第七章「女海賊レイナ」

南下するにつれ、海の色が変わった。

深く、重く、そして――知っている者だけを通す色になる。


水平線の先に、要塞が見えた。


断崖に食い込むように築かれた石の砦。

港でも、街でもない。


「……あれが、根城か」


アレルが呟く。


商船の甲板に、緊張が走る。

だが、要塞からは砲火も、警告も来ない。


代わりに――

もうもうと、煙。


ガルドが目を細める。


「狼煙じゃな……

ふむ、『歓迎する』そうじゃ」


アレルが振り返る。


「……歓迎?」


「敵は同じ、ということじゃろ」


トーマスは無言で頷いた。


(……あの女か)



要塞に近づくと、

小舟が一艘、こちらへ向かってきた。


漕ぎ手は一人。

赤い外套。


「よぉ」


軽い調子で、女は言った。


「この前は、どうも」


アレルが身構える。


「……あの時の!」


「そうそう。

海に放り投げられた女海賊」


女は肩をすくめる。


「レイナだよ。

一応、頭目やってる」


トーマスは言った。


「沈めなかったのは、

失敗だったか?」


レイナは吹き出した。


「いいや。

あんた、面白い」


要塞に案内される途中、

レイナは語った。


魔王軍が、

この海域に干渉し始めたこと。


補給路を荒らし、

島を消し、

海そのものを壊そうとしていること。


「海賊にとって、

海は仕事場でさ」


「壊されちゃ、

商売あがったりだ」


アレルが聞く。


「だから、協力するの?」


「だから、一時休戦だね」


レイナは笑う。


「敵は同じだろ?」



要塞の中は、

思ったより整っていた。


略奪者の巣、というより――

港を失った人間の集合地だ。


「……海賊って、

もっと無茶苦茶だと思ってた」


アレルの言葉に、

レイナは苦笑する。


「無茶苦茶じゃ、

長くは続かないさ」


「奪うだけの奴は、

すぐ沈む」


その視線が、

トーマスに向く。


「……あんた、

奪わないタイプだね」


トーマスは答えない。


だが、

否定もしない。



夜。


要塞の上。

見張りに立つトーマスのもとへ、

レイナが酒瓶を持ってきた。


「一杯どう?」


「海賊が、

海の上で前後不覚か?」


「今はただのレイナだよ」


距離が、近い。

触れないが、

触れられる距離。


「……変な男だね」


レイナが言う。


「前に立つくせに、

奪わない」


「逃げてもいい場面でも、

立つ」


トーマスは前を見たまま答える。


「役目だ」


「役目、ねぇ」


レイナは酒を一口飲む。


「ねぇ」


「もしあたしが、

海賊をやめたら」


「……前に立ってくれる?」


トーマスは即答しない。


夜の海を見てから、言う。


「選ぶなら、

止めねぇ」


「だが、

前に立つかどうかは

その時決める」


レイナは笑った。


「……それでいいや」


酒瓶を置き、

背を向ける。


「今夜は、

酔わなくていい」



その距離を、

見ている者がいた。


アレルは、

足を止める。


胸の奥が、

小さく揺れた。


(……知らなかった距離)


だが、

剣には触れない。


(これは、

斬る話じゃない)


わざと足音を立てる。


「……見張り、

交代する?」


トーマスが振り返る。


「……ああ」


レイナは一瞬、

アレルを見る。


探るように。

それから、退いた。


ミリアは、

少し離れた場所で

すべてを見ていた。


祈らない。


(……大丈夫)


(まだ、

壊れる距離じゃない)



翌朝。


レイナは言った。


「南に行くと、

“赤い月の島”がある」


ガルドの顔色が変わる。


「……知っておる」


レイナは真剣だった。


「魔王軍が、

そこを壊そうとしてる」


「島じゃない。

条件そのものを」


トーマスは、

前を見る。


(……来たな)


アレルは、

剣を握る。


抜かないまま。


「行こう」


その一言で、

進路は決まった。

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