第十二章「剣を抜かぬ勇者」

アレルは、剣を抜かなかった。


柄に置いていた手を、

ゆっくりと離す。


その動きは、

剣を抜くよりも

よほどはっきりした意思表示だった。


魔王軍の指揮官は、

ほんの一瞬だけ目を閉じる。


「……そうか」


それは失望でも、安堵でもない。

理解だった。



退く者


「では、

ここから先は――勇者の物語だ」


指揮官は一歩下がる。


「我々は、

管理できない世界に

価値を見出せない」


「育つ勇者は、

支配できない」


「だから、

ここで退く」


剣を抜かないまま、

彼の姿は霧に溶けるように消えた。


戦闘は、起きなかった。



扉の向こう


扉は、音もなく開いた。


玉座はない。

宝もない。


そこにいたのは――

人の形をした影。


王冠も、

武器も、

敵意もない。


それでも、

空気が変わる。


(……魔王)


トーマスは、

初めてそう認識した。



魔王の言葉


「剣を抜かぬ勇者は、

初めてだ」


声は、驚くほど穏やかだった。


「我は、

世界に必要な

“役割”として

ここに在る」


「恐怖を集め、

憎しみを引き受け、

人が進むための

壁となる存在」


アレルは、

一歩前に出る。


剣は、抜かない。


「壁なら」


一拍。


「越える」


「壊さない」


「……越え方を、

選ぶ」



役割の終わり


魔王は、

しばらく沈黙した。


やがて、

静かに頷く。


「ならば、

我は――退く」


「恐怖は、

人が生み出す」


「それを

我が引き受ける理由は、

もう無い」


城が、

震えない。


崩れない。


ただ――

意味を失う。



それぞれの立ち位置


トーマス


一歩も前に出ない。


だが、

逃げてもいない。


(……信じ切ったな)


それでいい。

それが、

彼の役目の完成だった。



ミリア


ここで、

初めて祈る。


「どうか……

この選択が、

憎しみに変わりませんように」



魔王


最後に、

アレルを見る。


「勇者よ」


「次に迷う時も、

剣を抜くなとは言わぬ」


「だが――

抜かないという選択が、

可能だと知っていれば

それでいい」


影は、

静かに消えた。



世界の確定


城は、

終着点ではなくなった。

• 魔王は“敵”ではなくなった

• オーブは誰の手にも渡らないまま、

世界に確定した

• 勇者は、

斬らずに進む道を知った


世界は、

ほんの少しだけ――

優しくなった。

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