第4話 漫画が語った家族
智明が立ち上がり、居間の隅に置いてあった紙袋を手に取った。
「じゃあ……これ」
そう言って、恵に渡す。
恵は一瞬だけ息を整え、紙袋から12月号の月刊誌を取り出し、こたつの上に置いた。
『――――――』
薫は、その冊子を両手で受け取った。
「これは……漫画本?」
「うん。自分の漫画、入賞したの」
恵はそれ以上、何も言わなかった。
智明も、黙っている。
薫は少し迷ってから、栞がささっているページを開いた。
最初のページに描かれていたのは、
昔の家だった。
今より少し広くて、
今よりも人の気配が多かった頃の家。
台所に立つ女の背中。
居間で新聞を読む男。
その足元で、二人の子どもが並んで座っている。
薫は、思わず息を吸った。
――ああ。
それは、確かに自分たちだった。
ページをめくる。
次のコマには、夫の姿があった。
大きな背中。
少し不器用な笑顔。
薫の胸が、きゅっと縮む。
でも、漫画の中の夫は、悲しい顔をしていなかった。
いつも通りで、
当たり前のように、そこにいた。
さらに、ページをめくると、
幼い智明や恵が近所の子供たちを交えて、
楽しそうに遊んでいる姿が描かれていた。
物語は、静かに進んでいく。
夫がいなくなった日。
描写は多くない。
言葉も少ない。
その代わり、
夜の台所で電気を消す母の姿が、
何度も描かれていた。
電卓。
ため息。
黙ったままの背中。
薫は、ページをめくる手を止めた。
――こんなふうに、見ていたのね。
誰にも見せていないつもりだった。
弱っているところも、迷っているところも。
それが、ここにはあった。
少し進むと、
兄の姿が大きく描かれるようになる。
アルバイトの帰り道。
封筒を持つ手。
それを、当たり前のようにテーブルに置いて行く智明。
母は、それを当然のように受け取る。
「ありがとう」という文字は、どこにもない。
薫は、胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。
――私は、この子に、
ちゃんと、何かを返していただろうか。
ページの後半。
描かれている日常は、静かで、淡々としている。
それでも、
一つひとつのコマに、
確かな視線があった。
見ていたこと。
感じていたこと。
言わなかったこと。
すべてが、線になって残っている。
最後のページ。
白い余白が多い一枚だった。
中央に、小さな文字で、こう書かれていた。
「ありがとうは、
言わなくても、
たぶん、伝わってる」
薫は、しばらく、そのページから目を離せなかった。
胸の奥で、
何かが、ほどけていく。
「……」
顔を上げると、
恵と智明が、静かにこちらを見ていた。
「……いい漫画ね」
薫は、涙がこぼれそうになり、そう言うのが精一杯だった。
声が、少し震えた。
「よく……見てるわ」
それ以上は、言えなかった。
恵の目にも、涙がこもっていた。
母が自分の作品を見て、感動してくれた。
智明は、視線を逸らして、こたつの縁を見つめた。
誰も、自分の気持ちを言葉に出来なかった。
けれど、
その「ありがとう」という言葉が、その気持ちが
この部屋に満ちているのを、
薫も智明も恵も、確かに感じていた。
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