第5話 すきる
歩ける。
それだけで、少し安心してしまうのが悔しい。
包帯の下は、血で重い。
でも、立っていられる。
……戻りたい。
正直な気持ちが、胸の奥から滲み出てくる。
わたしは、近くの壁に残った裂傷へ手を伸ばした。
裂脈ノ傷。
触れた瞬間、感覚が広がる。
――ある。
いくつも。
点というより、脈。
細い流れが枝分かれして、奥へ、奥へと続いている。
行ける先は、分かる。
誰かがいた場所。
何かが起きた場所。
……でも。
どこに行くかは、分からない。
選べない。
指定できない。
戻れるかどうかも、分からない。
「……だめ」
小さく呟いて、手を離す。
今は、賭けに出る余裕がない。
ここで変な場所に飛んだら、たぶん終わる。
わたしは、包帯越しに自分の胸元を押さえた。
癒貫。
治したい、というより。
動きたい。
生きていたい。
スキルを起動する。
じんわりと、身体の内側が温かくなる。
血が止まる。
視界の揺れが、少し収まる。
……でも。
治った気は、しなかった。
包帯の下の傷は、そのままだ。
消えない。
塞がらない。
まるで、状態として固定されたみたいに。
ただ、痛みだけが消えている。
立てる。
歩ける。
それで、十分だった。
頭の隅に、リキャストの感覚が残る。
まだ使える。
あと、数回。
……よかった。
少し、息を整えてから。
わたしは、自分の腕を見下ろした。
被与ノ傷。
発動条件――自傷時。
……なら。
実際に、やってみるしかない。
殴貫。
ごん、と鈍い衝撃。
「……っ」
普通に痛い。
息が詰まる。
でも、それでいい。
殴った場所に、はっきりと“傷”が残る。
包帯越しでも、分かる感覚。
わたしは、その場所に手を当てた。
……あ。
反応が、ある。
裂脈ノ傷。
さっきとは違う。
分岐が、少ない。
殴った、という条件で、繋がりが絞られている。
行ける先は――ひとつ。
「……そういうこと」
選べないのは同じ。
でも、これは。
試す価値が、ある。
意識を委ねた瞬間、世界が引き延ばされた。
傷から、傷へ。
同じ性質を持つ痕跡を、血管みたいに辿っていく。
次の瞬間。
声が、聞こえた。
「ふざけんなって言ってるだろ!」
「だから、それは――」
人の声。
荒れている。
視界が定まったとき、わたしは誰かのすぐ隣に立っていた。
参加者。
肩で息をしている。
腕を押さえている。
……殴られたんだ。
少し離れたところに、もう一人。
拳を握ったまま、こちらを睨んでいる。
喧嘩だ。
……喧嘩って。
よくないよね。
せっかく、人がいるのに。
せっかく、同じ場所にいるのに。
殴り合って、傷付け合って。
それで、何が残るんだろう。
そう思ったら。
なんだか、急に冷めてしまった。
だから。
「……くだらない」
そう、口に出た。
理由も。
説明も。
正義もない。
ただ、そう感じただけ。
床と壁の傷が、じわりと増える。
「……っ」
二人とも、言葉を失っている。
わたしは、はっとして口を閉じた。
……だめだ。
これ以上話すと、また広がる。
わたしは、何も言わずに背を向けた。
走らない。
逃げない。
ただ、歩く。
裂脈ノ傷は、まだ脈打っている。
……なるほど。
殴られた場所には、道がある。
そう理解しながら、
わたしはまた、暗い洞窟の奥へと進んでいった。
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