第2話

あの一件以来、屋敷の空気がおかしい。


「ルクス様、おはようございます! 本日の朝食は、光の神子にふさわしい最上の食材をご用意いたしました!」

「ルクス様、廊下を歩かれる際は仰ってください! 直ちにレッドカーペットをご用意します!」


使用人たちの目が、完全に『信者』のそれになっていた。

すれ違うたびに最敬礼され、俺がトイレに行こうとするだけで「儀式ですか?」と緊張が走る。


息苦しい。

あまりにも息苦しい。


「(俺はただ、平凡に生きたいだけなのに……!)」


俺は自室の窓から庭を見下ろし、深い溜息をついた。

このままでは、精神がすり減って死んでしまう。


それに、三週間後には『王立魔法学園』の入学式が控えている。

原作ゲームの舞台であり、俺の処刑フラグが乱立する魔境だ。


「……特訓だ。生き残るためのスキルを磨かないと」


俺は決意を固め、人目を忍んで裏庭へと向かった。


        ◇


裏庭の隅、木陰のベンチ。

ここなら屋敷からも死角になり、誰にも見られないはずだ。


「さて、今日の課題は『隠密行動』だ」


俺の目標は、あくまで生存である。

敵を倒す必要はない。敵に見つからなければいいのだ。


光魔法の応用――**【光学的迷彩(インビジブル)】**。


原理はシンプルだ。

俺の身体の周囲に空気の層を作り、その屈折率を操作する。

背後の風景が身体の前面に回り込むように光を曲げれば、理論上、俺の姿は消える。


「魔力操作は……うん、コツは掴んだ」


前世で死ぬほど読んだSF小説の知識と、無駄にSSSランクある魔力が噛み合う。

俺は慎重に、全身を魔力の被膜で覆った。


スッ……と。

自分の手が、足が、景色に溶け込んでいく。


「消えた……! 成功だ!」


鏡がないから正確には分からないが、自分の手が見えないのだから成功だろう。

これで嫌な貴族のお茶会も、主人公との戦闘も、全部バックれて逃げ出せる!


「ふはは! 見たか、これが科学の力だ!」


俺は調子に乗って、その場で反復横跳びをしてみた。

誰にも見られていないという開放感。最高だ。


と、その時だった。


「ル、ルクス様……? どちらにいらっしゃいますか!?」


セバスチャンの焦った声が聞こえた。

やばい、見つかったら「何をしているのですか」と不審がられる。


俺はとっさに息を潜め、その場から忍び足で移動を開始した。

音を立てず、ゆっくりと、木陰から別の木陰へ。


セバスチャンが血相を変えて走ってくる。

俺がさっきまでいたベンチの前で立ち止まり、青ざめた顔で周囲を見回した。


「馬鹿な……。今、確かにここに気配があったはず」


セバスチャンの視線が、透明になった俺の身体を素通りする。

バレてない!

目の前にいるのに、全く気づいていない!


「(勝った……! これぞ完全なるステルス!)」


俺はニヤけそうになる顔を引き締め、セバスチャンの背後を通り抜け、屋敷の反対側へ回り込んだ。

そして、適当な物陰で迷彩を解除し、何食わぬ顔で姿を現す。


「どうした、セバスチャン。そんなに慌てて」


背後から声をかけると、老執事は「ひっ!?」と小さく悲鳴を上げて振り返った。


「ル、ルクス様!? い、いつの間に背後に……!?」


「いつの間に、とは? 私は最初からここにいたが」


嘘である。

全力で回り込んできただけだ。


だが、セバスチャンは愕然と目を見開き、わなわなと震え始めた。


「ありえない……。私の探知魔法には、確かにベンチにいらっしゃると反応がありました。それが一瞬で、気配ごと消失し、数十メートル離れた背後に現れるなど……」


セバスチャンの脳内で、勝手な解釈が加速していく。


視認できない速度での移動?

いや、気配すら消えていた。

ならば答えは一つ。


「……【空間転移(テレポート)】……!」


「……は?」


「時空をもねじ曲げる『光の速さ』での移動……いや、もはや次元跳躍に近い! まさか、伝説の大賢者ですら成し得なかった空間魔法を、息をするように使いこなされるとは!」


セバスチャンが感動のあまり泣き出した。


「(違う! ただ屈折で隠れて、こそこそ歩いただけだ!)」


訂正したい。

でも、「こそこそ歩いてました」なんて言ったら、やっぱり威厳に関わる。


「……ふん。これくらい、造作もないことだ」


俺は震える手で髪をかき上げ、それっぽいことを言ってお茶を濁した。

また一つ、誤解が積み重なってしまった。


        ◇


気を取り直して、午後の部。

次は攻撃魔法……ではなく、障害物除去の練習だ。


逃走経路に岩や壁があった時、それを壊せないと詰む。

派手な爆発はいらない。静かに、確実に穴を開けたい。


「イメージするのは、太陽光の収束」


俺は庭の隅にある、訓練用の分厚い鉄板(騎士たちが剣の試し切りに使うやつ)の前に立った。


凸レンズを何重にも重ねるイメージで、魔力を展開する。

太陽光を集め、一点に集中させる。

いわゆる、ソーラー・レイだ。


「(子供の頃、虫眼鏡で黒い紙を焼いた要領で……)」


俺は人差し指を鉄板に向けた。

魔力を込める。

音もなく、光も(収束しすぎて)目に見えないレベルの熱線が放たれる。


――ジュッ。


一瞬だった。

分厚い鉄板に、直径一センチほどの穴が空いた。

そのまま指を横に薙ぐと、鉄板が豆腐のように焼き切れていく。


「おぉ……。地味だけど、切れ味はすごいな」


音も衝撃もないから、誰にもバレずに鍵を壊したりできそうだ。

これは使える。

俺は満足して、穴だらけになった鉄板をそのまま放置し、部屋に戻った。


        ◇


数時間後。

屋敷が騒然としていた。


「おい、見たかあの鉄板……!」

「ああ。断面が溶けているどころか、分子レベルで消滅しているぞ……」


騎士団長と兵士たちが、俺が穴を開けた鉄板を囲んで青ざめていた。


「何の音も、魔力の波動も感じなかった。気づいたら、穴が空いていたんだ」

「ルクス様が指を差しただけで、防御魔法ごと貫通したというのか……?」


騎士団長が、ゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえる。


「……我々が想定していた『光魔法』とは次元が違う。あれは『攻撃』ですらない。ただそこにある物質を『無』に帰す、神の断罪だ」


「ルクス様……恐ろしい御方……」


廊下を通りかかった俺の耳に、そんな会話が聞こえてきた。


「(なんで!? 工作用のレーザーカッターとして使っただけなんだけど!?)」


俺の評価が、「慈悲深き神子」から「不可視の断罪者」へとシフトしつつある気がする。

怖い。

自分の評判が怖い。


だが、もう止まれない。

学園の入学式は、刻一刻と迫っているのだ。


「……もういい。学園に行ったら、寮に引きこもって絶対に目立たないようにしよう」


そう固く心に誓う俺だったが、当然ながら、神様はそれを許してくれないのであった。

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