第三話 別れ
一年が経った。
アルトは、森で魔物と戦うようになっていた。
もちろん、ただ一人ではない。常にグレイヴが傍で見守り、時に口を出し、時に剣を振るった。
「魔物との戦いは、人との戦いとは違う」
最初の実戦の日、グレイヴはそう言った。
「相手は本能で動く。だからこそ、行動には癖がある。恐れるな。観察しろ」
最初は小型の魔物だった。
鋭い牙と爪を持つ獣。素早く、獰猛だ。
アルトは剣を構えながら、手の震えを抑えた。
――これも、命だ。
だが、躊躇は隙になる。
グレイヴの言葉を思い出し、踏み込む。
剣が肉を断ち、温かい感触が手に伝わった。魔物は倒れ、二度と動かなくなった。
アルトはしばらく、その場から動けなかった。胸の奥が重く、気分が悪い。
「初めてか」
グレイヴの声に、黙って頷く。
「命を奪う重さを忘れるな。だが、それに呑まれるな。
剣士は、生き残るために剣を振る」
その言葉は、深く胸に刻まれた。
最初は小型の魔物だった。
牙狼、森鼠、影蜥蜴。
どれも一撃で致命傷を与えられる相手だが、数を頼りに襲ってくる。
徐々に、大型の魔物も相手取るようになった。角猪、森熊、樹皮蜥蜴。
傷を負うこともあった。だが、そのたびにアルトは学び、次は同じ失敗を繰り返さなかった。
その日も、森の奥で魔物の痕跡を追っていた時だった。
――悲鳴。
はっきりと、人の声だった。
「……今のは」
アルトが顔を上げる。
「行け」
グレイヴは短く言った。
アルトは即座に走り出した。
木々を抜けた先、開けた場所でそれは起きていた。
倒れた馬車。荷物が散乱し、その傍で一人の男が地面に尻もちをついている。
そして、その前には――
牙を剥いた、角を持つ大型の魔物。
森猪型の
「ひ、ひぃ……!」
男が後ずさる。
次の瞬間、角牙猪が地面を蹴った。
「やめろ!」
アルトは叫び、剣を抜いた。間に合うか――否、間に合わせる。
角牙猪は一直線に突進してくる。狙いは旅人。
アルトは進路に割り込み、正面から構えた。
――正面から受けるな。
――横だ。
教えを思い出し、直前で体を捻る。角が脇を掠め、風圧が身体を叩いた。
すれ違いざま、アルトは剣を振るう。しかし、刃は硬い皮膚に弾かれた。
「――っ、浅い!」
角牙猪が振り返る。その目には、明確な敵意が宿っていた。
今度は、アルトが狙われる。
突進。真正面。
逃げれば、後ろの旅人が死ぬ。
アルトは、足を止めた。
――守る。
次の瞬間、地面を踏み込み、剣を低く構える。
角が迫る。恐怖で、心臓が跳ね上がる。
だが――目を逸らさない。
衝突の直前、アルトは剣を斜めに振り上げた。刃が、首の付け根に深く食い込む。
「――ォォォッ!」
悲鳴を上げ、角牙猪がよろめく。間髪入れず、アルトは追撃した。
一歩踏み込み、渾身の一閃。魔物は、地面に崩れ落ち、二度と動かなかった。
森に、静寂が戻る。
荒い息の中、アルトは剣を下ろした。
「……だ、大丈夫ですか!?」
震える声で、旅人に駆け寄る。
「た、助かった……」
男は、呆然とアルトを見上げていた。少し遅れて、グレイヴが歩いてくる。
「無事だな」
「はい……なんとか」
グレイヴは倒れた魔物を一瞥し、頷いた。
「判断が早かった。逃げず、だが無謀でもない。よくやった」
その言葉に、アルトの胸が、少しだけ温かくなった。
その後、アルトは旅人を担ぎ、グレイヴの家まで連れ帰った。
傷の手当てをし、看病を続ける。
「……ありがとう。君が助けてくれたのか」
「はい。もう大丈夫です」
「恩に着る。名前は?」
「アルトです」
「アルト……いい名だ。私はマルクという。商人だ」
数日後、マルクは回復し、何度も頭を下げて旅立っていった。
その背中を見送りながら、アルトは胸の奥に、今までとは違う感情を覚えていた。
――人を助ける。
それは、復讐とは違う。
だが、不思議と悪くない気分だった。
二年が経った。
アルトは十六歳になっていた。
背は伸び、肩幅も広くなり、かつての少年の面影は薄れている。
剣を握る手には、迷いがなくなっていた。
ある日の手合わせの後、グレイヴはしばらく黙り込み、アルトを見つめた。
「……お前は、強くなった」
その言葉に、アルトは小さく息を吐いた。
「だが、まだ足りない」
「何が足りないんですか」
グレイヴは答えず、壁に立てかけてあった一本の剣を取った。
木剣ではない。鞘に収められた、真剣。
「覚悟だ」
空気が、はっきりと変わった。
「今から、真剣で手合わせをする」
「……真剣で?」
「四天王との戦いは、命のやり取りだ。
死を前にしても剣を振れるかどうか――それを確かめる」
アルトは唾を飲み込み、自分の真剣を手に取った。ずしりと腕にかかる重さ。
木剣とは比べ物にならない緊張感が、全身を締め付ける。
「……来い」
その一言と同時に、グレイヴが踏み込んだ。
速い。
今までのどの手合わせとも違う。
剣がぶつかり、甲高い音と共に火花が散った。
受け止めたはずなのに、腕が痺れる。
――殺す気だ。
そう思った瞬間、恐怖が背中を這い上がった。
次の一撃が、首を狙ってくる。避けなければ、死ぬ。
アルトは反射的に体を捻り、紙一重でかわした。風切り音が、耳元を掠める。
「……それでいい」
グレイヴの声は、静かだった。
「躊躇するな。死を恐れろ。だが、その恐怖に飲み込まれるな」
剣と剣がぶつかる。一撃一撃が重く、速く、鋭い。
木剣なら受け止められたはずの攻撃が、真剣では通用しない。
少し角度を誤れば、刃が滑り、肉を裂く。実際、アルトの腕をかすめ、血が滲んだ。
「……っ!」
だが、足は止まらなかった。
――復讐のためだけに振るうな。
――守るもののために戦え。
グレイヴの言葉が、脳裏をよぎる。
守るもの。今は、目の前にいるこの人だ。
剣を交え、命を賭して教えてくれている――師匠を。
アルトの剣筋が、わずかに変わった。
怒りではない。恐怖でもない。ただ、生き残るための冷静さ。
「……ほう」
グレイヴの目が、わずかに細くなる。
次の瞬間、アルトは踏み込んだ。型を捨て、状況に合わせて剣を振るう。
剣がぶつかり、弾かれ、再び交差する。
そして――
ほんの一瞬の隙。
アルトの剣先が、グレイヴの頬を掠めた。一筋の血が、静かに流れる。
二人の動きが、止まった。
「……合格だ」
グレイヴは、ゆっくりと剣を下ろした。
「よく見ていた。よく耐えた。そして――よく、生きようとした」
アルトは、荒い息のまま、その場に膝をついた。
「お前は、真の剣士になった」
その言葉は、これまでのどんな褒め言葉よりも重かった。
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