第3話 初恋の思い出
顔もさることながら、
「絶えず笑顔を絶やさない」
という雰囲気なのに、
「いつも控えめ」
ということであり、決して目立ちはしないが、
「癒しを感じさせる女性」
ということは間違いないと思えるのだ。
そう、化粧をしているよりも、
「すっぴんが似合う」
という感じの女性であった。
それが、
「万人うけ」
というわけではないが、どこか、
「自分と同じ思いを抱いている」
という、いわゆる、
「ライバルが多い」
という感覚になるのであった。
今から思い出すと、自分が彼女を気になったのは、
「その控えめなところから、つきあっていくうちに、自分好みになっていくのではないか?」
という思いがあったといえるかも知れない。
そもそも、自分の好きな女性のタイプというのは、いわゆる、
「ストライクゾーンが広い」
といわれていた。
ハッキリといえば、
「自分を慕ってくれそうな女性であれば、少々顔や体形が好みでなくとも、十分にストライクゾーンだ」
ということであった。
ただ、これは、まわりから見ると、
「松島は、俺たちが敬遠したいと思うような女性が好みだ」
といわれてきた。
「他人、特に友達と、好きな女性が競合する」
ということになれば、
「自分から、身を引く」
ということをしていた。
だから、まわりからすれば、
「俺の好きになった女性を、松島も好きになるということはないだろう」
と思い込んでいたのだ。
これは、
「まわりの友達に気を遣っている」
というわけではなく、正直に、
「自分に自信がないからだ」
ということである。
「争っても絶対に負ける」
ということであれば、最初から争うと友達同士しこりができるし、それよりも何よりも、
「やっぱり俺だからダメなんだ」
ということを見せつけられるだけだということになるのだ。
それは、
「自分が女性にもてない」
ということを思い知らされることになるわけで、
「どうせダメなんだ」
と少しでも考えたら、
「結果がハッキリと出る前に、自分から諦めた方がいい」
と考えていた。
要するに、
「好きになったから好かれたい」
という感情ではなく、
「好かれたから好きになる」
という方が自分に合っていると思っていたのだろう。
その方が、時分らしいと思っていた。
「あまり攻める方ではない」
というタイプだと思っていただけに、
「女性に関しては、控えめに行けばいいんだ」
ということだったのだ。
そうなると、
「相手を自分が好きかどうか」
というのはあまり関係ない。
好きになったというのは、あくまでも結果論で、
「好かれたから好きになる」
という方が、自分を納得させると思っていた。
というのが、
「思春期に入った頃」
確かに、彼女がほしいという感情はあった。
しかし、
「その感情がどこから来るのか?」
ということを考えた時、
「彼女をつれて楽しそうにしている姿がうらやましい」
ということで、一種の嫉妬の感情というものが、全面に出ていたのだ。
だから、
「相手の女性がどうの」
というよりも、
「自分が女性をつれて歩いていることで、まわりの人にうらやましい」
と思わせたいという感情が大きかったのだ。
だからといって、簡単に彼女というものができるわけではない。
問題は、
「まわりに、彼女を連れているということを示したい」
ということであるので、相手に関しては、そこまでこだわっていなかった。
だが、まわりが、
「あんな自分の好みでもない女を連れている」
と思うわけで、
「決してうらやましくない」
と思うはずであることを、正直、
「失念していた」
といってもいいだろう。
だから、
「その女性を本当に自分が好きかどうか?」
ということは、優先順位の中で、それほど高くはないといってもいいだろう。
本来であれば、
「恋愛関係」
ということであれば、
「好きになったので好かれたい」
ということから関係が始まるというものであろう。
もちろん、最初原、
「好かれたから好きになる」
ということも十分にあるわけなのだが、それが基本の考えかたというのは、珍しいケースといってもいいかも知れない。
だから、若い頃の松島は、
「ただ、彼女というものがほしい」
ということ、
「その彼女と一緒にいるところを周りに見せて、優越感に浸りたい」
という思いが、
「彼女を作る」
という意味での優先順位だといって過言ではない。
今から思えば、
「そんなことを考えているから、彼女ができなかったんだろうな」
と思えた。
確かに、
「誰でもいい」
ということになれば、簡単に彼女くらいはできそうなものだと考えるであろうが、逆に、
自分の好きな相手が定まっていないと、付き合ったとしても、相手から、好かれるということもなく、相手が疑心暗鬼になってくると、今度は、
「あなたが、どこを見ているのか分からない」
ということで、自然と遠ざかっていくことになるだろう。
そうなると、
「好きかどうかわからない相手にフラれた」
という
「屈辱感」
というものが残ることになる。
そのうちに、
「あんな女に俺がフラれるなんて」
という、ナルシストではないくせに、自分の考えかたを棚に上げて、
「好きになろうと思ってやったのに」
という気持ちになり、きっとまわりからは意固地に見えてくるだろう。
本来であれば、
「好きになったわけでもない相手からふられたとしても、そこまで気にすることはないのに、フラれた瞬間に、自分から相手を追いかけようとしている」
ということになったとすれば、それは、
「自分が分からなくなっている証拠」
ということであり、
「そもそも、相手が好きになってくれたと感じたことも、思い上がりによる、勘違いだったのかも知れない」
ということになるだろう。
小学生の頃、まだ、思春期になる前だったので、
「女性として意識はなかったが、子供心に好きだった」
という女の子がいた。
おとなしい子で、
「いつも、自分のそばにいた」
という子だったのだ。
自分は、
「好かれている」
と思っていたが、そこに恋愛感情はなかった。
それは、2,3年続いたのだが、別に終わる時も、
「失恋」
という意識であったり、そもそも、
「別れる」
という感覚でもなく、自然消滅でありながら、お互いに嫌いになったわけでもなかった。ただ、
「どこか、お互いに意識している」
ということが、むず痒さというものを感じさせ、それが別れにつながったのだろう。
その時のことは今でも覚えていて、
「ちょうど思春期に入ったことが、余計な意識を感じさせ。お互いに、思春期に入ったことが、同じタイミングで、違和感を呼んだのかも知れない」
と感じるのであった。
そういう意味では、
「思春期が大人への階段だった」
というよりも、
「思春期は、子供というものへの決別であった」
といってもいいかも知れない。
もちろん、思春期の入り口というのは、
「人によってバラバラ」
ということである。
そういう意味で、
「彼女と自分が同じタイミングで思春期に入ったから、別れることになった」
と思い込んでいたが、考えてみれば、
「そんなに都合よくいくわけはない」
といってもいい。
それは、
「自分が別れることになった」
ということを、自分で納得させられないので、
「同じ時期に思春期に入った」
という感情をでっちあげることで、まるで、免罪符であるかのように感じさせるのであった。
子供の頃に、
「免罪符」
というものを考えながら成長してきたということを自覚してくると、学生時代などで、
「彼女ができない」
あるいは、
「別れてしまった」
ということに対して、自然と、
「免罪符」
というものを考えるということになるのではないだろうか。
それが、
「ストライクゾーンの広さ」
ということであり、これは、
「自分で、顔やスタイルを重視しない」
ということで、彼女がすぐにできるだろうという考えからだった。
「ストライクゾーンの広さ」
というのは、確かに厳密に言えば、
「顔やスタイルを重視しない」
というよりも、人を好きになるということが、
「顔や表情を見て、その人の性格を判断する」
ということから、本当は、
「顔からの判断なので、顔重視だ」
ということを、免罪符として、違う考えかたにすることで、
「結局、ストライクゾーンを広くとる」
ということでの、自分なりの納得ではないかということである。
だから、大学時代などでは、
「あれだけストライクゾーンが広ければ、お前は彼女もすぐにできるかも知れないな」
ということを言われたが、まわりが考えているのは、別のことであった。
というのは、
「松島と一緒にナンパや合コンをしても、好みが重なることはない」
という安心感が生まれることであろう。
まわりは、
「松島だって、それくらいのことは自覚しているだろう」
ということであったが、最初の頃は、その自覚はなかった。
大学2年生くらいになると、
「重なることはないな」
と感じるようになったが、それまでは、
「合コンによく誘われるな」
という思いがあっただけだ。
結局、まわりは、
「合コンなどのように複数形式の時は、一人くらい、噛ませ犬になるような人物が必要だ」
ということで、その白羽の矢が、いつも、松島に当たっていたということであろう。
ただ、松島の、
「ストライクゾーンの広さ」
というのは、本当のことであった。
実際に、
「好きになる人として、顔から性格を判断する」
という考えに間違いはなく、
「だからこそ、ストライクゾーンが広まるわけで、優先順位が他の人と違うわけではなく、結局は、同じだったのではないか?」
と考えるのであった。
きっと、
「顔から性格を判断する」
という考えかたは、松島だけであるものではなく、他の人誰にでもあり得るということではないだろうか。
大学時代は、結局、数人の女性と付き合ったということであったが、実際には、
「長くて3か月」
というものであった。
「あなたとは合わないわ」
という女性もいれば、
「何も言わずに、連絡を経とうとする女性」
というものいた。
特に、何も言わずに連絡を経つ女性というのは、
「訳が分からない」
ということで、気が付けば、
「追いかけるようにする」
ということであった。
いわゆる、
「ストーカー」
というものなのかも知れない。
もちろん、
「自分がストーカー気質だったなんて」
と考えるが、それは、
「好きで好きでしょうがなかった」
という相手ではなかった。
それよりも、
「一緒にいた時が楽しくて、付き合っている時は絶えず、一緒にいて楽しかったということだけを想像していた」
ということであり、それこそが、幸せだったという感覚であり、別れることで、
「その感覚を味わえなくなった」
ということであり、
「味わってはいけない」
という立場になったわけで、
「味わってしまえば、すでに過去の女ということで、こんなに苦しい思いはしたくない」
と感じることになるに違いない。
つまり、女性と付き合うということは、
「絶えず、お花畑的な中に自分がいないと気が済まない」
ということであり、
その幸せな瞬間を壊したのが、彼女なのだと思い込むことで、
「相手に対しての執着が生まれる」
ということになるのではないだろうか?
「ストーカーになる」
というのは、
「決して、好きで好きでたまらない」
という思いからだけ出てくるものではないともいえるだろう。
松島のように、
「自分の言うとおりに相手が動いてくれないことで、付き合っている時は動いてくれた」
という、
「以前の感覚」
というものから、離れることができないことで、執着してしまうということになるのだろう。
それを考えると、
「自分は、まだ本当の恋愛感情というものを知らないんだろうな」
ということであった。
そもそも、恋愛感情というものは、
「感情」
だけではなく、
「肉体関係」
というものもセットで考えないといけないことであろう。
実際に、松島が、
「童貞を捨てた」
というのは、20歳の時であった。
それまでは、
「付き合う」
というところまではいくのだが、
「肉体関係を結ぶ」
というところまではいかないということであった。
「付き合っても、長くて3か月」
ということで、松島は自分の中で、
「付き合い始めてから、大体、肉体関係になるというのは、3か月くらいが妥当ではないか?」
と思っていた。
しかし、実際には、
「3か月もたない」
というのは、裏を返せば、相手が、
「俺とは肉体関係を結びたくない」
と考えるから、
「いつも3か月もたないんだ」
ともいえる。
それは、相手の潜在意識と、松島の感覚が結びつくことで、反発心のようなものが芽生えてくると考えると、
「結局は、付き合う相手に、自分の考えかたというのが、全部バレている」
ということになるのではないか?
と思うのだ。
考えてみれば、まわりから、結構、
「お前は分かりやすい」
ということであったり、
「顔に出るからな」
とも言われていた。
まわりから、
「松島はストライクゾーンが広い」
といわれるのも、そのあたりが問題であり。
「きっと、皆に俺の性格であったり、パターンが知られているからなのだろう」
と思うのだった。
学生時代は、
「それならそれでいい」
と思っていた。
別に、
「隠すことではない」
ということで。むしろ、相手に、
「分かりやすい奴だ」
と思われる方が、付き合いやすいというもので、これが、
「仕事」
ということになると、
「守秘義務」
であったり、
「隠さなければいけない」
というものを軽々しく口にするというのはご法度といってもいいだろう。
だから、
「分かりやすい性格」
というのは、学生時代までであれば、いいのだろうが、社会人になると、
「決していい性格ではない」
ということになるだろう。
大学時代であっても、
「10代と20代」
というものをまたぐということで、異までこそ、
「成人年齢は18歳」
であるが、松島が若い頃というのは、
「満二十歳で成人とす」
ということだったのだ。
「二十歳といえば、ちょうど、3年生くらいの頃」
といってもいいだろう。
現役で大学に入学した松島は、3年生の冬に、
「二十歳を迎えた」
ということであった。
大学生活の考えかたとして、
「3年生までに、取得単位をすべて取得しておいて、4年生になれば、就活に専念する」
ということであった。
しかし、
「数単位を残してしまった」
ということで、卒業は難しくはないが、就活に少ししこりが残ったというものであった。
ということは、二十歳になると、
「大学生」
ということでの、甘い考えは通用しないといえるだろう。
ここから先は、
「何とか卒業単位を取得し、就活も成功させないといけない」
ということであった。
大学4年生の時に、付き合った女の子がいて、彼女とも、結局は数か月の付き合いだったのだが、その子の印象も結構強かった。
というのは、
「初恋の子に似ていた」
ということだったからだ。
というのは、
「小学生の頃、まだ思春期でもないのに、おとなしい女の子といつも一緒だった」
ということを思い出とし、
「あれが初恋だった」
と思うことで、
「後から思えば、大学4年生の時に付き合った女の子が、初恋の子に一番似ていた」
ということで、自分が、
「いつまでも、好きだった女性に執着を感じる」
ということになると思ったのだ。
逆に、
「執着せずに、すぐに忘れる人は、最初から好きでも何でもない相手」
ということになるだろう。
大学を卒業するまでは、
「4年生の時に付き合った彼女」
というイメージが残ったことで、
「初恋の子がそうだったんだ」
と感じさせられるのであった。
「初恋というものがいつだったのか?」
ということを、
「思春期でもない。異性に興味を感じない時期だ」
ということであるにも関わらず、皆意識しているというのは、
「後から思い出す」
ということが、
「絶対にあるからではないか?」
といえるであろう。
本当は、
「ここからが20代」
ということになるかも知れないが、明らかに違う。
ということになると、
「大人になる」
という感覚も、
「初恋というものを思い出した時ではないか?」
と感じるのであった。
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