バイバイ、お姉ちゃん 改訂版

間川 レイ

第1話

「ね、お姉ちゃんはさ」


 なんて愛ちゃんが言ったのは、久々に会ってたくさんお酒を飲んだ帰り道。吐く息も白く煙り、街角の灯りが夜空を照らしている。そろそろ四条大橋の半ばも渡ろうかという頃だった。


「大きくなったら、なりたいものとかあった?夢みたいなもの、あったのかな」


 随分急だね、なんて微笑みかけるけど、愛ちゃんの目は射るようにまっすぐで。私ははああとため息をつくと欄干に身を預ける。ポケットに手を突っ込んで、タバコを燻らせた姿勢のまま。


「ないよ、私は」


 そう、吐き捨てるようにいうと続ける。


「私は、ただ死にたいだけだったから」


 10歳の時には15歳までには死のうと決心し、15歳の頃には20歳までにはせめて死のうと思った。20歳の頃には流石に25歳までには死のうと願っていた。何の因果か、25歳をこえてもまだ生きているけど。


 そう言うと、愛ちゃんは微かに笑って。くるくると髪の毛を弄りながら。


「なんだ、私とおんなじだ」


 そう言った。


「そうなんだ」


 私は煙草から口を離すと、まじまじと愛ちゃんを眺めるようにしながら言った。意外だった。愛ちゃんからそんな言葉を聞くとは思っていなかったから。私から見た愛ちゃんは、いつだってにこやかで、とても死にたいとか言い出す子には見えなかったから。


「そりゃあ、死にたくもなるよ。あんな家に生まれたらさ」


 そう、小さく呟くように言う愛ちゃん。くるくる、くるくる。髪の毛をいじって。そうかもね。私も小さく呟く。私たちの愛しい愛しいおうち。そこは柔らかな地獄だった。いつ何時だって何をしているか、きちんと勉強しているか、習い事の練習をしているか監視されて。きちんと練習していない、勉強していないと判断されたら、火のついたように怒り出すパパやママ。


 ママは何で勉強してないのと金切り声で怒鳴り散らし、勉強もせず本ばっかり読んで。こんなものがあるから。と叫びたてながら私たちの宝物を次から次へとゴミ袋へぶち込んだ。ふわふわな子猫のぬいぐるみ。転校していった仲良しな子からもらったキーホルダー。大好きな小説たち。米澤穂信や綾辻行人の春季限定いちごタルト事件や十角館の殺人。折り目がつくまで読み込んだ。何の価値もないゴミのように捨てられた。


 あるいはそんなやる気ないならやめなよ。そう怒鳴り散らし、出された宿題やドリルをびりびりに破って捨てた。あるいはもうあんたらなんて知らん、と言い捨て泣き叫ぶ私たちを尻目に家を出ていくか、逆にもううちの子じゃない、出ていけと腕をぐいぐい馬鹿みたいな力で引っ張って外に放り出すか。


 パパだってすごかった。私たちの成績が悪かったとの知らせをママから受け取ったパパは、切れ散らかしながら帰ってきて。帰ってくるなり私たちの部屋のドアを蹴破るぐらいの勢いで入ってきて、何だこの成績は。ふざけているのかと絶叫しながら殴りつけてきたから。屑だとか気狂いだとか絶叫しながら何度も殴りつけてきて。あるいはあまり馬鹿にするなよと唸りながら髪の毛をぐいぐい引っ張り、柱の尖っている部分めがけて頭を叩きつけたりもした。そんな家。そんな家で育てば、確かに死にたくもなるかと思いつつ、わずかに私は意外だった。だってそれは。


「もう少しあんた上手くやってそうに見えたけどな」


 そう呟く。だけど、すっと髪から手を離すと愛ちゃんは小さく微笑んで言った。


「それはそう見えているだけだよ。私だってたくさん殴られたし、沢山怒鳴られた。覚えてないかな。よく泣いてたでしょ」


「確かに。そうかもね」


 言われてみればよく愛ちゃんも殴られ怒鳴られていた。喉がおかしくなるんじゃないかってぐらいの悲鳴が聞こえてきて。割って入りたくて。でも割って入ったらどんな目にあわされるか分かったものではなくて。耳をふさいで聞こえないようにしていた毎日。


「殴られれば痛いし、怒鳴られれば傷つくんだけどな。何でそんなことも分からないんだろうね、あの人たち」


「想像力がないだけでしょ。だから親になんてものにもなれる。恥という言葉を知らないんだ」


 そんな私の言葉に、そうかもねと軽く頷く愛ちゃん。髪を軽く梳くようにしながら。そんな横顔は、さんざん殴られた後、逃げるように私たちの部屋に帰ってきて、泣き腫らした、奇妙に歪んだ笑顔でお姉ちゃん遊ぼうと言ってきたあの頃の横顔に重なって見えて。そうだね、あなたも殴られていたよ。小さく呟く。


 まあね。そう小さく言う愛ちゃん。私はよく覚えている。パパに勢いよく蹴り飛ばされて、コロコロ転がってきた愛ちゃん。足元で、お腹を押さえて小さく押し殺した声で泣いていて。いっそ手を引いてその足で逃げ出そうかと思った時のこととか。愛ちゃんは髪を梳くようにしていた手を止めてボソリと言う。


「私はお姉ちゃんに助けてほしかったよ。手を引いて逃げてほしかった。何度、助けてお姉ちゃんって思ったかわかる?」


「ごめんね」


 私は小さく謝る。でもね、それは私もおんなじなんだよ。私は胸の中で小さく呟く。私だって助けてほしかった。助けて、愛ちゃんって何度思ったことか。それをいまさら言っても詮無きことだけど。髪を撫で付けた姿勢のまま愛ちゃんはどことなく乾いた笑みで微笑むと言った。


「まあ、無理な話であることは分かっているんだけどね。そんなことしたら殺されちゃうから」


 そうかもね。私は呟く。きっと折檻の邪魔をしたら。逃げ出したら。それこそ烈火のごとく怒るのは見えているから。私がかつて逃げ出したとき。それこそ息が続かなくなるまで追い回された挙句、泣きながら土下座した頭を踏みつけられて、舐めてんのかとさんざん殴られたこともあるぐらいだから。


「実は私も逃げ出したことがあるんだ」


 髪を小さく引っ張りながらそう言う愛ちゃん。


「結局無駄だったけどね。すぐに連れ戻された」


「よく無事だったね」


 髪の先端を捻り合わせながら愛ちゃんは軽く微笑むと言った。


「まあね。お姉ちゃんみたいになりたくないって泣き叫んでたら、なんか気まずそうな顔をしてそこまで殴られなかったよ」


 私はぷっと噴き出すと言った。


「へえ、意外。あの人たちにも人の心とかあるんだ」


「そう、意外でしょう。人並みの羞恥心持ってるんだね」


 そう微笑みあう私たち。だけど気付いている。その微笑みがどこまでも乾ききったものであることぐらい。こんな時、どんな顔をすればいいのかわからないから、笑みの形に口をゆがめているだけ。愛ちゃんは髪から手を離すと、私をまっすぐ見つめて言った。


「それで、お姉ちゃんはこれからどうするの。ずっと一人で生きていく気?」


「多分ね」


 私は小さく頷く。


「生きられるところまで一人で生きて、無理そうになったら一人で死ぬよ」


「そう」


 小さくうつむく愛ちゃん。


「じゃあ、これが最期になるかもしれないわけだ。」


 そう微笑むと。


「あらかじめ言っとく。バイバイお姉ちゃん。安らかに死ねることを祈ってる」


 私も小さく微笑む。


「あんたもね。バイバイ、愛ちゃん。気楽に死ねることを祈ってる」


「何それ」


 ぷっと愛ちゃんは小さく笑うと、軽く手を振って。髪をかき上げると私を見ることなく歩き出した。


 その背中を見送りつつ私は呟く。


 ありがとう、愛ちゃん。あんたと会えて、この人生つまらなくはなかったよ。私はピッとつまんでいた煙草を欄干の外に弾き飛ばすと、反対のほうに歩きだす。決して二度と振り返ることなく。

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バイバイ、お姉ちゃん 改訂版 間川 レイ @tsuyomasu0418

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