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 ビンゴだ。 

 藤原の言ったことは的を射ていたようで、閲覧室に置いてあった六月七日の新聞には女性の自殺騒ぎについての話が載っていた。

 自殺騒ぎといってもその女性は命を取り留めていたようだ。 

 その事実にそっと戸草は胸を撫でおろす。

 さらに新聞を読み進めてみると、目撃者である大学生の奇妙な証言がのっていた。

 その女性は自分の意思というよりは何かに引かれるようにふらふらとフェンスに近づいて行ったらしい。

 オカルトじみた話だ。

 人間は鳥ではない。もちろんそのまま落下し、問題は最後の方に載った言葉だ。


「落下の直後、地面から伸びた手が花を散らせながら女を掴んだ……?」


 花。

 その言葉に俺の心象風景を見たときの記憶が、呼び起こされる。

 花。花。花。

 それはまるで狂い咲いた桜、いや椿か。

 季節外れの雪の白が、真っ赤に染まる。

 花が、幽玄のように舞い散って……。

 急いで新聞をしまうと、デスクへ戻った。 

 別館の窓際に追いやられた捜査課では、上司の蕗島ふきしまが呑気にコーヒーを飲んでいる姿しかなかった。


「蕗島さん……!名護さんは」

「ん?おお仲良しコンビのお前らが別行動とは珍しいねえ。自販機のところでさっき見かけたぜ」


 そう言われて戸草は廊下へ飛び出す。

 休憩コーナーに名護はいた。

 自販機と古びた椅子、机だけが素っ気なく置いてある簡素な場所だ。

 なぜか折り紙で何かを折っている。


「名護さん」

「戸草くん、ちょっと待ってくださいね。あと少しでできるから」

「そんなこと言っている場合じゃ……」

「いや、遊びは重要ですよ。ストレス解消にもなるし、思考を柔軟にしてくれる。ほら、できた椿」


 そう言って、名護がそれを戸草に放る。

 赤い、花。

 それはとてもよくできていた。


「まあ、遊びの時間は終わりですね」


 腕を組んで軽く伸びをすると、名護は言った。 


「何か私に話があるんでしょう?現場に行きがてら聞きましょうか」



 戸草はビルの前に着くと言った。


「ここで心象風景ビジョンを見たんです。赤い花と、女の顔がいくつも浮かんでいるのを……」

「ふーん。いつも思うのだけど惜しいですね。私にも、見えればいいのに」 


 こんな身体になった当初はそうではなかったが、最近は名護の無神経な発言も気にならなくなってきた。

 からかいではなくて、本心でそう言っていることがわかってきたからだ。


「運命は皮肉ですね。欲するもののところに必ず求めるものがくるとは限らず。求めざるもののところに欲せざるものがくることもある」


 遠い目をして名護はそう言う。



「あの」


 そのとき、二人に声をかけてきたものがいた。


「そのビルになにか用事ですか?」


 テナントも出ていってしまい廃ビルと化した建物の周辺をうろついていたらさすがに怪しまれるか、と戸草は思った。

 それにしてもこの青年はなんだろう。

 中肉中背で凡庸な見た目のどこにでもいそうな男、という形容がまったくよく似合う。

 癖のない黒の短髪は真面目な印象を受けるが服はよれていてどこかだらしない。

 顔立ちも若く社会人ではなく、学生じゃないかという印象を受けた。


「どなたですか?」


 名護が穏やかに聞く。

 こういう時、名護は真っ当な社会人に見える。

 中身が相当に怪しくても、普通の仮面をかぶっている。

 本性を知っている戸草からすると嘘くさい笑顔に不愉快な気分になるがわざわざ言うことでもないので黙って見ておく。


「えっと、本木もときといいます」

「本木さん。学生ですか?」

「はい、ここからすぐの大学に通っています」


 怪訝けげんそうな顔でこちらを見ている。


「ああ。怪しいものじゃありませんよ」


 そう言って名護は警察手帳を取り出す。


「刑事の名護です」


 戸草のほうをチラリと見る。


「同じく刑事の戸草です」

「はあ」


 どこか肩の力が抜けたような顔で本木は言った。


「じゃ、あの。そこのビルの事件について捜査しにきているんですか?」

「ええ、まあ。ご存じなんですか?」

「噂になっていますから。飛び降り事件ですよね」


 やっぱり聞いていて気持ちのいいものではないな、と戸草は思った。


「それは?」


 すいと本木の手元にあるものを見て名護は言う。

 本木の手には両手に収まるくらいのカメラがあった。

 安っぽいものではなく見た目からして値段が高そうな一眼レフだ。


「ああ。これ趣味のカメラです。いわゆる古い建物というか廃墟ってものが好きで……。たまに撮りにきているんです」


 廃墟マニアとは聞いたことがあるが物好きもいるものだと戸草は思う。


「見せてもらっても?」

「どうぞ」


 素直に本木はカメラを名護に渡した。 

 名護は無遠慮にカメラの履歴を見ていく。


「なかなかうまく撮れていますね」


 世辞だろうがそう言う。


「おや、これは……」


 何か気になったものがあったようだ。

 名護は手を止める。


「花の写真がけっこうありますね」


 照れくさそうに本木は笑う。


「ええ。女々しいと思われるかもしれませんが、花が好きで。……彼女の影響なんです」


 ピッピッとボタンを押しながら名護は本当に見ているのかという速度で写真を見ていく。


「なるほど」


 手を止めて名護は目を細める。


「わざわざお時間をいただいてすみませんでした」


 微笑んで名護はカメラを返す。


「ああところで」


 なんでもないことのように名護は言う。


「このビル近いうちに取り壊されるらしいですね。今のうちに写真を撮っておくといいですよ」

「捜査は終わったんですか?」

「ええ。もう見るべきものはないので切り上げようと思っていたところです」


 名護が言うと本木はほっとしたように言った。


「それはよかったです」


 一瞬、口元が緩んだ。

 不謹慎かと思ったのかすぐに表情は引き締まった。


「お仕事お疲れ様です」


 そそくさと離れていく。



「……どう思いました?」


 本木が見えなくなる位置まで去ってから名護が静かな口調で問いかける。


「クサいですね」


 戸草は言った。

 実際顔をしかめてみせる。


「なんであんなことを言ったんですか?」

「どのことですか」


 とぼけるのか、と思う。


「このビルが取り壊されるとかいうことですよ。そんな予定は今の所ありませんよね?」


 じっと名護は戸草を見た。

 上品にニコリと笑う。


「嘘も方便ということです」


 空がゆっくりと暮れてきた。

 見上げながら名護は言う。


「夜になるにはまだ時間がありますね。捜査室に戻って少ししてから出直しましょう。それともどこか喫茶店でも入りますか?」


 名護と二人で向かい合ってお茶なんてごめんだと思った。


「いえけっこうです」

「残念」


 たいしてそう思ってない口調で言い、名護は歩いていく。

 戸草もどこか重い足取りでそれを追った。

 夜に出直す。夜に何かあるのだろうか。

 聞いてもはぐらかされるだけの気がするので黙ってその時間を待つことにする。


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