第5話 戦ってみせろ


 刀は、ただそこに在った。


 伸ばせば届く距離。

 指先を少し前に出すだけで、触れられる。


 握った瞬間何かが変わる。


 そんな予感が、はっきりとあった。


 だからこそ、俺は手を――止めた。


 これは多分、生活のために振るものじゃない。

 採取クエストを回すための武器でもない。

 身の丈に合った戦いをするための道具でもない。


 これは決して逃げを許さない刀だ。


 今の俺はまだ、これを振る覚悟ができていない。


 そう思ったからこそ、俺はこの柄を握れなかった。


「……怖いのか?」


 背後から女の声がした。


 静かで落ち着いた声。

 責めるようでも試すようでもない。


「いや……」


 否定しかけて、言葉を止める。


 怖くないわけじゃない。

 だがそれが理由じゃない。


 俺は刀から視線を逸らしたまま息を吐いた。


「違う。ただ……」


 言葉に詰まる俺を見て、女は一歩だけ近づいた。


「この刀はな」


 低く、噛み砕くような声。


「斬るためのものではない」


 女は刀に触れない。

 ただ、そこに在ることを示すように視線を向ける。


「これは、鏡だ」


「……鏡?」


「そうだ」


 女は頷く。


「剣士が、己を誤魔化しておるかどうか。何から目を背けておるのか。それを、否応なく映し出す」


 胸の奥が、わずかにざわついた。


「覚悟など、なくてもよい」


 女は続ける。


「今すぐ強くなれとも言わぬ。この刀を振れとも持てとも言わぬ。ただ――」


 一拍。


「剣士として生きていくのなら、己と向き合う時はいずれ必ず訪れる」


 逃げても、誤魔化しても。

 剣を握り続ける限り。


「この刀は、そのきっかけになるだけじゃ」


 俺は黙って刀を見る。


 禍々しい。

 近づきたくない。


 だが同時に、


 目を逸らし続けてきた何かを正面から突きつけられている気もした。


「……握るだけで、いいのか」


「それでよい」


 女は即答した。


 促すでも急かすでもない。

 ただ事実を告げるだけの声音。


 俺はゆっくりと一歩前に出る。


 そして――刀の柄に手を掛けた。


 その瞬間。


 視界が反転した。


 意識だけが奥に引きずり落とされる。


 最初に浮かんだのは同期の顔だった。


 探索者になったばかりの頃。

 同じスタートラインに立っていた連中。


 誰が一番先にランクを上げるか。

 誰が最初に上層へ行くか。


 そんな話でくだらなく盛り上がっていた。


 俺は努力した。

 他人より遅れている自覚があったからだ。


 訓練も、座学も、実地も。

 人より多くやったつもりだ。


 それなりに強くなった。


 少なくとも自分ではそう思っていた。


 でも結果はついてこなかった。


 気づけば同期の何人かは、俺の背中を軽々と追い越していった。


 次に思い出したのは後輩の顔。


 まだ若く、才能があって、


 吸収が早い連中。


 俺が時間をかけて身につけたことをあっさりと再現してみせる。


 冗談混じりに言われた。


『三枝さん、相変わらず堅実っすね』


 悪意がないのは分かっていた。

 だから笑って返した。


 気にしていないふりをした。


 でも――その時、握った拳は震えていた。


 そして最後に思い出したのは、あの日だ。


 探索者協会のカウンター前。

 五年も共にしたパーティメンバーと向かい合って。


『悪いけど、お前、このパーティから出てってくれ』


 理由は分かっていた。

 足手まとい。

 成長が遅い。

 戦力にならない。


 全部、事実だ。


 だから俺は何も言い返せなかった。


 その後、何度も自分に言い聞かせた。


 ――身の丈に合った戦いをしているだけだ。

 ――生活はできている。

 ――家賃も払えている。

 ――飯も食えている。


 何も、問題はない。


 そう思い込もうとした。


 だが――


 違う。


 本当は、ずっと悔しかった。


 置いていかれた時も。

 追い抜かれた時も。

 追い出された時も。


 俺の心はずっと泣いていた。


 身の丈に合った生活?


 そんなもの望んでいなかった。


 俺は――強くなりたかった。


 俺を笑ってきた探索者たちを。

 俺を切り捨てたパーティの背中を。


 追い越して、振り返らせてやりたかった。


 気づけば頬を伝うものがあった。


 小さな雫。


 視界が滲む。


 同時に、俺の手は自然と動いていた。


 視界がゆっくりと現実に戻ってくる。


 石造りの床。

 静かな空間。

 そして俺の手の中にある、確かな重み。


 いつの間にか刀は地面から抜き取られていた。


 意識して引き抜いた記憶はない。

 だが、確かに俺は今、それを握っている。


 柄は冷たく、乾いている。

 不思議と手に馴染まない感じはしなかった。


「……覚悟が、決まったようだな」


 背後から女の声がした。


 振り返ると、彼女はいつもの落ち着いた表情で俺を見ている。

 値踏みでも嘲りでもない。


 ただ、事実を確認するような目だった。


「……ああ」


 短く答える。


 胸の奥にまだ痛みは残っている。

 悔しさも、未練も、消えたわけじゃない。


 だがもう目を逸らすことは、しないと決めた。


「おかげさまでな」


 俺がそう言うと、女はふっと口元を緩めた。


「ならば、よい」


 それだけ言って、彼女は踵を返す。


「……で、この刀は何なんだ?」


「この刀の名は【冴斬】。さっきも言ったが、これはお主の心を映す鏡……いや――」


 彩芽は突然口を閉じ、俺の手元を見る。


「理屈で説明するより、使ってみるほうが早いか」


「使うって……どこで?」


「決まっておろう」


 即答だった。


「そうだな……少し上の方に行ってみるか」


「――っ!?」


 一瞬、思考が止まる。


 それも当然のこと。

 彼女は、何の前触れもなく俺の手を握ってきたからだ。


 いきなり何だ、という言葉すら出てこない。


「なんだ、おなごと手を繋げて、ドキドキしておるのか?」


 彩芽は愉しげに口元を緩ませる。


「だ、誰がドキドキなんて――」

 

「よし、そろそろ転移するぞ」


「は!? ちょ、待――」


 彼女のあまりに速すぎる転調に追いつく間もなく、俺の身体はふっと軽くなった。


 足裏の感覚が消え空気が裏返る。


 次の瞬間――


 俺は、見知らぬ場所に立っていた。


 空気が重い。


 一階層とは比べものにならない魔力濃度。

 呼吸するだけで、肺がわずかに圧迫される。


 視界は広く、天井も高い。

 だがどこか閉塞感がある。


「……見覚えは、ないな」


 スマホを確認した。

 現在位置を知るためだ。


 探索者用のアプリには、どの階層にいるかが分かる要素も組み込まれている。

 ちなみにどういう仕組みなのかは分からない。


「――ッ!? 十七階層!?」


 そう理解した途端、背筋を冷たいものが走った。


 アケボノ時代、パーティでは来たことのある階層。

 しかし一人の力じゃ敵一体傷つけられなかった場所だ。


 そして正面。


 正面に立っていたのは、こちらに背を向けたグランド・トロール。


 全身を覆う岩殻は分厚く、その隙間を縫うように魔力が脈動している。


 体高は三メートル弱。

 動きは鈍重に見えるが、人と同程度に俊敏。


 B級探索者とかなら、対策と人数次第で十分に討伐可能。


 だが。

 俺は、無意識に唾を飲み込んでいた。


 このモンスターは、一撃一撃が重すぎる。


 攻撃を受け切るのは無理。

 受け流すにしても、角度を誤れば骨が持っていかれる。


 そして何より――装甲が厚い。


 いつもの俺の剣なら、間違いなく傷一つつけられないだろう。


 それが今までの経験から導き出される結論だった。


 何も足りない。


 技術も、

 火力も、

 そして決め手も。


 俺は刀を握り直す。


 ここはC級探索者が踏み込んでいい場所じゃない。


 圧倒的な存在感。


 そんな格上の敵が今、完全に俺を視界に捉えた。


「……冗談だろ」


 思わず呟く。


 だが綾芽は、どこか楽しげに言った。


「さて――」


 その視線は、完全に戦場を見ている。


「戦ってみせろ」


 俺は、無意識に刀を握り直していた。


 ここは、もう逃げ場じゃない。

 命懸けの戦場なんだ。


 そして、


 これが今までの俺を全て塗り替える一戦だと、


 俺は心の奥で理解していた。

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