなった。
でもそれを、使いこなせてはいなかった。
気配遮断も、攻撃力も、敏捷も、分かったつもりで、何も分かっていなかった。
(次は、同じ失敗はしない)
そう、強く思った。
私は、まだ弱い。
慎重にならなきゃいけない。
ちゃんと、考えないといけない。
それでも探索をやめる、とまでは思わない。
日常は続く。
でも、もう前と同じじゃない。
私は、もう一度前を向いた。
***
夜遅くに帰宅すると、珍しく家に父がいた。
「遅かったな」
「うん」
それだけ。
夕飯を食べながら、父はニュースを流し見している。
ゲートの話題が映る。
「......変な世の中になったな」
ぽつり、と言う。
「危ないところには、近づくなよ」
忠告というより、確認みたいな声だった。
「分かってる」
そう返事を一応返す。
父は、それ以上何も言わなかった。
聞かない。
踏み込まない。
その距離感が、
少しだけ、ありがたくて。
少しだけ、寂しくて⸻
だからこそ、戻ってこられる場所だとも思った。
***
夜、ベッドに腰掛け、布団を被る。
今日は反省点が多い日だった。
それでも⸻
今の私は、昨日より確かに前に進んでいた。
———————————————————————————————
本作をここまで読んでいただき、ありがとうございます!
少しでも面白いと思って頂けたら、作者の励みになりますので、♡や⭐️、感想など是非よろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます