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「蕗島さんの奢りということなのでどんどん頼んでしまいましょう」
頼むだけ頼んで戸草の前にありとあらゆる料理の皿が積まれていく。
戸草は半目でそれを見ていた。
事件の後、なぜか名護と居酒屋に行くことになった。
蕗島も後で合流すると言っていたがいつ来るのか。
戸草は行きたくなかったが、報告の連絡をした際に上司命令だと蕗島に言われたのでなかば諦めで来た。
駅前の狭い居酒屋は夜も遅い時間だというのにそれなりの客がいた。
テーブル席も戸草と名護が座っている場所意外全て埋まっている。
なんの嫌がらせなのか名護は料理に箸をつけないくせにどんどん注文をしていった。
「あの名護さんそれくらいにしたら……」
どうなんですか、と言おうとして。
「カシスオレンジです」
戸草の前に薄赤い液体のグラスが置かれた。
「……頼んでないんですが」
戻そうとすると、名護が微笑んで受け取る。
「ありがとうございます」
店員は顔を赤らめて去って行った。
「なんですか、これ」
名護はニコリと微笑むと未使用のナイフを持ち上げる。
他人に見えにくい位置で手の平を切ると流れた血を数滴グラスに落とした。
「……飲んで」
ゴクリと戸草は喉を鳴らす。
「外でそんなことをしないでください」
「誰も見てませんよ」
小声でのやりとりの後、あたりをそっと見渡す。
たしかに誰も彼もが宴会に夢中で周りのことなど気にしてもいないようだ。
毒杯を煽る勢いで戸草はそれを飲み干した。
「早いですね。喉渇いてたんですか」
今はそれほど渇いてはいなかったが止める間もなく名護が勝手なことをするからだ、と思った。
口にはしないが。
「あのマガモノは
「シン、ってなんですか」
「幻影をみせる煙を吐く貝……
「昔からいたってことですか」
「その姿を模したものだと思われますね」
名護の前にサワーです、と言って赤い飲み物が置かれる。
ピチピチと弾ける泡がどこか水面を思わせた。
ゆっくりと名護が口をつける。
その姿は血色が悪い青白い肌と相まってまるで吸血鬼のようだ。
皮肉だな、と戸草は思う。
「どうかしましたか?」
「いえ、別に」
クスリと名護は笑む。
「蜃は自分に都合のよい幻想を見せてくるものだという伝承があります。君はなにか見たんですか」
ピクリと眉を動かしてからグッと口を引き結ぶ。
こちらを見透かすような言葉はからかっているのだろうか。
見えたものを知っているのか。いや、これはおそらくかまをかけているだけだ。
「別に特別なものは見ていません。名護さんこそなにか見たんですか」
「さあ、どうでしょう」
はぐらかされるだろうとは思ったが名護は目を伏せて表情ひとつ動かさない。
「どんな甘い心象風景を見たのかは知りませんが所詮夢は夢ですからね。期待しないほうがいい。特に君のような存在は」
「……どういう意味ですか」
戸草は名護を睨んでヒビが入りそうな力でグラスを握る。
「お疲れさまー、お二人さん」
ドン、と背中をこずかれた。
「蕗島さん」
「どうした不機嫌そうな顔して。つうか、お前ら頼みすぎ!どんだけ食うんだよ成長期のガキか」
戸草は頼んだ張本人の名護を見るがすました顔で酒を飲んでいる。
「なに飲んでるんだ名護」
「トマトジュースサワーです」
「相変わらず不味そうなもの飲んでるな」
そんな言葉が戸草の頭に浮かんだ。
蕗島が指を一本立てて言う。
「すみません、生ビール一杯!戸草はどうする?」
「自分も同じので」
「もう一杯追加で!」
はい喜んでー!と店員が軽快に挨拶する。
どこからか視線を感じてふと見るとカウンター席に達磨が置いてあるのがふと目に入った。
病院の友人の部屋で見たものを思い出す。
流行ってるんだろうか、達磨。
のんきにそんなことを思った。
「さて、と」
蕗島が言った。
「ここからは夜の特別授業だ」
場所は移って、特務課室である。
戸草と、珍しく名護も自分のデスクに座って蕗島が持ってきたホワイトボードを見る。
「マガモノ、とはなにか」
キュッと黒のマーカーで『マガモノ』と書く。
「不可思議な現象を媒介する怪異」
名護は静かな口調で言う。
「人の憎悪や恐怖といった負の精神につけこみ、力を増していく。そして怪異に侵食された人間は同じくマガモノとなる。完全に侵食されれば黒い泥の塊のような化け物となってもう元には戻らない。救いようがありませんね」
戸草は手を上げる。
「はい、戸草くん」
蕗島はマーカーを向ける。
「あの……。今の事件の船橋はどうだったんですか?」
「まさにマガモノがついていたようだな。幸い侵食はまだそれほど進んでいなかったしく、医療班に除去してもらって回復見込みとのことだ。だが、殺人の容疑で逮捕は免れないだろうな」
やはり、古畑を殺したのは船橋なのか。
そしてどんな理由かは知らないが、遺体を部屋に置いていた。
戸草は嘆息する。
名護は頬杖をついてどうでもよさそうにそれを見ていた。
「マガモノの解釈については名護の答えがほぼ満点だな」
「では、もういいですか?」
「まだだ。マガモノの本質は人であったものだ」
蕗島は今度はホワイトボードに『人』と書いて『マガモノ』に矢印を書く。
「二つは密接に繋がっている。まだわかっていないことも多いが元は人の念であったことをわすれてはならない、とだけ言っておく」
「大変ためになるお話ですね」
名護は皮肉げにそう言った。
そして、戸草のほうにチラリと視線を向ける。
「……失礼します」
戸草は立ち上がって礼をすると、退室した。
「お疲れ様でした」
「なんだ戸草のやつ。やけに急いで出ていったな。見たいテレビ番組でもあるのか」
あなたじゃないんですから、と内心思ってから名護は目を細めて言う。
「津山綾の事情聴取が終わったら家まで送っていくそうです」
「お前も行かなくてよかったのか?」
「なぜ?」
蕗島はニヤリと笑う。
「面白くなさそうな顔してるからだよ。嫉妬か?」
「……なんの話でしょう?」
名護の顔が険悪になったのを見て言った。
「はい、この話はもう終わり!最近お前どんな本読んでんの?」
「……海外のミステリーなどですね」
「お前……仕事の上に自由時間もそんな感じなのかよ」
蕗島は呆れ顔をする。
「むしろ仕事と切り離すためですよ。アレはフィクションですから」
「やっぱり本好きなんだろ?」
蕗島がしてやったり、という顔で見ると名護は思案顔になった。
「好き……。好きというのが私にはよくわからないのですが。読んでおいて損はないと思いますし、没頭することができます」
顎に手をやって宙を見つめる。
「本を読むことは私にとっては当たり前のことになっているので」
「夢中なんだろ。それが好きってことなんじゃねえか」
「そうですか……」
蕗島が言うと腕を組んで名護は下を向いた。
蕗島は思う。名護はまだ自分の感情に気づくことができていないようだ。うまく向き合えてないと言うべきなのか。
世話を焼かせる部下どもだな、戸草も含めてと蕗島は内心ため息をつく。
けれど。
戸草に接しているときはわりかしこいつも素直に見えるんだけどな、と蕗島は思う。
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