第2話 深入り
范老子が、人々で賑わう南西の市場を突っ切って元撝を連れてきたのは、少し開けた場所だった。
「さて、道行く皆様もお聞きください。遠き異国の地へ飛んだ渡り鳥の歌を。そして、お気に召した際には、おひねりを」
道行く人々に呼び掛けながら老兵が皮袋から取り出したのは、五弦の琵琶だった。
奏でられた音は、元撝にとって異質だった。ここではないどこか、唐ではないどこかの異国を思わせる。肌に慣れない、だけど新しい風を感じる。
道行く人々の中にも、范老子の演奏に気付いて足を止めて聞き惚れている者もいる。その一方で足早に立ち去る者もいた。
異質な音の連なりに身を任せていると、元撝の胸に暖かい灯が点る。唐の本国を出てしまえば誰も知り合いなどいない寂しい地だと思っていたが、良い音楽と出会えた。
演奏が終わって夕焼けの中で余韻が嫋嫋として消えて行くと、聴衆たちの幾人かがおひねりを投げてくれた。質の悪そうな銅貨がほとんどだが、異国の銀貨を投げた者もいた。
「何をやっているんだ! やめろ!」
遠くから乱暴な叫び声が聞こえると、集まっていた聴衆たちが弾かれたように周囲に散った。
「いかん。ワシらも逃げよう」
まだ全部のおひねりを拾っていないが、范老子は元撝の手を引いて走ってその場を離れた。
ある程度駆けて距離を稼いでから、二人は立ち止まって息を整えた。
一体何がどうなっているのか。元撝の抱く当然の疑問に対し、范老子は聞かれもしないのに勝手に説明を始めてくれた。
范老子は若い頃に音楽が盛んなことで有名な街である亀茲で音楽を学んだことがあるという。その後は隊商に加わって旅に生き、更にその後は唐国の健児、つまり末端の兵士として働きながら琵琶を弾いていたという。現在は礌石館に勤務しているのだが、用事があって西州の街までやって来たのだ。そう言って范老子は懐から「行牒」と呼ばれる近隣だけで通用する短距離用の通行許可証を取り出して見せてくれた。
ところが最近の西州の街とその近郊では、「胡楽は敵国の文化に通じる不穏の象徴」という風聞が広まって、排斥する流れが発生している。
その中心にいるのが、呂承祖という馬子、つまり馬の世話をする係の者だ。地位も権力も高くないが、本人は体が大きく声も大きい。それ故に主張の影響力が大きい。
二年ほど前の天宝十載 (西暦751年) 、突騎施に打撃を与えるために大規模な遠征軍が安西都護府から西方に派遣された。遠征軍は敵地に深入りし過ぎて思わぬ敵と遭遇し、痛烈な打撃を被った。その遠征軍には呂承祖の弟も参加していたが、未帰還となった。戦死したのだろう。
それ以降、呂承祖は過度に外国を憎み、外国の文化である胡楽も激しく排斥するようになったのだそうだ。
二年前の遠征の時に身内や知人が未帰還になったのは呂承祖だけではない。外国を忌避して唐の国威発揚を考える呂承祖の方向性に同調する者も多いのだという。
そういえば、先ほどまでは胡笳の音色が聞こえていたが、途中から止んでいた。あれもまた、外国排斥過激派の者によって演奏を妨害されてしまったのかもしれない。
「実は、先ほどの小さな広場で、音楽祭が開かれるのですよ、明日」
范老子が西州にやって来たのは、その音楽祭に参加して演奏するためだった。
「実のところ、年齢のせいで体調を崩し気味でして、音楽祭で演奏できるのも今年が最後かと思っているのです。ですから必ず良い演奏をしたい。ですがこの様子だと、中止になってしまう可能性もあります」
日の光が建物に遮られて、范老子の頬に影を落とす。
「大丈夫ですよ。音楽祭を潰させはしません。あなたはご自分の体調を整えて、明日、万全の演奏ができるように備えていてください」
西州の問題に深入りする必要は無いと思いつつも、元撝は力強く宣言した。
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