第17話 「声の間」


その日、竹本ゆうじはギルドに入った瞬間、違和感を覚えた。


理由は、はっきりしない。

空気が変わったわけでも、騒がしいわけでもない。


ただ――。


「おはようございます」


三枝みことの声が、少しだけ遅れた。


いつもなら、視線が合うと同時に言葉が出る。

今日は、半拍。


「おはようございます」


ゆうじは、自然に返す。

表情は変わらない。

笑顔も、声の調子も、いつも通りだ。


それでも、何かが引っかかる。


「今日は、一人ですか?」


「はい。三層までの予定です」


いつもと同じやり取り。

報告書類も、整っている。


問題は、ない。


一層目。

探索は順調だった。


中二病スキルが発動する。


《発生スキル:静音整理(サイレント・オーガナイズ)》

装備や持ち物の微細な音を抑え、行動を静かにする生活向き能力。


便利だ。

だが、今日は集中しきれない。


みことの声が、頭に残っている。


二層目。

モンスターを処理しながら、考える。


――疲れている?

――忙しい?

――何かあった?


どれも、決め手に欠ける。


三層目には行かず、二層で引き返した。


ギルドに戻ると、みことはカウンターにいた。

書類を整理している。


「お疲れさまでした」


声は、やはり少しだけ遅い。


「……あの」


報告を終えた後、ゆうじは言った。


「最近、忙しいですか?」


みことは、一瞬だけ目を瞬かせた。


「え?」


「いえ。なんとなく」


すぐに、いつもの微笑みに戻る。


「大丈夫ですよ。仕事ですから」


それで、話は終わるはずだった。


だが、ゆうじは頷かなかった。


「無理は、してないですか」


言葉は、穏やかだった。

詰問でも、心配の押し付けでもない。


みことは、少しだけ視線を落とす。


「……大丈夫、です」


その「大丈夫」は、弱かった。


「そうですか」


ゆうじは、それ以上踏み込まない。


「じゃあ、また」


ギルドを出る。

だが、胸の奥が静かにざわつく。


帰り道、坂倉に会った。


「どうした?」


「いえ……気のせいかもしれません」


坂倉は、少し考える。


「気のせいを無視しないのは、いい癖だ」


それだけ言って、別れた。


翌日。

ギルドに行くと、みことは少し遅れて出勤してきた。


「おはようございます」


今日は、声の間がさらに長い。


「……おはようございます」


それだけで、確信した。


何かが、少しずつずれている。


大きな問題ではない。

今すぐどうこうなるものでもない。


でも、見ないふりをするほど、鈍くもなかった。


「今日は、潜らないんですか?」


みことが聞く。


「はい。様子見です」


それは、自分のためでもあり、彼女のためでもあった。


「そうですか」


みことは、少しだけ安心したように見えた。


ゆうじは思う。


助ける、なんて大それたことはできない。

ただ、気づいていることは、伝えられる。


声の間。

視線の揺れ。

ほんの小さな違和感。


それを拾える距離にいることが、今は大事だった。

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