第8話 「席が、少し静かになった」


朝のオフィスは、相変わらず慌ただしい。

キーボードの音、電話の呼び出し、誰かのため息。


竹本ゆうじは、いつもの席に座り、パソコンを立ち上げた。

特別なことはしていない。

ただ、今日も体調がいい。


メールを処理し、資料を整える。

集中が途切れない。

以前なら、昼前に一度は頭がぼんやりしていたのに、今日は違った。


「竹本くん」


声をかけてきたのは、隣の席の先輩だった。


「このデータ、昨日の続き?」


「はい。今朝まとめました」


「早いね」


それだけのやり取り。

だが、先輩は少しだけ、こちらを見直したような顔をした。


午前中の会議。

ゆうじは、求められたことだけを、簡潔に答える。


「問題ありません。想定通りです」


余計な言葉は足さない。

会議が長引かない。


部長が一瞬、こちらを見る。


昼休み。

コンビニ弁当を食べながら、同僚たちの会話を聞く。


「最近さ、竹本くん静かだけど、仕事早くない?」


「前から真面目だったけど、なんか安定感出たよね」


名前が出るのに、悪意がない。

それが、少し不思議だった。


午後も、淡々と仕事をこなす。

疲労が溜まらない。

集中が切れない。


定時五分前、部長が近づいてきた。


「竹本」


「はい」


「来月からの案件、補佐で入ってもらう」


補佐。

責任は増えるが、無茶な役割ではない。


「無理のない範囲で、お願いします」


部長はそう付け加えた。


「……ありがとうございます」


定時。

ゆうじは席を立つ。


「お先に失礼します」


誰も、引き止めない。

それどころか、自然に受け入れられている。


ビルを出ると、夕暮れだった。

ダンジョンの入口が、遠くに見える。


「今日は、行かなくていいな」


心と体に、余裕がある。


帰り道、少し遠回りして帰る。

商店街の明かりが、穏やかだ。


強くなった実感は、まだ薄い。

でも、生活は確実に良くなっている。


「こういうのが、ちょうどいい」


家に着き、ネクタイを外す。

静かな夜。


ゆうじは、明日の予定を確認し、電気を消した。

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