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 アパートの一室にやってきた。

 記録によるとここが降旗陽士の自宅兼職場らしい。

 表札はかかっていない。


「降旗陽士。本名、船橋ふなはし陽彦はるひこ。恋人の古畑ふるはた波凪はなと同居中と資料には書いてありました」


 すらすらと名前が出てくる。

 資料をすべて暗記しているのだろう。


「訪問といきましょうか」


 戸草はチャイムを鳴らしてみるが壊れているのか、中から反応はなく音も聞こえない。仕方なくドアを叩いてみることにした。


「船橋さん、いらっしゃいますか?」


 すると予想に反してキイ、とドアがすぐに開く。


「あら。こんにちは」


 薄く化粧をした女が微笑んでいた。

 美人だ。

 緩くウェーブした髪に大きな目、人懐こそうな顔をしている。


「失礼。古畑波凪さんでしょうか?」


 名護が尋ねる。 


「ええ。お客様でしょう?どうぞ入って」


 半ば強制的にドアの向こうに迎えられる。

 好都合だが、戸草は不自然に感じた。

 見ず知らずの人間をこうも簡単に部屋に招き入れるものだろうか?


「ごめんなさい。うちの人、今原稿に夢中で。お話なら私が伺います。こちらへどうぞ」


 小さなキッチンに並ぶように椅子とテーブルがあった。


「いえ、お構いなく……」


 話なら立ったままでもできるので戸草は手を振る。

 その時、入ったときからドアが閉じていた奥の部屋から細身の女性が出てきた。

 戸草と名護の姿を見て少し緊張した顔をする。


「この子はアシスタントの津山つやまあやちゃんです」

「はじめまして……」


 頭のてっぺんでまとめた髪、俯きがちな顔には眼鏡をかけていて化粧気はない。

 着ているのも簡素なジャージに似た服で女性の部屋を無遠慮に訪れてしまったような気まずさを感じる。


「じゃあお茶を淹れますね」


 手を合わせて古畑は言った。

 なぜか客が来て嬉しくて仕方ないといった風だ。


「あっ、あの。波凪さんは座っていてください。私がお茶を淹れますから」


 うわずった声で津山は言った。


「あら。いいのよ、綾ちゃん」

「いえ。やらせてください。このところ仕事で部屋にこもってばかりで身体も鈍っていますし」


 古畑はゆったりと微笑んだ。


「じゃあ、お願いしてもいい?人が淹れてくれたお茶を飲むのも大好きなの私」


 屈託なく微笑むその姿は少女のようだ。

 外見年齢からするとおそらく二十代半ばくらいだろうが仕草は幼く見える。


「ええ。すぐに。お二人ともよければ好きな飲み物をこちらに来て選んでください。コーヒーはインスタントですが、紅茶や緑茶もありますので」

「では、お言葉に甘えて」


 名護は戸草に顔を向けると、視線でキッチンのほうを見る。

 お前もついてこいという意味だろう。

 キッチンの陰になっている部分に隠れると、なぜか津山は古畑の様子を伺う。

 そして切羽詰まった顔で名護と戸草に小声で言った。


「助けてください。ここから出してください」


 涙声だ。

 戸草は慌てたが、名護はいつもの通り冷静そのものだった。


「どういうことでしょうか。順を追って説明していただいても?」

「助けにきてくれたんじゃないんですか」


 津山は戸草と名護の顔を交互に見る。


「俺たちは捜査にきたんです。その……漫画のことで。つかぬことを伺いますが『蜃海侵入』という作品をご存知ですか?」


 戸草がそう言うと津山は身体を震わせた。

 なにか知っているのだろう。


「そんな……。じゃあやっぱりあれが原因で……」

「原因とはどういうことですか?」


 名護が問うと津山綾が言う。


「あの漫画は……なんと言えばいいか……。見る人をおかしくさせる呪いの力を持っているんです」


 呪いの力。

 普通なら笑い飛ばされるであろうそのワードだが、名護と戸草はまったく笑わなかった。


「それでおかしくさせるとは具体的にはどういうことなんですか?」

「漫画の中に、精神だけ閉じこめられるんです。読んだ人は生きていても死んでいるみたいな状態になって」

「まるで魂を抜き取られたような、ですか?」


 激しく頷いてから、泣き笑いのような顔で津山は言った。


「信じてくれるんですか?こんな、おかしいでしょ」


 名護はこともなげに言う。


「言葉だけだと信じ難いですが、うちの扱う怪奇事件は十中八九そのような感じですからね」


 ニコリと笑う。


「怪奇事件……ですか?」

「ええ。あなたを信じますよ」

「そう……ですか」


 名護の語りに少し落ち着いた様子で津山は言う。


「最初の被害者は波凪さんでした。先生は完成間近の原稿をまず波凪さんに見せるんです。読んだ波凪さんは動かなくなって。今はあんな調子ですけど、なにかおかしいんです」


 落ち着きなく津山は言う。


「あの原稿を外に出してはいけなかったんです。止めようとはしたんですけど、編集者さんが勝手に持っていってしまって」

「なぜ取りに行かなかったんですか」

「行きたくても行けなかったんです。私はこの部屋に閉じこめられていて……」


 ハッと目を見開いて二人を見る。


「ちょっとこっちに来てください」


 津山は先導して玄関のほうに歩いていく。


「あら、綾ちゃんどうしたの?」


 古畑の言葉に動揺も見せず津山は言った。


「ちょっとお手洗いをかりたいらしくて」


 二人揃ってか。

 しかし、古畑は疑問を持った様子もなく言った。


「そうなの。どうぞ使ってくださいな」


 急ぎ足で通り過ぎる津山に名護と戸草は着いていく。

 玄関を開けた。

 ヒュッと津山は息を飲んだ。


「……見えますか?」


 そこには同じ部屋が続いている。

 まるでだまし絵のようだ。


「これは……」


 戸草が絶句する。

 名護は一歩足を踏み出した。


「ちょっと名護さん」


 名護の姿が消えて戸草は動揺する。

 どこに行ったんだ。


「なるほど」


 は、と後ろから声が聞こえてきて振り向く。

 いつの間にか名護が背後に立っていた。


「え、さっき名護さんそこに入って行きましたよね?どういうことですか」


 戸草がそう言うといつもの平坦な声で名護は言った。


「どうやら閉じこめられたようですね」


 唇を噛んで津山は俯いている。


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