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「閉じこめられた?どういうことですか?」


 戸草が首を傾げると名護は言った。


「戸草くんも実験してみますか?玄関ドアを潜ってみてください」

「はい……」


 言っていることが理解し難かったが足を進めてみるとぐにゃりとゼリーの壁に突き当たったような妙な感触がした。

 勢いよく通り抜ける。


「おっと」


 名護の肩に顔をぶつけた。


「すみません」


 そして気づく。

 名護に背を向けて出ていったのに、今は名護の後ろに立っていることに。


「これは……」


 呆気にとられる戸草を見て名護は言う。


「この部屋がある種の閉じられた空間になっているということですね。津山さんもこの現象で出られないということでしょうか」

「はい……」


 力なく津山は頷く。


「いつからですか?」

「たぶん一週間前くらいです。この部屋、一日経つと時間がリセットされるんです。そしてまた同じ日の繰り返し……。途中から数えるのやめちゃいました」


 津山は乾いた笑いを浮かべる。

 話が事実ならこの部屋で普通でいられるほうがおかしい。

 急いで出る方法を検討しなければならない、と戸草は思った。


「古畑さんはこのことに気づいているんですか?」


 ふと疑問をもって戸草は言った。


「いえ、あの人……。あれは……喋らない方がいいです」


 津山は口ごもる。

 どういうことかわからないが、とりあえず従うことにした。


「家主の船橋陽彦の様子を確認してみます」


 この現象には彼が関係しているとしか思えなかった。戸草は奥のドアに向かっていく。名護もそれに続いた。


「ちょっと待ってください」


 津山の制止の前にドアに手がかかる。


「失礼します」


 ドアを押して入った。

 うっ、と息を飲む。

 ここもだ、と戸草は思った。

 生臭い海水のにおいがこもっている。

 奥の机に男が座っていた。


「船橋さん?」


 横顔が見えるが、その表情は微動だにしない。

 ペンを握り取り憑かれたように原稿をかいている。

 この近距離で声が聞こないはずはない。異様な雰囲気だ。


「船橋さん」


 失礼します、と言って戸草は肩を揺すってみた。それにも反応しない。

 ただ一心にペンを動かすカリカリという音だけが響いている。


「いったい……」


 戸草がそう言った時だった。


「陽彦さんは今忙しいんです」


 ドアを塞ぐように、いつの間にか古畑が立っていた。


「二人とも逃げてください!」


 津山の悲鳴が聞こえた。

 古畑の手には鈍く光る包丁が握られている。

 首をほぼ垂直に傾げると古畑は歪に笑った。


「邪魔をしないでいただけますか?」


 飛びかかってくる。

 戸草の前には名護が立っている。

 このままだと名護に刺さると戸草は焦った。


「名護さん……!」


 包丁で名護の腕が切り裂かれた。

 血が飛び散り古畑にかかる。

 次の瞬間、名護の血がかかった部分がグシャリと崩れた。


「これはこれは」


 名護はニイと笑い、戸草は顔を引き攣らせる。

 異形のものが立っていた。

 水で顔が膨張し、髪が海藻のように張りついていて表情はほとんど見えない。ボロ布のように破れた服からのぞく肌は滑り藤壺フジツボがビッシリとついている。

 古畑波凪の姿が名護の血がかかった部分を中心に崩れていた。


「マジか……」


 戸草は息をのむ。


「これはマガモノですね」


 至極冷静に名護は言った。

 怪異が姿をとったものであるマガモノは名護の血によって弱体化させられる。

 今、古畑……古畑の形をしたマガモノに起こった現象もまさにそうだ。


「名護さん、腕……!」


 見たところによると浅い傷のようだ。

 よかった、と思う。


「近寄らない方がいいですよ、今は」


 名護は片手で戸草の頭を押しのける。


「血に酔うと困りますから」

「……はい」


 二人で古畑に向き合う。


「ちなみにこの状況をどう切り抜けるかということなんですが……」


 マガモノはボタボタと濁った液体を垂らしながら、前進してきた。

 オン、とおよそ人間から発せられるとは思えない獣のような声で鳴く。


「いったいどうしたら……」


 戸草は腰の銃に目をやる。

 民家ということを考えなくても使いたくない。

 名護が机の上のカッターに目を止めてそれを取ろうとした次の瞬間、名護の手が机に沈みこんだ。


「これは……」


 机の上には原稿が置いてある。

 原稿に吸いこまれた名護の腕がどんどんと沼に沈むように引きこまれていく。


「名護さん!」


 ズルン、と名護の姿が机の上から消えた。

 その片手をあと一歩のところで捕まえる。

 落ちていく嫌な浮遊感があった。

 厄日か。

 そんなことを思って意識を失った。


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