第2話

 現在、埼玉連合王国の北部は群馬民主共和国に、南部は東京大帝国によって分割・統治されている。

 埼玉連合王国の臨時政府が六年経っても正式に決まらないのは、まさに分割された状況によるものだった。


 東京大帝国と群馬民主共和国は両国に利益をもたらす政府の樹立を目指したが、両国は決して信用しあってるわけではない。

 むしろ、共に不信に思っており、両国の意見の一致が乏しい状態が続いた。


 決まらぬ決定に埼玉連合王国の臨時政府は、両国に対して軟派だった態度も毅然きぜんとした態度へと変わっていき、埼玉連合王国の王位継承権を持つ御三家――『大宮家』、『浦和家』、『与野家』の復権を模索し始めていた。


 埼玉サトイモ紛争時に王だった大宮家も、挽回のチャンスを虎視眈々こしたんたんと伺っていたのだった。


 シルバー色のバイクは群馬民主共和国が統治している、土地を走っていた。


 旧つくば下妻国から、甲府公国までの道のりは群馬民主共和国が管理している土地でもあり、旧つくば下妻国の関所を通れば、甲府公国の関所以外に引っ掛かる場所はない。


 仮にも東京大帝国の統治する南部を通ろうとすれば、いくら埼玉連合王国の領土であった場所から出発していたとしても、不法入国を疑われる可能性は高い。


 飛車配達人のスローガンは『短時間』、『長安全』。短い時間で着き、長い時間安全であること――これを可能にするためには、このルートはうってつけであった。


 見通しがよく、木々が左右に広がる林道を走り抜ける駆奈かなは視線を下に向けた。ティアドロップ型のガソリンタンクについたメーターの速度は上がっていく。



「百七十……百七十五……百八十……」



 DOHC4バルブの250cc・2気筒V型エンジンは回転を絞り出しながら、重苦しくメーターを回す。


 スロットルは最大まで開けているが、まるで鈍くなったような感覚。キャブレターから飛ばされるガソリンは燃え上がる大きな火に対して、どうにか爆発を強めようとしている状態。


 このバイクのエンジンは爽快に上まで突っ走るエンジンではない。

 だが、駆奈からは微笑みが漏れる。



「――いいね。この、ギリギリの感覚。どんなときでも全力を出し尽すその瞬間が、ちょう――グッド!」



 一ミリずつ限界という至高の到達点へと近づく感触を駆奈は求めている。前方から来る抵抗の風は切り開くというよりも、切り裂いていっている感覚。



「……百八十五……百九十……あとちょっと」



 視界の端はまるで伸ばした絵の具のように残像になり、視界の正面は遠くを見なければハッキリと見えなくなっている。


 うるさいはずのエンジン音はもう慣れた。一万回転まで回っているはずなのに、駆奈の耳には無音にすら聞こえている。

 駆奈は視線をメーターに移す。もうその瞬間は間近だった。



「……百九十五……百九十八ぐらい……」


 なかなか進まない重そうに動くメーターの針は――ついには二百を指した。


「二百! 二百キロきた! やっ――」



 視線をメーターから正面に向けたとき、駆奈の目の前には少女が飛び出してきていた。



 どんがらがっしゃん!



 初めての飛車配達人の仕事。

 教習中はミスなくすべてをこなした駆奈。

 十八年間生きてきた彼女の初めての違反と犯罪は、二百キロ飛ばしたバイクでの人身事故だった。


 バイクは倒れ、駆奈もうつ伏せに倒れている。身体をピクピクと震わせながら、立ち上がる駆奈に駆け巡る思考は単純なものだった。



「ひき殺しちゃった……かも……」



 ヘルメットを取り、白いガードレールに布団のように干された少女を見た。

 ちらりとバイクを見るが、バイクの方は壊れている様子ではない。


 実際起きたことは、二百キロで横から飛び出してきた少女を轢き、バランスを崩しながらもブレーキを最大限に掛けていったおかげで、バイクの方には大きな損害はなかった。


 だが今何よりも重要なのはバイクではない。少女をひき殺した可能性があるということだ。

 ガードレールで干しあがっている少女に声を掛けた。



「あの……生きてますか?」



 返事がない、干物のようにあがっている。


 少女の見た目は少々汚れているが、貧相であるようなものではない。それは服装や髪からの印象でもある。


 服は汚れながらも微光沢のある、梳毛そもうの白いウールジャケット。中には生成り色のワンピースを着ているが、それも密度の高く織られたリネン地。


 だいたいの人が奮発した服として、どちらか片方を持つような服を彼女は両方も着ているのだった。


 髪の方は少々油ぎっているが、長く艶のある髪は栄養が生きわたっている証拠。

 少し前まで、しっかり管理していたに違いはない髪だとわかる。パッとした印象は、いいところ育ちのお嬢様という感じだった。

 駆奈はそーっと手の伸ばして、彼女の肩を指で叩いた。



「……もしかして死んでます?」



 返事がない、やはり干物のようだ。

 駆奈に様々な考えが浮かび上がり、「うん、これは気のせいかも。なかったことにしちゃおう」とそれなりに優等生な人生を送った彼女にはあるまじき思考にたどり着いた。


 理由というのは知れている。

 ふたり以外誰もいない林道、初の仕事、そしてバイクで走ることが好きな彼女にとって免許の取り消しは絶対に回避せざるを得ないからである。


 かなり個人的なものではあるが、バイク好きでそれを仕事に出来た彼女にとっては、かなり重要でもあった。



「じゃあ、私忙しいんで、失礼しま――」


 肩を叩いていた指を引っ込めようとしたとき、その手首を握られた。ガードレールで干しあがってる少女は「なに逃げてるのよ」睨みを入れた。



 ウェーブが掛かった前髪の隙間から見える目は、恨みという感情もありそうだが逃がさないという目にも見える。

 駆奈の脳内を瞬時に駆けた発想はひとつ。バイクに乗って逃げる――だった。



「や、やっぱり失礼しまーす!」

 無理やり掴まれた手首を「おりゃーっ!」と振り払って、すぐさまダッシュしてバイクを起こした。

「エンジン掛かってー、チョークなくてもいってー、こんなタイミングで壊れてなんて……」



 セルボタンを押すとセルモーターが――キュキュキュキュ――と周り、マフラーが鼓動するように震え始めて、重みのある低音とともにエンジンが掛かった。


 駆奈の表情は人生で下から数えて十六番目の切羽詰まった表情から、人生で上から数えて四番目の晴れやかな表情へと変化した。



「ちょう――グッド! 早く逃げなきゃ!」



 すぐに一速に入れて、アクセルを回して、急かす気持ちで駆奈はバイクで走り出し始めた。


 だが、おかしい。


 発進直後に少し前輪が浮き上がる挙動を見せた。正確にいえば、それは正しい挙動である。駆奈もそれぐらいのアクセル量を回していたのだから。


 事実、おかしいのはそこではない。なんちゃらおかしいのは、その挙動は一秒にも満たない程度の出足のはずなのに、一秒を超えた時間、前輪が浮いていた。


 これは後方に重さがあることを意味していた。

 だから、こんな挙動をしている。運転フィーリングで妙な重さを感じた駆奈は、恐る恐る後ろを向いた。



「なによ。ワタシをここで降ろそうだなんて許さないから。止まらずに、走りなさい」

 ふてぶてしく後ろのタンデムシートに座っていたのは、バイクで轢いた少女であった。

「えっ!」



 駆奈のこの「えっ!」は、「走るってどこに?」と「なんで二百キロで轢いたのにピンピンしてるの?」の二つの意味を持っていた。

 少女は言う。



「前見なさい。アンタはまた人を轢きたいの? いいから行くのよ」

「どこに? というか誰なんですか」


 少女はバイクから落ちないように後ろから駆奈に抱きつき、語り出した。


「ワタシは『大宮なのか』。大宮家の長女にして次期国王……いえ、女王といえる。目指すは甲府こうふ公国よ」



 はからずも、なのかの行き先は駆奈と同じであった。

 駆奈がバイクで道路を駆けながら、「お、大宮家の長女だってー!」と頭の中で言葉を発しているなか、彼女のライダースジャケットのポケットになのかは手を入れた。

 なのかは駆奈のパスポートを手に取った。



「ふうーん、やっぱりね。アンタは飛車配達人ひしゃはいたつにん、適任ってところじゃない。飛車配達人としてワタシを配送しなさい、これは埼玉連合王国の王家である、大宮なのか直々の命令よ」



 国家を繋ぐのが飛車配達人の仕事、駆奈に断る選択はない。

 もっというなら、拒否した瞬間に何されるのかわからない恐怖の方が上だったので、結果的に断る選択も取れなかったのだった。



「……はい、『配達』承りました。甲府公国まで『飛び』ます。大宮なのか様」

「よろしく、配達人さん――いえ、長道駆奈ながみちかな


 ここからふたりの旅が始まる――の前に、なのかはひとつ駆奈に尋ねた。


「止まるなって言ったのはワタシだけど、甲府公国ってアンタの来た方向じゃないの? もう、切り返していいけど」

「つくば下妻国の方角ですよ、そっち」

「ウソ! ワタシ、三日間歩いてきたのに逆方向?」

「ええ、はい逆も逆、真逆です。明日には着きますから、とりあえず少し走ったら今日は休憩して――」


 なのかは「ダメよ」と言った。

 それに対して駆奈は「は?」と言った。


「明日の朝前には行って。夜が明けてからじゃ遅いのよ」

「どうしてです? 甲府公国に急ぎの用事?」

「近い感じよ。ワタシがするのは国外逃亡――夜明け前に関所を突破するのよ」



 これに対しても駆奈は「は?」と言った。

 ふたりの旅は、てんやわんやな短い旅へと変貌していったのだった――。

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